クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

「風林火山」と「大食い王決定戦」。戦国時代の食糧事情は?

2007年10月02日 | 戦国時代の部屋
大河ドラマ「風林火山」で、“武田晴信”(市川亀治郎)と
“長尾景虎”(Gackt)が初めて干戈を交わした2007年9月30日夜。
いわゆる“川中島合戦”の第1戦で、
ドラマでは“山本勘助”(内野聖陽)と“宇佐美定満”(緒形拳)の
軍師対決としても描かれていました。

この一方で、テレビ東京で放送されていたのは「元祖!大食い王決定戦」。
タイトルの通り、限られた時間の中で
より多くものを食べた者が勝ちというルールです。
今大会で引退を決意したという“ジャイアント白田”と、
いまやタレントとしておなじみになった“ギャル曾根”も出演。

尋常でない量を食す彼らについ視線が釘付けとなりますが、
もっと気をひかれるのは食糧がなくならないこと。
どれほど食べても料理がなくなることはありません。
胃の限界はあっても、食物は無限にあるような錯覚にさえ見舞われます。
まさに飽食の時代。
大食い王決定戦に限らず、
この手の番組はいずれも食糧難の気配は微塵も感じさせません。

ところで、武田晴信や長尾景虎(上杉謙信)がその命を燃焼させた戦国時代、
1日の食事はいまと違って2回だったそうです。
1日3食と定着し始めたのは、
江戸時代初期頃と推測されています。
合戦に明け暮れていた武将たちが好んだ味付けは塩辛いもの。
かの“織田信長”も塩辛いものを好み、
公家向けの薄味の膳をひと口食べた彼は激怒し、
その料理人の首をはねようとしたことさえあったほどです。

そもそも戦国時代は異常気象に見舞われ、
災害や飢饉が相継いでいました。
したがって食糧不足に見舞われ、
戦国武将の他国進撃はそのまま食糧を得ることと直結しています。
1部の者以外はほとんど質素なものを食していました。

それでいて、エネルギー消費の激しい合戦をしなければなりません。
そこで兵たちはわずかな量でたくさんの栄養をとれるものや、
しばらく空腹感のなくなる食物を持参するなどして、
それぞれが創意工夫をしていたのです。

ゆえに大食い競争など贅沢の極み。
飽食の時代だからこそできるものです。
大食いは人を惹きつける魅力がありますが、
量をで競うのはエンターテイメントでしょう。
その食べっぷりに目を見張るだけでなく、
ふんだんに用意された食物と料理に
敬意を払うのは忘れてはならないことです。


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2 コメント

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大食い・・ (はと)
2007-10-02 09:45:31
最近大食いに関する番組がとても多いですね。
時間内にどれだけたくさん食べられるか・・という類は、見ていて嫌な気持ちになります。
人の身体は食べたものでできています。
楽しく美味しいと感じながら「いただく」こと、忘れたくないですね。
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味より刺激!? (クニ)
2007-10-03 00:15:49
はとさん

コメントありがとうございます。
確かに大食いを題材にした番組がこの頃多いですね。
ギャル曾根の人気とそれは比例している気がします。
食事は本来体を養うもの。
大食い競争はまるでその逆ですね。
番組の裏でどのような処置が施されているのかわかりませんが、
ときどき心配になります。
テレビ業界では、美味しくいただくグルメ・旅番組よりも、
大食いという刺激が求められているということでしょうか……
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