goo blog サービス終了のお知らせ 

クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

「風林火山」の天文17年。上杉謙信と織田信長は何をしていた?

2007年07月15日 | 戦国時代の部屋
大河ドラマ「風林火山」の「両雄死す」の回で舞台となっているのは天文17年(1548)。
武田晴信(信玄)が村上義清や小笠原長時と干戈を交える年です。
ときに晴信28歳。

ちなみに、越後の長尾景虎(上杉謙信)は19歳、
天下統一に向けて躍進する織田信長は15歳でした。
天文17年当時、長尾景虎は守護代長尾家を相続し、
春日山城に入城しています。
長尾家の二男に生まれ、林泉寺に入れられていた景虎でしたが、
この年から春日山城を拠点にその名を轟かせていくのです。

一方、尾張で生まれた織田信長は、
天文17年に斎藤道三の娘“濃姫”と婚姻関係を結んでいます。
小説やテレビでこぞって描かれている信長と濃姫の結婚。
斎藤道三が小屋でそっと見た信長と、
実際に顔を合わせたときとはまるで別人だったというエピソードは、
第一級史料『信長公記』にも綴られています。

両者は湯漬けを食べ、盃を交わし対面を果たしました。
斎藤道三は去っていく信長とその家来たちを見送ったとき、
目に付いたのは短い槍を持つ斎藤家に比べて、
ずっと長い槍を携える信長の家来たちでした。
「無念ではあるが、我が子らはいずれあのたわけの門外に馬を繋ぐ(家来になる)ことになるだろう」
と、道三は口にしたと伝えられています。

天下統一を目指す信長にとって、
強大な相手だった武田信玄と上杉謙信。
信玄は京を目指す途中で没し、
謙信は1度信長軍と戦って大勝をおさめたものの、
予定していた3度目の上洛の前に死去しました。
その信長も天下統一を目前して明智光秀の謀反に遭い、この世を去っています。

謙信と信長は共に49歳で他界。
武田信玄は53歳で帰らぬ人となっています。
そんな激動の生涯を送った彼らにとって、
天文17年は人生の転機とも言える年です。
天下に最も近かった男たちはどこか似ています。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 弥勒の円照寺には……(6) ―... | トップ | 埋もれた男“広田直繁”(39)―... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

戦国時代の部屋」カテゴリの最新記事