
大河ドラマ「風林火山」の「両雄死す」の回で舞台となっているのは天文17年(1548)。
武田晴信(信玄)が村上義清や小笠原長時と干戈を交える年です。
ときに晴信28歳。
ちなみに、越後の長尾景虎(上杉謙信)は19歳、
天下統一に向けて躍進する織田信長は15歳でした。
天文17年当時、長尾景虎は守護代長尾家を相続し、
春日山城に入城しています。
長尾家の二男に生まれ、林泉寺に入れられていた景虎でしたが、
この年から春日山城を拠点にその名を轟かせていくのです。
一方、尾張で生まれた織田信長は、
天文17年に斎藤道三の娘“濃姫”と婚姻関係を結んでいます。
小説やテレビでこぞって描かれている信長と濃姫の結婚。
斎藤道三が小屋でそっと見た信長と、
実際に顔を合わせたときとはまるで別人だったというエピソードは、
第一級史料『信長公記』にも綴られています。
両者は湯漬けを食べ、盃を交わし対面を果たしました。
斎藤道三は去っていく信長とその家来たちを見送ったとき、
目に付いたのは短い槍を持つ斎藤家に比べて、
ずっと長い槍を携える信長の家来たちでした。
「無念ではあるが、我が子らはいずれあのたわけの門外に馬を繋ぐ(家来になる)ことになるだろう」
と、道三は口にしたと伝えられています。
天下統一を目指す信長にとって、
強大な相手だった武田信玄と上杉謙信。
信玄は京を目指す途中で没し、
謙信は1度信長軍と戦って大勝をおさめたものの、
予定していた3度目の上洛の前に死去しました。
その信長も天下統一を目前して明智光秀の謀反に遭い、この世を去っています。
謙信と信長は共に49歳で他界。
武田信玄は53歳で帰らぬ人となっています。
そんな激動の生涯を送った彼らにとって、
天文17年は人生の転機とも言える年です。
天下に最も近かった男たちはどこか似ています。
武田晴信(信玄)が村上義清や小笠原長時と干戈を交える年です。
ときに晴信28歳。
ちなみに、越後の長尾景虎(上杉謙信)は19歳、
天下統一に向けて躍進する織田信長は15歳でした。
天文17年当時、長尾景虎は守護代長尾家を相続し、
春日山城に入城しています。
長尾家の二男に生まれ、林泉寺に入れられていた景虎でしたが、
この年から春日山城を拠点にその名を轟かせていくのです。
一方、尾張で生まれた織田信長は、
天文17年に斎藤道三の娘“濃姫”と婚姻関係を結んでいます。
小説やテレビでこぞって描かれている信長と濃姫の結婚。
斎藤道三が小屋でそっと見た信長と、
実際に顔を合わせたときとはまるで別人だったというエピソードは、
第一級史料『信長公記』にも綴られています。
両者は湯漬けを食べ、盃を交わし対面を果たしました。
斎藤道三は去っていく信長とその家来たちを見送ったとき、
目に付いたのは短い槍を持つ斎藤家に比べて、
ずっと長い槍を携える信長の家来たちでした。
「無念ではあるが、我が子らはいずれあのたわけの門外に馬を繋ぐ(家来になる)ことになるだろう」
と、道三は口にしたと伝えられています。
天下統一を目指す信長にとって、
強大な相手だった武田信玄と上杉謙信。
信玄は京を目指す途中で没し、
謙信は1度信長軍と戦って大勝をおさめたものの、
予定していた3度目の上洛の前に死去しました。
その信長も天下統一を目前して明智光秀の謀反に遭い、この世を去っています。
謙信と信長は共に49歳で他界。
武田信玄は53歳で帰らぬ人となっています。
そんな激動の生涯を送った彼らにとって、
天文17年は人生の転機とも言える年です。
天下に最も近かった男たちはどこか似ています。
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