川中島合戦の布石となる“村上義清”討伐。
大河ドラマ「風林火山」では“山本勘助”(内野聖陽)の謀略と、
“武田晴信”(市川亀治郎)の進撃により、
義清は越後への亡命を余儀なくされました。
そんな合戦の最中(さなか)、
義清に仕える“平蔵”(佐藤隆太)と、
その妻“ヒサ”(水川あさみ)の落ち延びる様子が描かれていました。
武田晴信の対となるのが“長尾景虎”(Gackt)ならば、
山本勘助と平蔵はそれと同様の対立構造になります。
決して味方にはならない彼らは、
武器を手に取り川中島で相まみれるのでしょう。
ところで、ヒサはそのお腹に子を宿していました。
合戦に行く平蔵の手を取り、互いに務めを果たすことを誓います。
現代の感覚ならば何の違和感もないシーンですが、
当時は天文22年の戦国時代の最中(さなか)。
女性に対する偏った見方が日常茶飯事だった時代です。
例えば、出陣の3日間は男女の同衾はタブーとされていました。
体力温存をはかったのか、それとも戦に集中するためだったのでしょうか。
また、妊娠した女性が出陣前の武将や
その甲冑を触ってはいけないと禁じられてもいました。
このタブーを破った場合、その武将は討ち死にすると言われていたのです。
したがって、この論理から言うと、
妊娠したヒサに触れた平蔵は戦で死ぬことになります。
(実際には死にませんでしたが……)
武家の娘であるヒサがこのタブーを知らないはずがありません。
しかし、ドラマの演出によるものか、
彼女は何らためらいもなく平蔵の手に触れ、その顔を見つめるのでした。
出産に対する「ケガレ観」は、
長きにわたって女性に多くのタブーを課してきました。
まず、家族が日常生活を送る場所から隔離され、
夫でもそこに入ることは許されません。
産室で使った食器などは持ち出せず、
そこに母親や姉妹が入ったときも、
母屋に戻るときは着ていた服を洗わなければなりませんでした。
そして、妊婦の食事も、家族とは別の火を使わなければならなかったのです。
いまでは時代錯誤も甚だしいですが、
こうした風習や考え方が一般的だった時代が確かにありました。
おめでたいはずの出産。
これを「ケガレ」とするのは、
実は男の論理なのかもしれません。
ただ出血すること、産むことへの畏敬と恐れは、
女より産む力のない男により強いのではないだろうか。
神聖視と不浄視、危険視という視線は、男のものといえよう。
崇めたてることも、遠ざけおとしめることも、ともにある存在を世界の外に排除し、
自分たちの平穏を守るための最も有効な方法であることを思うとき、
そこに守るべき男の世界が見えてくる。
(中村ひろ子「出産と誕生」より)
女性に対する様々なタブー。
男の世界を描く「風林火山」では、
“由布姫”(柴本幸)など悲しみを抱える女性が数多く登場しています。
それをもっと目をこらせば、
偏見によるさらに大きな悲しみが横たわっていると言えそうます。
引用文献
『女の眼でみる民俗学』中村ひろ子ほか 高文研
大河ドラマ「風林火山」では“山本勘助”(内野聖陽)の謀略と、
“武田晴信”(市川亀治郎)の進撃により、
義清は越後への亡命を余儀なくされました。
そんな合戦の最中(さなか)、
義清に仕える“平蔵”(佐藤隆太)と、
その妻“ヒサ”(水川あさみ)の落ち延びる様子が描かれていました。
武田晴信の対となるのが“長尾景虎”(Gackt)ならば、
山本勘助と平蔵はそれと同様の対立構造になります。
決して味方にはならない彼らは、
武器を手に取り川中島で相まみれるのでしょう。
ところで、ヒサはそのお腹に子を宿していました。
合戦に行く平蔵の手を取り、互いに務めを果たすことを誓います。
現代の感覚ならば何の違和感もないシーンですが、
当時は天文22年の戦国時代の最中(さなか)。
女性に対する偏った見方が日常茶飯事だった時代です。
例えば、出陣の3日間は男女の同衾はタブーとされていました。
体力温存をはかったのか、それとも戦に集中するためだったのでしょうか。
また、妊娠した女性が出陣前の武将や
その甲冑を触ってはいけないと禁じられてもいました。
このタブーを破った場合、その武将は討ち死にすると言われていたのです。
したがって、この論理から言うと、
妊娠したヒサに触れた平蔵は戦で死ぬことになります。
(実際には死にませんでしたが……)
武家の娘であるヒサがこのタブーを知らないはずがありません。
しかし、ドラマの演出によるものか、
彼女は何らためらいもなく平蔵の手に触れ、その顔を見つめるのでした。
出産に対する「ケガレ観」は、
長きにわたって女性に多くのタブーを課してきました。
まず、家族が日常生活を送る場所から隔離され、
夫でもそこに入ることは許されません。
産室で使った食器などは持ち出せず、
そこに母親や姉妹が入ったときも、
母屋に戻るときは着ていた服を洗わなければなりませんでした。
そして、妊婦の食事も、家族とは別の火を使わなければならなかったのです。
いまでは時代錯誤も甚だしいですが、
こうした風習や考え方が一般的だった時代が確かにありました。
おめでたいはずの出産。
これを「ケガレ」とするのは、
実は男の論理なのかもしれません。
ただ出血すること、産むことへの畏敬と恐れは、
女より産む力のない男により強いのではないだろうか。
神聖視と不浄視、危険視という視線は、男のものといえよう。
崇めたてることも、遠ざけおとしめることも、ともにある存在を世界の外に排除し、
自分たちの平穏を守るための最も有効な方法であることを思うとき、
そこに守るべき男の世界が見えてくる。
(中村ひろ子「出産と誕生」より)
女性に対する様々なタブー。
男の世界を描く「風林火山」では、
“由布姫”(柴本幸)など悲しみを抱える女性が数多く登場しています。
それをもっと目をこらせば、
偏見によるさらに大きな悲しみが横たわっていると言えそうます。
引用文献
『女の眼でみる民俗学』中村ひろ子ほか 高文研
さっきまで温かく息をしていた母、急に「死者」というけがれた存在になった・・って。悲しかったです。
「逆さ水」や「北枕」忌み嫌う言葉がたくさん聞こえて、息を引き取るという瞬間の前と後では、こんなにも違うんだなって。
暗いコメントでごめんなさい。。。
コメントありがとうございます。
ぼくもはとさんのコメントを読みながら、
ずっと前に亡くなった祖母のことを思い出しました。
見た目はほとんど変わらないのに、
北枕や胸の上に置かれた刃物など、
「祖母」から「死者」になってしまったことを幼な心に覚えています。
「穢れ」は観念の世界なので、
間違った方向に向かうと危険ですよね。
先日、ある高名な方のお墓を訪ねたとき、
時間の都合で夜になってしまったのですが、
ご年輩の方から少々お叱りをうけました。
墓地は不浄ゆえに死者に引きずり込まれると……
近代化が進んでも、人間の精神はまだまだアナログの気がします。