
かつて『万葉集』に詠まれ、
利根川と荒川の氾濫によって水路が発達し、
船着場があった(であろう)「小埼沼」は、
埼玉県行田市の東南部に位置しています。
現在は広い田畑の一角にポツンと樹木が生い茂り、
その中に「武蔵小埼沼」と彫られた石碑があります。
これは忍藩主阿部正允(まさちか)が、
儒臣の平岩文国に撰文させ建立したもので、
以前はその周りを鉄柵が囲っていたようですが、
現在は取り払われ、「小埼沼有塚水死者之霊」と墨書された卒塔婆が立っています。
その前には線香と花も添えられているので、
まるで墓石のように見えます。
かつて濁った水を湛えていたという池も枯れ、
小さな窪地が残るのみです。
そんな寂寞とした雰囲気に包まれる「小埼沼」には、
いくつかの言い伝えが残っています。例えば、
「小埼(おさき)さまの木を切った者が死んだ」
「小埼沼には片葉の葦や片目の蛇・蛙がいる」
「先の大戦で小埼さまにお参りした者は戦死しなかった」
と、現在でもまことしやかに信じられているといいます。
そのせいか、耕地整理の道路もそこには入り込んでおらず、
小埼沼を訪ねるには車を少し離れた場所に停めて、
歩いていかなければなりません。
ここではそんな小埼沼に伝わる奇談を2つ紹介したいと思います。
1つは「おさき姫」にまつわる話です。
いずれの時にかわからないほど遠い昔のこと、
「おさき姫」という美しい女性が村に住んでいました。
その頃、村では雨が降らず太陽が燦々と照りつけ、
草木も田畑の作物も枯れようとしていました。
村人たちはこの日照り続きに頭を悩ませ、
日毎しおれていく作物を見ては嘆き悲しんでいました。
気高く心優しいおさき姫は、そんな村人たちを目にして、
自分がどうにかして村を救えないだろうかと考えます。
そして、小埼沼に住む龍神を慰めれば雨が降るに違いないと思い至ります。
おさき姫は自ら小埼沼に飛び込みました。
沼は深くおさき姫は暗い底へ消えていくと、
二度と浮かび上がってくることはありませんでした。
水面の波は消え、沼は次第に穏やかさを取り戻していきました。
ところが次の瞬間、沼から突如黒い雲がわき上がると、
照りつけていた太陽をみるみる覆っていきます。
晴れ渡っていた空は分厚い雲で暗くなり、
やがてポツポツと降り出す雨。
その恵みの雨に、村人たちは手を叩いて喜ばすにはいられません。
田畑は潤い、しおれていた作物も蘇ります。
村人たちはこのおさき姫を、
稲荷大明神の化身と信じずにはいられませんでした。
そして石の祠を立てると、宇賀之御魂(うかのみたま)を祀ったと伝えられます。
以来、小埼沼にあるものをひとつでも取ると、
大罰があたるとまことしやかに囁かれるようになりました。
同地に伝わる「小埼さまの木を切った者が死んだ」という伝承も、
このタブーから生じたものでしょう。
とはいえ、あくまでも伝承です。
物語として触れても、
史実として受け取るのは危険です。
ただ、なぜそのような伝承が発生したのかを考えるのは、
ときに歴史を繙くヒントになることがあります。
また全ての人ではないにせよ、
伝承を信じ、語り伝えた人々がいたことは見逃せません。
伝承をどう受け止めるか、
この記事を読んだ方の一人一人の心に委ねたいと思います。
利根川と荒川の氾濫によって水路が発達し、
船着場があった(であろう)「小埼沼」は、
埼玉県行田市の東南部に位置しています。
現在は広い田畑の一角にポツンと樹木が生い茂り、
その中に「武蔵小埼沼」と彫られた石碑があります。
これは忍藩主阿部正允(まさちか)が、
儒臣の平岩文国に撰文させ建立したもので、
以前はその周りを鉄柵が囲っていたようですが、
現在は取り払われ、「小埼沼有塚水死者之霊」と墨書された卒塔婆が立っています。
その前には線香と花も添えられているので、
まるで墓石のように見えます。
かつて濁った水を湛えていたという池も枯れ、
小さな窪地が残るのみです。
そんな寂寞とした雰囲気に包まれる「小埼沼」には、
いくつかの言い伝えが残っています。例えば、
「小埼(おさき)さまの木を切った者が死んだ」
「小埼沼には片葉の葦や片目の蛇・蛙がいる」
「先の大戦で小埼さまにお参りした者は戦死しなかった」
と、現在でもまことしやかに信じられているといいます。
そのせいか、耕地整理の道路もそこには入り込んでおらず、
小埼沼を訪ねるには車を少し離れた場所に停めて、
歩いていかなければなりません。
ここではそんな小埼沼に伝わる奇談を2つ紹介したいと思います。
1つは「おさき姫」にまつわる話です。
いずれの時にかわからないほど遠い昔のこと、
「おさき姫」という美しい女性が村に住んでいました。
その頃、村では雨が降らず太陽が燦々と照りつけ、
草木も田畑の作物も枯れようとしていました。
村人たちはこの日照り続きに頭を悩ませ、
日毎しおれていく作物を見ては嘆き悲しんでいました。
気高く心優しいおさき姫は、そんな村人たちを目にして、
自分がどうにかして村を救えないだろうかと考えます。
そして、小埼沼に住む龍神を慰めれば雨が降るに違いないと思い至ります。
おさき姫は自ら小埼沼に飛び込みました。
沼は深くおさき姫は暗い底へ消えていくと、
二度と浮かび上がってくることはありませんでした。
水面の波は消え、沼は次第に穏やかさを取り戻していきました。
ところが次の瞬間、沼から突如黒い雲がわき上がると、
照りつけていた太陽をみるみる覆っていきます。
晴れ渡っていた空は分厚い雲で暗くなり、
やがてポツポツと降り出す雨。
その恵みの雨に、村人たちは手を叩いて喜ばすにはいられません。
田畑は潤い、しおれていた作物も蘇ります。
村人たちはこのおさき姫を、
稲荷大明神の化身と信じずにはいられませんでした。
そして石の祠を立てると、宇賀之御魂(うかのみたま)を祀ったと伝えられます。
以来、小埼沼にあるものをひとつでも取ると、
大罰があたるとまことしやかに囁かれるようになりました。
同地に伝わる「小埼さまの木を切った者が死んだ」という伝承も、
このタブーから生じたものでしょう。
とはいえ、あくまでも伝承です。
物語として触れても、
史実として受け取るのは危険です。
ただ、なぜそのような伝承が発生したのかを考えるのは、
ときに歴史を繙くヒントになることがあります。
また全ての人ではないにせよ、
伝承を信じ、語り伝えた人々がいたことは見逃せません。
伝承をどう受け止めるか、
この記事を読んだ方の一人一人の心に委ねたいと思います。
昭和の時代にも沼の物を持ち帰ってその日のうちに急死した者が複数います。
伝承、伝説上なんて御伽噺みたいなものではありませんよ。
行田市埼玉の古い家(農家等)聞いて御覧なさい。
ただ、亡くなった方が親戚だという方もおられるので、注意してください。
別の方が「急死」したという情報を下ったのですが、
「複数」いらっしゃるのですね。
不思議です。
その土地の何かがあるのかもしれませんね。
先日、夜に近くを通ったのですが、
とても中まで行けませんでした
小崎沼に銀杏の木があり、近所の方が毎年銀杏の実をひろっています。「ほっといてもくさっちゃあからね。」いうまでもなく小崎沼の伝承は迷信です。
まことしやかな歴史ものは歴史の科学性を否定するものです。「それぐらいわからなくっちゃね。」
2006年当時の若書きのせいか、「まことしやか」なまま書いていました。
とても危険なことです。
ご指摘ありがとうございました。
一部訂正したいと思います。
まぁいいけど。
その昔、見せしめのために罪人を木に縛り付けて、頭から酒をかけて放置した。この地は湿地で夏は蚊柱が立った。酒をかけられた罪人は蚊に攻められて絶命したという。中には無実の者もいたらしい。
今でも怨霊がさ迷い、幽霊が出るという噂を聞く。さらには、大木の枝を切ると足の病気になると言われる。木の葉を燃やしただけで、その晩腰が立たなくなった人がいる。その他、川の中の杭に縛り付け、蛭に血を吸わせる蛭塚もあったらしい。
持田の消防署の後ろに神様が祀ってあるが、あそこは鋸引きの刑が行われた場所。身体を埋められた罪人の首を竹の鋸で通行人に一引き行わせたという。
見せしめという理由から、何とも残酷な刑罰を考えたものだ。十両盗むと首が飛ぶとか、出刃包丁の刃を上に向けると罪が重くなるとか聞いたことがあるが、本当でしょうか?