高校生の頃、一時期英語の勉強にはまったことがある。
図書館へ行くにも英和辞典をお供させて、
生意気に原書などを読んでいた。
なぜそんなことをしたかと言うと、理由は単純明快。
英語の先生が好きだったからである。
いま思えば、女優の古手川祐子さんに似ていて、
文化祭のオークションでは、
先生が出品した(させられた)ネックレスは高値がついたほどだ。
勉強には動機とモチベーションが大切である。
30歳近くで、再び英語が通らなければならない関門となったが、
苦痛でしかたなかった。
ところで、法政大学の教授で翻訳家としても知られている“金原瑞人”氏は、
エッセイの中で、英語上達のアドバイスに触れている。
すなわち、「一日に十五分、英語をやれ」。
氏が、ジョン・マイルズという英会話の先生から教えられたものだという。
ふむふむ、習うより慣れろってやつだろうか。
継続は力なり。
だらだらと勉強するより、質のいい15分なのだろう。
さらに、金原氏は落語家から聞いた話を書いている。
一日、練習しないと、そのぶん、きっちり下手になる。
ところが、毎日やったからといって、毎日そのぶん上達するかいうと、
絶対にそんなことはない。
つまり、下手にならないために練習をするわけえす。
ところが、毎日練習していると、ある日、いきりなり、ぽーんとうまくなる。
芸というのは、そういうもんです。
(『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』ポプラ文庫より)
「言葉の力を実感したければ、実感するまで読んで書く、書いて読む、
それしかないと、投げやりな言葉で、とりあえず、〆」と、金原氏は言っている。
勉強もまた同じだと思う。
特に、テストや資格試験は、問題の解き方に法則性があって、
それを体得してしまえばしめたもの。
すぐには結果はでないかもしれないが、
「ある日、いきなり、ぽーんと」いい成績が取れるかもしれない。
ある一定のところまで到達するまでが苦しい。
努力と結果は決して比例していない。
ある地点を越えると、結果が出るようになる。
これをブレイクスルーと言う。
継続している奴には勝てないし、
距離は開いていくばかりである。
もしぼくが毎日15分英語の勉強をし続けてきたのなら、
英会話はおろか、鼻さえ高くなっていた気がする。
しかし、継続せず、動機もなかった30歳近いぼくは、
英語の勉強が苦痛で仕方なかったのだ。
ただし、絵は描けないのに画家が好きなように、
翻訳家も惹かれるジャンルの一つだ。
原書を読めたらきっと楽しいだろうな。
かの村上春樹氏は、小説執筆に一区切りついたら翻訳をするという。
小説の勉強になるし、創作の井戸に水が湧く期間でもあるようだ。
金原氏は、300冊以上もの翻訳本を出していることで知られる。
翻訳もいいが、その飄々としたエッセイの文章も読んでいて心地いい。
図書館へ行くにも英和辞典をお供させて、
生意気に原書などを読んでいた。
なぜそんなことをしたかと言うと、理由は単純明快。
英語の先生が好きだったからである。
いま思えば、女優の古手川祐子さんに似ていて、
文化祭のオークションでは、
先生が出品した(させられた)ネックレスは高値がついたほどだ。
勉強には動機とモチベーションが大切である。
30歳近くで、再び英語が通らなければならない関門となったが、
苦痛でしかたなかった。
ところで、法政大学の教授で翻訳家としても知られている“金原瑞人”氏は、
エッセイの中で、英語上達のアドバイスに触れている。
すなわち、「一日に十五分、英語をやれ」。
氏が、ジョン・マイルズという英会話の先生から教えられたものだという。
ふむふむ、習うより慣れろってやつだろうか。
継続は力なり。
だらだらと勉強するより、質のいい15分なのだろう。
さらに、金原氏は落語家から聞いた話を書いている。
一日、練習しないと、そのぶん、きっちり下手になる。
ところが、毎日やったからといって、毎日そのぶん上達するかいうと、
絶対にそんなことはない。
つまり、下手にならないために練習をするわけえす。
ところが、毎日練習していると、ある日、いきりなり、ぽーんとうまくなる。
芸というのは、そういうもんです。
(『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』ポプラ文庫より)
「言葉の力を実感したければ、実感するまで読んで書く、書いて読む、
それしかないと、投げやりな言葉で、とりあえず、〆」と、金原氏は言っている。
勉強もまた同じだと思う。
特に、テストや資格試験は、問題の解き方に法則性があって、
それを体得してしまえばしめたもの。
すぐには結果はでないかもしれないが、
「ある日、いきなり、ぽーんと」いい成績が取れるかもしれない。
ある一定のところまで到達するまでが苦しい。
努力と結果は決して比例していない。
ある地点を越えると、結果が出るようになる。
これをブレイクスルーと言う。
継続している奴には勝てないし、
距離は開いていくばかりである。
もしぼくが毎日15分英語の勉強をし続けてきたのなら、
英会話はおろか、鼻さえ高くなっていた気がする。
しかし、継続せず、動機もなかった30歳近いぼくは、
英語の勉強が苦痛で仕方なかったのだ。
ただし、絵は描けないのに画家が好きなように、
翻訳家も惹かれるジャンルの一つだ。
原書を読めたらきっと楽しいだろうな。
かの村上春樹氏は、小説執筆に一区切りついたら翻訳をするという。
小説の勉強になるし、創作の井戸に水が湧く期間でもあるようだ。
金原氏は、300冊以上もの翻訳本を出していることで知られる。
翻訳もいいが、その飄々としたエッセイの文章も読んでいて心地いい。
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