クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

英語上達のためには1日何分の勉強が必要? ―ウラ部屋(166)―

2012年01月17日 | ウラ部屋
高校生の頃、一時期英語の勉強にはまったことがある。
図書館へ行くにも英和辞典をお供させて、
生意気に原書などを読んでいた。

なぜそんなことをしたかと言うと、理由は単純明快。
英語の先生が好きだったからである。

いま思えば、女優の古手川祐子さんに似ていて、
文化祭のオークションでは、
先生が出品した(させられた)ネックレスは高値がついたほどだ。

勉強には動機とモチベーションが大切である。
30歳近くで、再び英語が通らなければならない関門となったが、
苦痛でしかたなかった。

ところで、法政大学の教授で翻訳家としても知られている“金原瑞人”氏は、
エッセイの中で、英語上達のアドバイスに触れている。
すなわち、「一日に十五分、英語をやれ」。
氏が、ジョン・マイルズという英会話の先生から教えられたものだという。

ふむふむ、習うより慣れろってやつだろうか。
継続は力なり。
だらだらと勉強するより、質のいい15分なのだろう。
さらに、金原氏は落語家から聞いた話を書いている。

 一日、練習しないと、そのぶん、きっちり下手になる。
 ところが、毎日やったからといって、毎日そのぶん上達するかいうと、
 絶対にそんなことはない。
 つまり、下手にならないために練習をするわけえす。
 ところが、毎日練習していると、ある日、いきりなり、ぽーんとうまくなる。
 芸というのは、そういうもんです。
 (『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』ポプラ文庫より)

「言葉の力を実感したければ、実感するまで読んで書く、書いて読む、
それしかないと、投げやりな言葉で、とりあえず、〆」と、金原氏は言っている。

勉強もまた同じだと思う。
特に、テストや資格試験は、問題の解き方に法則性があって、
それを体得してしまえばしめたもの。
すぐには結果はでないかもしれないが、
「ある日、いきなり、ぽーんと」いい成績が取れるかもしれない。

ある一定のところまで到達するまでが苦しい。
努力と結果は決して比例していない。
ある地点を越えると、結果が出るようになる。
これをブレイクスルーと言う。

継続している奴には勝てないし、
距離は開いていくばかりである。
もしぼくが毎日15分英語の勉強をし続けてきたのなら、
英会話はおろか、鼻さえ高くなっていた気がする。

しかし、継続せず、動機もなかった30歳近いぼくは、
英語の勉強が苦痛で仕方なかったのだ。
ただし、絵は描けないのに画家が好きなように、
翻訳家も惹かれるジャンルの一つだ。

原書を読めたらきっと楽しいだろうな。
かの村上春樹氏は、小説執筆に一区切りついたら翻訳をするという。
小説の勉強になるし、創作の井戸に水が湧く期間でもあるようだ。

金原氏は、300冊以上もの翻訳本を出していることで知られる。
翻訳もいいが、その飄々としたエッセイの文章も読んでいて心地いい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿