クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

卒業写真 ―恋うた(87)―

2008年03月09日 | 恋部屋
卒業アルバムに載った写真は、
何年経っても変わらない。
それは当たり前のことなのだけど、
アルバムを見る自分自身が
実はどんどん変わっている。

あの頃知らなかった人が
いま近くにいたり、
あのときなかったものを
手にしていたり、
あるいは
あの頃そばにいた人が、
いなくなっていたり……

巡る季節の中で、
それぞれの流れというものがある。
本意でなくとも、
そこに身を委ねなければならないことが
だんだん多くなっていく。

だけどふと気付く。
自分らしさを見失っていることに……。
流れに逆らうことはできなくて、
だからと言って全てを委ねることもできない。
その中で何かを得たり失ったりしている。

変わらず生きていくことはできないのかもしれない。
どんなに強い想いでも、
それは微妙に形を変えていく。
自分らしく生きることの難しさ。
近付き、遠ざかる日々の中で、
何を得て
どれほどのものをなくし続けていくのだろう。
卒業写真の笑顔は何も変わらないのに……

(参照URL)
ユーチューブで聴く「卒業写真」(荒井由実)
http://www.youtube.com/watch?v=LLzF6WX3M34&feature=related

徳永英明バージョン
http://www.youtube.com/watch?v=enbZG9OMG4g&feature=related
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卒業(渡辺美里) ―恋うた(86)―

2008年03月02日 | 恋部屋
――卒業できない恋もある(渡辺美里)
春と共に迎える別れに
キッパリさよならできるなら
心はそんな風に痛んだりしない。

横顔に陽を染めて、
別れの曲を弾く「きみ」への想い。
さよならが近付くたび
その想いは募る。

舞い散る花びら。
春の風が吹き抜けていく。
打ち明けられない想いは、
どこへ流れていくのだろう……

だけど時は否応なく流れる。
「きみ」はいなくなり
自分も変わっていく。
その流れは止められない。

幾度目かの春か
それとも最初に見上げる桜か……
「きみ」への想いは変わらぬままだろうか。
変わらないことを信じても
桜の花びらのごとく
新しく吹く季節の風に
儚く流される。

※「卒業」
1991年、渡辺美里のリリース。
作詞:渡辺美里 作曲:小室哲哉。
ユーチューブで聴く「卒業」
http://www.youtube.com/watch?v=uoMTPuIcRcU
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SAKURA ―恋うた(85)―

2008年02月29日 | 恋部屋
春はとらえ所がない。
期待と不安が一緒くたになり、
その胸の内は
嬉しいのか
悲しいのか
わからない。

見上げる桜。
満開に咲くその美しさに見とれながら、
散りゆく花びらに
終わりを感じている。

やがて迎える別れ。
当然のように顔を合わせていたのに、
春が来て
日常から「君」はいなくなる。
「君」のいた日々はどんどん遠ざかる。
想いは置き去りにされたまま……

(参照URL)
「SAKURA」
2006年、いきものがかりのリリース。
ユーチューブで聴く「SAKURA」
http://www.youtube.com/watch?v=MZv6AYBS0oc
コメント (2)
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TOKIMEKI☆DooBeeDoo ―恋うた(84)―

2008年02月25日 | 恋部屋
――TOKIMEKI☆DooBeeDoo
2008年、WaTのリリース。
周知のように、WaTはウエンツ瑛士と小池徹平が組んだデュオである。

その人気は高い。
筆者より年下だが、
もし彼らのような先輩が部活にいたら、
面白かったと思う。

どこか昭和の匂いがする「TOKIMEKI☆DooBeeDoo」。
メロディもさることながら、
衣裳も振り付けもまたしかりだ。
ギャグなのか真面目なのかわからない。
しかし、真面目な曲より聴かせる。

「これが恋なのかな?」と、
その歌詞も10代のよう。
気になる「君」の仕草。
「君」が手を振る「彼」に、
揺れる「僕」の気持ち。

でも、「僕」はあきらめないらしい。
うさぎ、イチゴ、マロンに例えられている「君」が、
それをどう思うのかは、
誰も知らない……

(参照URL)
ユーチューブで聴く「TOKIMEKI☆DooBeeDoo」
http://www.youtube.com/watch?v=Q7yKUvQUR4I
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俺らの家まで ―恋うた(83)―

2008年02月23日 | 恋部屋
――俺らの家まで。
1979年、長渕剛のリリース。
作詞作曲は長渕剛。

ギターのテクニック、
聴かせる歌唱力、
圧倒的な存在感、
物を作ることへの情熱……
長渕剛を知ってしまっては、
おおよそのミュージシャンが物足りなくなってしまうかもしれない。

コンサートを開けば何万人ものファンを集める長渕剛だが、
最初から順風満帆だったわけではない。
デビュー曲「雨の嵐山」はヒットせず、
「巡恋歌」で再デビューを果たしている。
「俺らの家まで」はそのセカンドシングルだ。

1992年には「巡恋歌」が再リリース。
そのカップリングに収録されたのが、
「俺らの家まで」(ライブバージョン)だった。

この曲を長渕剛ベスト10の中に挙げるファンは多いだろう。
彼のライブで「俺らの家まで」が流れ始めたら、
「剛!」と叫ぶ準備をしなければならない。すなわち、

♪女好きは俺らの悪い癖
 でも遊びなんかじゃないよ
 機嫌直して……

の次である。

(参照URL)
ユーチューブで聴く「俺らの家まで」
http://www.youtube.com/watch?v=PqdkwoIANU0&feature=related
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しあわせのうた ―恋うた(82)―

2008年02月21日 | 恋部屋
――しあわせのうた
1984年、「みんなのうた」(NHK)で流れる。
唄うのは榊原郁恵。
2分と少しの短い曲である。

「みんなのうた」で流れた数ある曲の中で、
「しあわせのうた」は最も聴かせる。
放送から20年以上が過ぎたいまでも、
ときどき口ずさんでしまう。
堀口忠彦の手掛けたアニメーションも印象深い。

「しあわせのうた」を好きだと言う同年代の人がいた。
その人はいつも南に住むしあわせな人を唄っていた。

 南に住む人はしあわせ
 いつでも花の首かざり
 愛する人にささげることが
 出来るから
 (作詞:木下龍太郎「しあわせのうた」より)

しあわせのうたなのに、
どこか切ない。
人は永遠ではないからだろうか。

月日は否応なく流れる。
愛する人にささげた花も
いつかは枯れてしまう。
だけどそれぞれのときを生きている。

もしいまが不幸せだとしても、しあわせ。
やがて迎えるしあわせを強く感じられるから。
明日へ見送った太陽と共に
しあわせを祈ろう。

(参照URL)
ユーチューブで聴く「しあわせのうた」
http://www.youtube.com/watch?v=KHCDSiaM4qI
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ああ上野駅(4) ―恋うた(81)―

2008年02月19日 | 恋部屋
時代の波が、人生にどう影響をもたらすのかわからない。
追い風になれば、
向かい風になることもあるだろう。
「ああ上野駅」を作詞しヒットを飛ばしたものの、
作詞家としてなかなか独立できなかった関口義明氏。

しかし、カラオケブームの到来によって、
人生に追い風が吹き始める。
「ああ上野駅」は多くの人たちに唄われた。
リリースから20年近くが過ぎていたが、
この曲を愛する人々の気持ちは変わらなかった。

関口氏は晴れて独立。
有名な歌手から新人まで幅広く詞を提供し、
作詞家としての地位をコツコツ固めていく。
その後、金田たつえの「お母さん」で再びヒット。
「私の作詞家としての寿命を延ばした」
と、関口氏は言う。

しかし、何と言っても氏の代表曲は「ああ上野駅」だろう。
長い歳月が流れても、
人々から愛され続けている。
平成15年には「ああ上野駅」の歌碑が上野駅に建立された。
除幕式には関口氏も出席。
その歌碑の前で、井沢八郎が同曲を熱唱した。

ただ、人の命は限られている。
その歌声でたくさんの人たちを魅了し続けてきた井沢氏だったが、
平成19年1月17に死去。
享年69。
奇しくも、娘の工藤夕貴の誕生日だった。
訃報は各メディアに大きく報じられ、
日本中がその死を悼んだ。

井沢氏は没してしまったが、曲は永遠である。
近年では氷川きよしが「ああ上野駅」をカバーしている。
集団就職はもはや遠い時代かもしれない。
しかし、世代を越えて唄われ続けていくだろう。
関口氏はいまも詞に「夢」を乗せて、
作詞活動を続けている。
(「ああ上野駅」了)


羽生駅前通り
『行田・加須・羽生の今昔』(郷土出版)刊行の“三光堂”の広告より
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ああ上野駅(3) ―恋うた(80)―

2008年02月18日 | 恋部屋
26歳で昇進の話を蹴り、
念願の上京を果たした関口義明氏だったが、
その後の道のりは険しかった。

「ああ上野駅」のあと、作曲家荒井栄一氏と新曲をリリース。
数曲出すものの、鳴かず飛ばずだった。
東京でアルバイトをしながら食いつなぐ。
本腰を入れるつもりの作詞もままならなかった。

「自由時間が増えると逆にやらないものです。これは私の性格によるものでしょうね」
と、関口氏は朗らかに言う。
心がくじけそうになることもあった。
あのとき銀行を辞めていなければ今頃……
と思うこともあっただろう。

そもそも、関口氏が作詞と出会ったのは高校2年生のときだったという。
新聞に川柳を投稿しては頻繁に取り上げられ、
文章を書くことを得意としていた。
その頃はまだ「作詞」という考えはない。
出会いは本人の意志に関係なく、
唐突にやってくるものだ。
それは縁というほかない。

ある日、足を運んだ新聞社主催の「読者の集い」。
そのとき関口氏の隣に座った者がいる。
それが作詞家だった。
生まれて初めて目にする「作詞家」に、
氏は人生の転機を迎える。
運命的出会いと言っても過言ではない。

――ああ、こういう人もいるんだ
作詞家の人柄もさることながら、
その表現方法に心惹かれた。
もしそのとき、隣に座った者が作詞家でなかったら、
「ああ上野駅」は誕生しなかっただろう。
例え、別のきっかけを得て作詞家の道を歩んでいたとしても、
銀行を辞めることなく、
銀行マンとして生きていたかもしれない。

偶然隣に座った作詞家との出会いに、
氏は自分の道を踏み出すことになる。
それは人生を豊かにし、
また茨の道でもあった。

「くじけちゃならない人生が あの日ここから始まった」
ヒットが出ず、なかなか独立できなかった頃、
ときに「ああ上野駅」を聴いて自身の心を励ましたという。
この曲は集団就職で郷里を離れた人々だけでなく、
自身への応援曲にもなる。
心を奮い立たせ、
「夢」を決して諦めなかった。

諦めない夢はその人だけのものである。
夢は見るから叶えられる。
やがてカラオケブームが到来。
「ああ上野駅」は多くの人々に唄われるようになった。
そんな時代の流れも追い風となり、
関口氏は作詞家として独立するのだった。
(続く)

(参照URL)
ユーチューブで聴く「ああ上野駅」
http://www.youtube.com/watch?v=ne9ABDZzHFw

※画像はまぼろしの川俣駅(埼玉県羽生市)の跡地。
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ああ上野駅(2) ―恋うた(79)―

2008年02月17日 | 恋部屋
――ああ上野駅。
唄うのは井沢八郎、
作曲は荒井英一、
作詞は関口義明である。
集団就職で上京した少年の心を唄っている。

詞の中に井沢八郎の「語り」がある。
これは関口氏が作詞したものではなかった。
「ああ上野駅」をステージで唄う直前、
父親の訃報を聞いた井沢八郎が、
口からふと出てきた言葉がそのまま詞に定着したという。
次のように語っている。

 父ちゃん、僕がいなくなったんで母ちゃんの畑仕事も大変だろうな。
 今度の休みには必ず帰るから、その時には父ちゃんの肩も母ちゃんの肩も、
 もういやだというまでたたいてやるぞ。それまで元気で待っていてくれよな

関口氏にとってこの語りは予期せぬものだったらしい。
聴くには心を打つが、
自分が唄うとなるといささか気恥ずかしいと、
氏のもとへそんな言葉が寄せられたという。

23歳で「ああ上野駅」を作詞し、
ヒットを飛ばした関口氏だったが、
その後の道のりは決して順風満帆だったわけではない。

勤めていた銀行を26歳で退職。
真面目な仕事ぶりが認められ、
昇進の話が持ち上がったのを機に辞めている。
責任ある役に就けば、
作詞に時間を裂けないからと……。

そもそも銀行に就職したのは、
3時の閉店と共に仕事が終わると思い込んでいたからだった。
銀行マンとして真面目に勤務していたが、
その心には「作詞家」という夢があった。

東京に強い憧れを持っていた氏は、
銀行マンを辞め晴れて上京。
「ああ上野駅」に続いて、
次々にヒットを飛ばす……。
「胸にゃでっかい夢がある」のごとく、
希望で胸は膨らんでいただろう。
しかし、現実はそう甘くはないのだった。
(続く)

(参照URL)
ユーチューブで聴く「ああ上野駅」
http://www.youtube.com/watch?v=ne9ABDZzHFw
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ああ上野駅(1) ―恋うた(78)―

2008年02月16日 | 恋部屋
――ああ上野駅
昭和39年、井沢八郎のリリース。
氏の代表曲である。

集団就職で郷里を離れた人々の心に、
そのメロディは響いた。
井沢八郎の歌声は切なくも力強く、
人々に生きる力を与えた。
まさに時代が生んだ名曲である。

「ああ上野駅」を作詞したのは関口義明という作詞家だ。
氏の郷里は埼玉県羽生市である。
昭和15年、地方の農家に生まれたものの、
臨時列車に乗って集団就職をしたわけではない。

氏が「ああ上野駅」を作詞したのは23歳のときだった。
春日部の銀行に勤めていた関口氏は、
作詞家と東京に強い憧れを持っていた。
ある日、詞のイメージを掴むために、
上野駅へ足を運ぶ。
そのとき氏がイメージしていたのは、
恋に破れた女性が、
郷里の東北に帰る歌だったという。

しかし、電車の網棚に何気なく乗っていた夕刊が、
氏の運命を決める。
ふと夕刊を手に取る関口氏。
そこに載っていたのは集団就職の記事だった。

――ああ、これだ。
胸中の失恋女性は一瞬にして吹き飛ぶ。
そして、次々に新しいイメージが浮かんだ。
帰りの電車の中、
詞の半分以上は出来上がったという。

かくして、東北に帰る失恋女性から、
集団就職で東京へ出てきた人たちを励ます詞に変わった。
その詞を公募に応募し、
審査員の目に留まる。
「ああ上野駅」の誕生だった。
(続く)

(参照URL)
ユーチューブで聴く「ああ上野駅」
http://www.youtube.com/watch?v=ne9ABDZzHFw
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旅の宿 ―恋うた(77)―

2008年02月14日 | 恋部屋
――旅の宿
1972年、吉田拓郎のリリース。
その曲を聴くと、
日本のどこかを旅している気分になる。
「尾花(ススキ)の簪」の君と……。

旅先が外国ではないのは、
詞の中に和がちりばめられているからだろう。
浴衣、尾花、簪(かんざし)、徳利、
風流、俳句、上限の月。

和の風景と、
和の「君」がイメージされる。
少なくとも、「ぼく」が身を置く旅の宿は、
ディズニーランドではないだろう。
例えそうだとしても、
この曲に横文字は似合わない。

しかし、
簪の「君」が西洋人だと素敵だ。
ブロンドに尾花の簪。
浴衣姿の「君」に、
和はさらに映える。
「モウイッパイ イカガ」
と言う君が、
妙に色っぽくて……

(参照URL)
ユーチューブで聴く「旅の宿」
http://www.youtube.com/watch?v=UvkErglcks8&feature=related
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楓 ―恋うた(76)―

2008年02月12日 | 恋部屋
――楓
1998年、スピッツのリリース。
もともとアルバムに収録されていたが、
好評だったため、
シングルとして発売される。

数あるスピッツの楽曲の中で、
「楓」は人気が高い。
作詞作曲は共に草野政宗。

 かわるがわるのぞいた穴から
 何を見てたかなぁ?
 一人きりじゃ叶えられない
 夢もあったけれど
 さよなら 君の声を 抱いて歩いていく
 ああ 僕のままで どこまで届くだろう
 (「楓」より)

ウィキペディアによると、
楓(かえで)はカエルの手に似ていて、
カエルデから転訛したらしい。

遠い町に住む人がこの曲をよく聴いていた。
「楓」を繰り返しスピーカーから流す。
すれ違う人は
どんな「君の声」を抱いて
生きているのだろう――

(参照URL)
ユーチューブで聴く「楓」
http://www.youtube.com/watch?v=K_UMJKD7_aA
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涙のセレナーデ(2) ―恋うた(75)―

2008年02月10日 | 恋部屋
長渕剛の「涙のセレナーデ」。
初期の長渕を初めて目にし、
あまつさえその歌声を耳にした衝撃は忘れられない。

同姓同名の歌手ではないかと疑ったほど、
「とんぼ」(TBS)のイメージとは程遠かった。
甲高い裏声に
甘酸っぱいメロディ。
その歌詞は男に捨てられる女心を唄っている。
威圧感を漂わせる「とんぼ」の長渕は、
微塵もなかった。

 電話の横にあの人がいるんでしょ
 こんな私にもわかるのよ
 ばかな女だと笑ってるでしょ
 わざとらしい会話はやめてよ
 (「涙のセレナーデ」より)

概して男臭い男は、
より女っぽいものである。
女性性を強く持っているからこそ、
男性性がその分表面に出るのかもしれない。

「涙のセレナーデ」は1999年にシングルで発売された。
その頃の長渕は、
もはや初期の面影はない。
髪は短く、
声は嗄れている。
もちろん初期と通ずるものはあるが、
少なくとも見た目は別人のようである。

しかし、曲は変わらず聴かせる。
いまでも変わり続ける長渕剛は
一体どこへ向かっているのだろう。
管見によると、
どうやら南かもしれない。
すなわち、長渕のふるさと鹿児島である――

(参照URL)
ユーチューブで聴く「涙のセレナーデ」
http://www.youtube.com/watch?v=mUXgWAUNqkI
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涙のセレナーデ(1) ―恋うた(74)―

2008年02月09日 | 恋部屋
――涙のセレナーデ
1980年、長渕剛のリリース。
小学生のときに初めて知った長渕剛は、
歌手というより俳優として
テレビに映っていた。

その役はチンピラ。
のちに映画にもなった「とんぼ」(TBS)である。
長渕が醸し出す雰囲気はナイフそのもの。
鋭利に尖り、
彼の映る景色全てがピリピリして見えた。
幼心に長渕剛は「怖い人」でしかなかった。

ところがである。
氏の初期アルバムを初めて手にして目を疑った。
長い髪、
優しく気弱そうな笑顔、
花束を持ち、
潤んだ瞳でこちらを見ている。

あのツンツンした威圧感はどこにもない。
アイドルか、
さわやかな好青年である。
「誰、この人?」とそんな言葉も出てくる。
ジャケットのミスとも思ったが、
長渕剛で間違いない。

「とんぼ」で初めて長渕剛を知った者には、
おそらくこれと同じ衝撃を受けたのではないだろうか。
人は変わるもの、と言う。
しかし変わりすぎである。
少なくともその外見は。

そして歌声を聴いてさらに疑わずにはいられなかった。
本当にあの長渕剛なのかと……。
(続く)

(参照URL)
ユーチューブで聴く「涙のセレナーデ」
http://www.youtube.com/watch?v=mUXgWAUNqkI
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君が好きさ ―恋うた(73)―

2008年02月07日 | 恋部屋
――恋をしているときは楽しくて
   愛しているときは苦しい

山崎富栄の言葉である。
太宰治と共に入水した女性として知られる。

恋は「心」が下にあるから下心。
愛は真ん中だから真心と
誰かの小説で読んだことがある。
その違いは思いのほか簡単なのかもしれない。

松山千春がリリースした「君が好きさ」。
切ない恋心を唄っている。
遠くから見ているだけの自分だけど、
「君のすべてが欲しい」と……

太宰に恋をしたとき、
富栄は楽しかったに違いない。
恋を中心に世界は回り、
ときめく心は日常を一変させた。
富栄にとって、太宰は最初で最後の恋だった。

しかし、相手は妻子のいる男。
その全てを欲しいと思っても、
社会がそれを許さない。
あまつさえ、太宰にはもうひとり愛人がいる。

恋や愛の苦しみの根幹は、
欲する心ではないだろうか。
欲するから、傷つき苦しみ涙を流し、
また幸せも運んでくる。
欲さなければ何もない。
所有、独占欲が心を縛り付ける。
それは
仕方のないことなのだけれど……

恋は楽しく、
愛は幸せと地獄のいずれかなのだろうか。
「御一緒につれてっていただく」
富栄はそう書き残し、
太宰と玉川上水に身を投げた。
また、別の日にこう書いている。
「私ばかりしあわせな死に方をしてすみません」
28年の生涯だった。

(参照URL)
ユーチューブで聴く「君が好きさ」
http://www.youtube.com/watch?v=Wx0QwfdGqro&feature=related
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