「ピエロ」の独り言

四国の山の中、久万町に住む「ピエロ」。人は皆「道化師」です。独り言を掲載します。

過去最高齢の被爆者の逝去

2021年11月05日 15時45分51秒 | 日韓関係
<center><img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/e1/cf14d8cc1c52516b55ad6887d8dbde3b.jpg" border="0"></center>
<b>2021.11.5.
<font color="red">今日の写真】
今日の写真は、谷向こうの知人Yさんから去年株を頂戴した「ホトトギス」です。この間も、切り花にした「ホトトギス」とかわいい「黄菊」を頂戴しました。「亡妻」の簡易仏壇に供えさせていただいています。
</font>


<font color="pink">【身近な話題】
今日も、変化の多いお天気です。そして「カメムシ」が越冬のため今が最盛期のようにたくさん窓などに取り付いています。ですから変わりやすいお天気と同時にカメムシが洗濯物に集らないように外には出せない状態です。お隣の「秋本さん」が来られて、パソコンで「アマゾンを利用しているので「フィッシングメール」に気を付けてくださいよ」とアドバイスいただきました。以前から怪しいメールが、アマゾンやヤマト運輸を騙る発信元不明のメールは「迷惑メール」に指定していいましたので、一応は対策していたのでした。ありがたいアドバイスです。
今日の体重69.3(+100g )
</font>


<font color="orange">【話題】11/5(金) 13:14共同通信配信
『過去最高齢の被爆者代表が死去 長崎の岡信子さん』 
長崎原爆で負傷者らの救護活動に当たり、今年8月の長崎市の平和祈念式典で過去最高齢の被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた岡信子(おか・のぶこ)さんが4日午前8時42分、肺がんのため長崎市の病院で死去した。93歳。長崎市出身。関係者のみでお別れを済ませる。
 16歳で看護学生だった1945年8月9日午前11時2分、長崎市の爆心地から約1.8キロの自宅で被爆。けがを負い、父の行方も分からない中で、市内最大の救護所となった新興善国民学校で被爆者の救護に当たった。
数年前から、若い世代の人々に原爆の悲惨さを証言する活動を続けてきた。
</font>


<font color="lime">【私の意見】*本当に悲しい事実です。93歳のご高齢ですから、仕方のないことかも分かりません。宿命でしょうか? 長い間被爆者としてのご活躍は敬意に価します。どうか安らかにお眠りください。しょうかね。
</font>
</b>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする