再放送でOAしてくださったNHKスペシャル「栄光への架橋 ふたたび」。
ロンドン五輪の前にも再放送があって、それを見て、私の知らない航平君の姿にとっても胸キュンしたものでした。
それをまたふたたびOAしてくださって、しかも、冨田さんの解説付きって、嬉しい限りです(*^。^*)。
本編は、以前にレポしたことがあったので、まずは、番組を見終わっての解説部分をアップしたいと思います。
ー10年前、北京オリンピックに挑む体操男子団体の、代表合宿の記録でした。改めてご覧いただいていかがでしたか?

冨田さん:「当たり前ですけど、みんな若いな~というのと、合宿ならではの雰囲気というか、息苦しさをちょっと感じましたね。」
ーキャプテンでいらっしゃったんですよね。
「ええ。まあ、若い選手も、その時に初めて会ったわけでもないですし、日ごろから試合会場とかでも声をかけたりとかいう形で、コミュニケーションは取れてたんで、みんなで、切磋琢磨してやろうっていう雰囲気でしたね。」
ー3か月の記録ということですが、19歳の内村選手ですね・・・。
「はい。この北京オリンピックの合宿以降、ガラッと人が変わったような、体操に取り組む姿勢とかがガラッと変わったのが内村なんで、非常に貴重な映像だったんじゃないかと思いますね。」
ー関根さんは、どうご覧になりましたか?

関根さん:「いやね、19歳でね、日本代表ですよ。しかも。前回金メダルを獲っている、このプレッシャーの中でね、身体がまだできてないですよね。大人の身体になり切ってないんで。特につり輪なんてパワーが必要。初めて挫折をあそこで味わったんじゃないですかね。それでまあ、先輩もいる。具志堅さんからね、お前、もっと責任持て、って言われてね、内村選手の苦悩と、成長をたっぷりみられて、今の内村選手があるのはあそこだったのか、と、原点を見たような気がしましたね。いやあ、しかし、厳しいですね。」
「淡々と練習するしかないですね。」
「0.1ポイントのことをずっと考えていくんですね。」

ー北京大会から、いわゆるルールが変わって、難易度が上がれば上がるほど上限なく加点されていくという。
「2006年から使っていた、10点満点が廃止されて、上限なしという形に変わったので、本当に変わった当初というのは、どこまで難易度を上げていったらいいのか、何点の演技構成を組めば、世界的に通用するのかというのを、試行錯誤しながら取り組んでましたね。0.1難易度で上げようとすると、すごい努力が必要なんですけど、0.1減点されるのは、すぐ減点されてしまう。足が動くだけで0.1下がるんで。非常にシビアなルールになりましたね。」
ー結果的に、銀メダルだったんですね。体操男子団体、こう見ていくとね、日本はいつも金メダル争いをしている・・

「この安定感は、世界一ですね。日本人に向ていますよね。繊細で細かくて…パワーでぶつかり合うっていう競技じゃないですもんね。」
「そうですね。自分の身体との対話という、その辺の感覚の受け取り方というのは、日本人は非常に繊細だと思います。」
ー北京とロンドンで、中国との差というのはどういうものだったんでしょうか。
「北京の時は、地元中国ということで、プレッシャーもあったと思うんですけど、中国の皆さんの声援を力にして、圧倒的な力で金メダルを勝ち取っていったんで・・。点数差以上に、実力差があったなという実感ですね。ロンドンは、実力を発揮すれば金メダルが獲れるんじゃないかなという期待を持っていたんですけど、少し日本のミスが多く出てしまって、2位にとどまってしまったという・・。」
そして、2年前があのリオデジャネイロオリンピックですよね。
「素晴らしかったですよね~」

ーチームの中心にいたのは、北京、ロンドンを経験した、内村航平選手でした。
3度目となるオリンピックに向けて、内村選手はこう語りました。

航平君:「やはり、団体の金メダルというものが一番近い状態で臨めるオリンピックだと思うので、確実に取りたい。」

ー団体金メダルへの思いを強くさせたのが、ロンドンオリンピック。エースとして出場しましたが

ー失敗した仲間を支えることもできませんでした。

「余裕なかったですね。声をかけなきゃいけない時にかけれないというか。」

「そこをどうやったらいいのかな、っていう風に、すごい考えさせられた大会だったかな、と思いますよね。」

ーロンドンを期に、内村選手は、チームメイトに積極的にアドバイスするようになりました。


「自分一人の力じゃどうしようもできないっていうところが、難しいところでもある。」

「みんなを鼓舞していかなきゃいけない。」

ーそして、迎えたリオデジャネイロオリンピック。







「いや、素晴らしい。内村選手は冷静、結構クールなんで、個人の金メダルの時には、あれほど笑顔は見せなかったですよね。団体がよっぽど嬉しかったんでしょうね。」
「比べ物にならないくらい、嬉しいですね。」
ーそして、内村選手の表情が、あの19歳の時からすごくきり!っと。」
「人間的にも成長してね、選手に声をかけるようになってきたという。孤高の天才だったわけですよね。それが、心を開いて、チームリーダーになっていったという大会でしたよね。」
「そうですよね。悔しい思いをプラスに変えて、成長していった証が、リオでの結果だという風に思いますね。」
ー2020年の東京、日本はオリンピックの王者として迎えることになるんですね。期待していらっしゃる方も多いと思います。

「いや、素晴らしいですね。また19歳出てきましたね。(翔君の紹介もあり)新王者!内村選手を中心として、良いメンバーが組めそうですね。内村選手は、自分の後継者が出てきてくれたんで、少しは安心もあるでしょうね。ただ、王者としてのプライドもあるし。まだまだ若いのには負けられないぞ、っていうのもあるでしょうし。楽しみですね。」
ー団体で勝つためには、どんなことが必要ですか?
「連覇がかかる、更に地元での開催。かなりプレッシャーが高くなってくると思うんで、そのプレッシャーに打ち勝つだけの練習量、完成度というのが、まずもっては必要じゃないかなという風には思います。」
「冨田さん、どうですか?ホームというのは、有利にもなる、しかし期待がプレッシャーにもなる、どっちが上手く作用しそうですか?」
「それは、選手個人個人でどれだけ練習が積めてこれたか、自信を持ってるかで、ガラッと変わってくると思います。東京に向かっていくぞというのは、いち早く準備できてるわけですから、そこに向かっていく姿勢というのはもうできてるはず。」
「連覇とか言われると嫌ですもんね。」
「そうですね。連覇とか金メダルっていうのは、私自身の経験ではプレッシャーにしかならなかったので。どうしても金メダルを獲るっていうのはあいまいな行動で、実際やらなくてはいけないのは自分の演技だったり、チームメイトとのコミュニケーションだったりなので、そこにしっかり集中していけるような環境が整っていればなという風に思います。」
ロンドンで、団体の銀メダルを見つめる航平君の姿は、何度見ても胸を締め付けられる。
あの時も航平君はチームを引っ張るつもりでいた。
声をかけたりは自分には無理だから、演技で引っ張っていきたい。
そういつも言っていました。
でも、何かが違っていたと、きっとそう感じたのでしょう。
どれだけ考えたか。どれだけ悩んだか。
ロンドンはとてもほろ苦い大会になったけれど、でも、あの大会があったから今がある。
圧倒的なリーダシップを発揮してリオで団体金メダルを獲得した航平君。東京に向けて、そのリーダーシップはまた違った形に変わっていくような気がします。
それがどのように変わっていくのか、それを見続けることが出来るのがとても幸せです。

ロンドン五輪の前にも再放送があって、それを見て、私の知らない航平君の姿にとっても胸キュンしたものでした。
それをまたふたたびOAしてくださって、しかも、冨田さんの解説付きって、嬉しい限りです(*^。^*)。
本編は、以前にレポしたことがあったので、まずは、番組を見終わっての解説部分をアップしたいと思います。
ー10年前、北京オリンピックに挑む体操男子団体の、代表合宿の記録でした。改めてご覧いただいていかがでしたか?

冨田さん:「当たり前ですけど、みんな若いな~というのと、合宿ならではの雰囲気というか、息苦しさをちょっと感じましたね。」
ーキャプテンでいらっしゃったんですよね。
「ええ。まあ、若い選手も、その時に初めて会ったわけでもないですし、日ごろから試合会場とかでも声をかけたりとかいう形で、コミュニケーションは取れてたんで、みんなで、切磋琢磨してやろうっていう雰囲気でしたね。」
ー3か月の記録ということですが、19歳の内村選手ですね・・・。
「はい。この北京オリンピックの合宿以降、ガラッと人が変わったような、体操に取り組む姿勢とかがガラッと変わったのが内村なんで、非常に貴重な映像だったんじゃないかと思いますね。」
ー関根さんは、どうご覧になりましたか?

関根さん:「いやね、19歳でね、日本代表ですよ。しかも。前回金メダルを獲っている、このプレッシャーの中でね、身体がまだできてないですよね。大人の身体になり切ってないんで。特につり輪なんてパワーが必要。初めて挫折をあそこで味わったんじゃないですかね。それでまあ、先輩もいる。具志堅さんからね、お前、もっと責任持て、って言われてね、内村選手の苦悩と、成長をたっぷりみられて、今の内村選手があるのはあそこだったのか、と、原点を見たような気がしましたね。いやあ、しかし、厳しいですね。」
「淡々と練習するしかないですね。」
「0.1ポイントのことをずっと考えていくんですね。」

ー北京大会から、いわゆるルールが変わって、難易度が上がれば上がるほど上限なく加点されていくという。
「2006年から使っていた、10点満点が廃止されて、上限なしという形に変わったので、本当に変わった当初というのは、どこまで難易度を上げていったらいいのか、何点の演技構成を組めば、世界的に通用するのかというのを、試行錯誤しながら取り組んでましたね。0.1難易度で上げようとすると、すごい努力が必要なんですけど、0.1減点されるのは、すぐ減点されてしまう。足が動くだけで0.1下がるんで。非常にシビアなルールになりましたね。」
ー結果的に、銀メダルだったんですね。体操男子団体、こう見ていくとね、日本はいつも金メダル争いをしている・・

「この安定感は、世界一ですね。日本人に向ていますよね。繊細で細かくて…パワーでぶつかり合うっていう競技じゃないですもんね。」
「そうですね。自分の身体との対話という、その辺の感覚の受け取り方というのは、日本人は非常に繊細だと思います。」
ー北京とロンドンで、中国との差というのはどういうものだったんでしょうか。
「北京の時は、地元中国ということで、プレッシャーもあったと思うんですけど、中国の皆さんの声援を力にして、圧倒的な力で金メダルを勝ち取っていったんで・・。点数差以上に、実力差があったなという実感ですね。ロンドンは、実力を発揮すれば金メダルが獲れるんじゃないかなという期待を持っていたんですけど、少し日本のミスが多く出てしまって、2位にとどまってしまったという・・。」
そして、2年前があのリオデジャネイロオリンピックですよね。
「素晴らしかったですよね~」

ーチームの中心にいたのは、北京、ロンドンを経験した、内村航平選手でした。
3度目となるオリンピックに向けて、内村選手はこう語りました。

航平君:「やはり、団体の金メダルというものが一番近い状態で臨めるオリンピックだと思うので、確実に取りたい。」

ー団体金メダルへの思いを強くさせたのが、ロンドンオリンピック。エースとして出場しましたが

ー失敗した仲間を支えることもできませんでした。

「余裕なかったですね。声をかけなきゃいけない時にかけれないというか。」

「そこをどうやったらいいのかな、っていう風に、すごい考えさせられた大会だったかな、と思いますよね。」

ーロンドンを期に、内村選手は、チームメイトに積極的にアドバイスするようになりました。


「自分一人の力じゃどうしようもできないっていうところが、難しいところでもある。」

「みんなを鼓舞していかなきゃいけない。」

ーそして、迎えたリオデジャネイロオリンピック。







「いや、素晴らしい。内村選手は冷静、結構クールなんで、個人の金メダルの時には、あれほど笑顔は見せなかったですよね。団体がよっぽど嬉しかったんでしょうね。」
「比べ物にならないくらい、嬉しいですね。」
ーそして、内村選手の表情が、あの19歳の時からすごくきり!っと。」
「人間的にも成長してね、選手に声をかけるようになってきたという。孤高の天才だったわけですよね。それが、心を開いて、チームリーダーになっていったという大会でしたよね。」
「そうですよね。悔しい思いをプラスに変えて、成長していった証が、リオでの結果だという風に思いますね。」
ー2020年の東京、日本はオリンピックの王者として迎えることになるんですね。期待していらっしゃる方も多いと思います。

「いや、素晴らしいですね。また19歳出てきましたね。(翔君の紹介もあり)新王者!内村選手を中心として、良いメンバーが組めそうですね。内村選手は、自分の後継者が出てきてくれたんで、少しは安心もあるでしょうね。ただ、王者としてのプライドもあるし。まだまだ若いのには負けられないぞ、っていうのもあるでしょうし。楽しみですね。」
ー団体で勝つためには、どんなことが必要ですか?
「連覇がかかる、更に地元での開催。かなりプレッシャーが高くなってくると思うんで、そのプレッシャーに打ち勝つだけの練習量、完成度というのが、まずもっては必要じゃないかなという風には思います。」
「冨田さん、どうですか?ホームというのは、有利にもなる、しかし期待がプレッシャーにもなる、どっちが上手く作用しそうですか?」
「それは、選手個人個人でどれだけ練習が積めてこれたか、自信を持ってるかで、ガラッと変わってくると思います。東京に向かっていくぞというのは、いち早く準備できてるわけですから、そこに向かっていく姿勢というのはもうできてるはず。」
「連覇とか言われると嫌ですもんね。」
「そうですね。連覇とか金メダルっていうのは、私自身の経験ではプレッシャーにしかならなかったので。どうしても金メダルを獲るっていうのはあいまいな行動で、実際やらなくてはいけないのは自分の演技だったり、チームメイトとのコミュニケーションだったりなので、そこにしっかり集中していけるような環境が整っていればなという風に思います。」
ロンドンで、団体の銀メダルを見つめる航平君の姿は、何度見ても胸を締め付けられる。
あの時も航平君はチームを引っ張るつもりでいた。
声をかけたりは自分には無理だから、演技で引っ張っていきたい。
そういつも言っていました。
でも、何かが違っていたと、きっとそう感じたのでしょう。
どれだけ考えたか。どれだけ悩んだか。
ロンドンはとてもほろ苦い大会になったけれど、でも、あの大会があったから今がある。
圧倒的なリーダシップを発揮してリオで団体金メダルを獲得した航平君。東京に向けて、そのリーダーシップはまた違った形に変わっていくような気がします。
それがどのように変わっていくのか、それを見続けることが出来るのがとても幸せです。