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名所江戸百景013 第90景 猿わか町よるの景 浅草寺と墨田公園の桜

2013-04-04 09:05:03 | 名所江戸百景
 こんにちわ、「くまドン」です。

 今日の東京は雨が降り、予想を超える長持ちをした桜も終わりとなりますね。
 桜が散る前に、急いで桜のプログを載せようと焦り続けてプログをアップしてきました。そろそろ休日までに準備した分がなくなり、今週の更新は限界のようです。

 一応、名所江戸百景「くまドン版」で、桜10景分は載せることができましたので、桜の話題は今回までにして、前後関係を無視できる昨年と今年撮影した残りの桜景分は来年に回すことにしました。
 これで、ペースを落として、皆様の書かれたプログを拝見していられそうです。(笑)

 下は、墨田区の浅草(あさくさ)にある浅草寺(せんそうじ)です。
 くまドンのカメラは絵画調に変換するフィルタがついています。写真と比べて、明暗比の大きい場合は有利になります。くまドン旅日記でと写真と併せてお見せいたします。(絵画調の場合、明記します。)

 右にあるのぼり旗に書いてある「大絵馬寺宝展 庭園拝観」は、東日本大震災義援金を集める為に、2013年も期間限定やっています。
   時期:2013年3月21日(木)~5月7日(火)、入場時間:10時~16時、入場料300円
 伝法院(でんぼういん、浅草寺の本坊)にある小堀遠州の作と伝えられる回遊式庭園があります。普段は一般には公開されていません。2011年に国の名勝に指定されました。

 今回は、前回の続きで、墨田公園北側から始めます。
 浅草寺へは周り道になりますので、ショートカットされる場合は、墨田公園すぐ近くの言問橋(ことといばし)を渡れば、台等区側の浅草に着きます。

 墨田区側の墨田公園北側にある牛嶋神社(うしじまじんじゃ)から、少し北側に行くと三囲神社(みめぐりじんじゃ)があります。


 この神社には「ライオンの狛犬」があります。池袋の三越(みつこし)に置かれていた像を、ごく最近の2009年に三越から奉納(ほうのう)されたものです。同じものが、日本橋にある三越にも置いてあります。


【ライオン狛犬の由縁】
 江戸時代の元禄の頃(1693年)の話です。俳句で有名な松尾芭蕉(まつおばしょう)の第一の弟子といわれる其角(きかく)という人がいました。
 この地で雨が降らず、水不足で旱魃(かんばつ)になりました。たまたま、この俳人・其角がやってきた所、地元の人に「助けてほしい」と頼まれました(なぜ、俳人に頼む?)。
 其角は、この神社に雨乞いする人に代わり、「遊(ゆ)ふた地や田を見めくりの神ならは」と一句を神前に奉ったところ、翌日、雨が降ったそうです。(なんというタイミングの良さ!)
 当時の有名な俳人の話ですから、三囲神社の名は広まりました。
 京都の商人・三井(みつい)家が江戸に進出する時に、三越の本支店に分霊を祭り、守護神としたそうです。
 考えてみると、この「三囲」という文字は、三井に似てますね。

 隅田川に行くと、川岸に桜の木が並んでいます。前回も書きましたが、隅田川の桜は八代将軍・吉宗の命にて植えられました。江戸時代から花見の名所でした。
 この付近は、名所江戸百景「第34景 待乳山山谷掘夜景」が描かれた場所です。左右に流れる川の向こうに見える水路が山谷掘(さんやぼり)です。真ん中奥に見えるのが待乳山聖天(まつちやましょうでん)です。


 川沿いに北に歩いて行くと、桜橋(さくらばし)があります。隅田川にX字形にかかる人道橋です。


 桜橋を渡り、台東区側に行きます。ここで折り返して、隅田川沿いに下っていくと、この時は2012年の春で、工事中で通れない所がありました。(2013年3月も工事していました)。

 この場所に、のぼり旗のある建物がありました。「平成中村座(へいせいなかむらざ)」です。
 上の名所江戸百景「第34景 待乳山山谷掘夜景」の山谷掘の入り口に当たる場所に建っていました。
 くまドンは、平成中村座を名所江戸百景「第90景 猿わか町よるの景」に対応する「くまドン版」に加えられないかと考えましたが、・・・・・・・・・仮説の芝居小屋であったので、その後に2012年6月頃に来た時は、すっかり、無くなっていました。
 再び、「くまドン版」の候補を再検討することになりました。(汗!!!)

【平成中村座】
 2000年11月、この山谷掘(さんやぼり)の地で江戸時代の芝居小屋を見本に造られた仮設芝居小屋で上演したが始まりです。
 その後、場所を変えて(浅草寺、名古屋城、大阪城、ニューヨークなど)、不定期で上演されています。
 2011年11月~2012年5月までスカイツリー開業記念に異例のロングランで上演されました。

【江戸時代の中村座】
 江戸の歌舞伎劇場で江戸三座の一つです。座元は中村勘三郎(なかむらかんざぶろう)です。
 江戸時代の寛永年間(3代家光の頃)に、猿若勘三郎(初代中村勘三郎)が江戸の京橋の辺りに芝居小屋を建てて、江戸歌舞伎が始まったそうです。始めた頃は「猿若座」という名前でしたが、「中村座」と名前を改めました。
 天保年間(12代家慶の頃)に、中村座からの出火が原因の火事で、付近一帯を燃やしてしまい、天保(てんぽう)の改革によって、浅草に移転させられました。ここには歌舞伎3座と芝居小屋2座が集まることになり、町名は初代勘三郎に因んで「猿若町」(現在の台等区浅草6丁目)と名づけられたそうです。
 明治になり、浅草の南にある鳥越町に引っ越し、再び「猿若座」となりましたが。火災が原因で焼失して、廃座となったそうです。

 下の絵は、名所江戸百景「第90景 猿わか町よるの景」です。

 浅草にあった歌舞伎3座と芝居小屋2座の風景です。
 南に高く上った月が、道行く人に月影を落としている情景です。月の情景の中では評価の高い絵です。
 構図は、左右対称形にならないように道の真ん中ではなく、やや左に移動した位置から遠近法を使用して描いています。

 さて、再び、隅田川べりを歩き、言問橋と東武線の下も通過すると、浅草寺はすぐ西側にあります。
 墨田側越しに墨田区側をみると、金色のビルがあります。「アサヒビール」の本社ビルです。壁にスカイツリーが反射して写せることで有名なビルです。
 右隣のビルは「スーパードライホール」です。その上にあるオブジェの正式名称は「フラムドール(フランス語 flamme d'or、金の炎)」だそうです。フランスの有名デザイナーフィリップ・スタルクによる設計とのことです。アサヒビールの燃える心を象徴する「炎のオブジェ」だそうです。
 ・・・・・・・くまドンは、「金の炎」ができた頃、「日本の芸術家 岡本太郎が○○○を見てひらめいた」というデマを友達から聞かされ、当時は信じていました。インターネットも産声を上げた頃の情報量の少ない時代ですからね。(汗)

 この時は、すでに夕暮れになっていましたので、堤防にある桜の花に日が当らず、暗くなっていましたので、ストロボを使用して、スカイツリーと明るさ(露出)を合わせました。しかし、桜も奥行きがあるので、奥の方は暗くなっています。


 さて、浅草の雷門(らいもん)に着きました。門の上に書いてある「金龍山」は浅草寺の山号です。真ん中の「雷門」と書かれた提灯と、左右の「雷神」「風神」像は有名です。ライトアップが始まる時間のようです。


 雷門を通り、仲見世を進むと、「宝蔵門(ほうぞうもん)」があります。正面の両側に金剛力士(仁王)があることから仁王門とも呼ばれます。
 絵画調


 下の写真は門の裏側から見ているので、魔よけの為に置かれた「巨大わらじ」がつりさげられています。わらじに「山形県村山市」と書いていあります。これは金剛力士像の右(東)一体を作った木彫家・村岡久作が村山市出身ということから製作奉納されたそうです。
 浅草の人達によって植えられた桜が咲いています。
 奥に見えるは五重塔です。五重塔の横に夕日が落ちようとしています。


浅草寺の夜景は後日にさせていただき、別の日の昼間に撮影した浅草の写真で今回は終わります。

  絵画調


 下の写真は、前日の雨で壊れた提灯を直している働く浅草の方。



 これで、今回は終了です。ありがとうございました。


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