こんにちわ。「くまドン」です。
今回は、前回の「松戸の渡し」の金町側に続き、千葉県・松戸(まつど)側の「旧徳川家住宅 松戸 戸定邸(とじょうてい)」の話です。
10月に金町側の撮影後に、あちこちに回り過ぎて、夕方までに松戸にたどり着けなかったので、平成22年(西暦2010年)梅雨(つゆ)時に撮影した写真を使用します。この日も曇りでした。
水戸藩(みとはん)最後(11代)藩主・徳川昭武(とくがわあきたけ)が、松戸に造った別邸(明治17年完成)です。
徳川昭武は、江戸幕府・最後の15代将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の弟にあたり、父親が同じ水戸藩・9代藩主・徳川斉昭(とくがわ なりあき)です。明治維新の混乱の中、慶応4年(=明治元年)に兄にあたる先代の水戸藩10藩主・徳川 慶篤(とくがわよしあつ)が死去した為、フランスのパリ留学中から戻った翌年・明治2年になってから、水戸藩主を継ぐことになります。
「戸定が丘歴史公園」の中にありますが、「日本の歴史公園100選」の一つとなっています。
(色々あって、後から追加した分も含めて、250カ所が選択されているのですが)
松戸・戸定邸は、近年になって、国の重要文化財と名勝(めいしょう)の指定を受けています。
公園入口の階段を登ると門がありました。
歴史館もあるのですが、この日は資料整理中で、休館日でした・・・・・・
公園内の通路を通り、戸定邸に向かいます。
明治17年に完成し、実際の生活の場として使用されていたようです。
日本の建築様式のひとつである欄間(らんま)の模様は色々ありました。
縁側の廊下(ろうか)の天井です。
明治時代になってから作られたので、庭に芝(しば)になっており、和洋混在の庭園です。
下の図は、前回も載せました明治13年の測量で作成されたフランス式彩色図の中にある「松戸の渡し」周辺です。迅速測図(じんそくそくず、簡易地図)のですが、彩色が美しい地図です。この頃は、まだ戸定邸はありませんが、その場所は、前回説明した「松戸の渡し」のすぐ右(東)側に丘の上にあります。(△印の測定点のある所です。)
「江戸名所図会(えどめいしょずえ、江戸時代の地誌紀行図鑑)」のおいては、「松戸の津(つ、船着き場)」が紹介されています。「常陸街道(ひたちかいどう)にして駅舎あり。」から始まり、
平安時代中期の女性日記文学として有名な更級日記(さらしなにっき、作者:菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ))の「産後の乳母(めのと)を見舞う」の中に、
「太井川(ふといがわ)といふが上の瀬、松里の渡りの津にとまりて、夜一夜、舟にてかつがつ物など渡す。」
と書いてあるが、「松里」とは「松戸の渡し」のことであろうかと推察しています。「太井川」は、現在の江戸川です。
下の写真のように、この庭から江戸川と葛飾橋を見下ろせます。戸定邸のある場所は、「松戸の渡し」正面のすぐ近くにある丘の上です。のこの庭から眺める景色は、明治から変わりゆく時代を映し出していたのでしょうね。
明治30年代には、兄の元将軍・徳川慶喜も何度か訪れ、弟の昭武と共に趣味の写真撮影などを楽しんだそうですが、当然、この庭から移り変わっていく明治の松戸や金町の街並みや、道行く人の往来を眺めていたのでしょうか・・・・・・
広間の上座にあたる床の間(とこのま)です。
(1)前回までの「逆井の渡し」「平井の渡し」「にい宿の渡し」「小岩・市川の渡し」「今井の渡し」「矢切の渡し」「松戸の渡し」のブログは以下の通りです。
「名所江戸百景277 第67景 逆井のわたし 平井諏訪神社と旧中川」
「名所江戸百景279 第93景 にい宿のわたし 蛇行する中川の流れと歴史」
「名所江戸百景280 第94景 真間の紅葉手古那の社継はし 元佐倉道と小岩市川の渡し」
「名所江戸百景281 第71景 利根川ばらばらまつ 今井の渡し」
「名所江戸百景282 第67景 逆井のわたし 旧中川のシラサギ」
「名所江戸百景283 第67景 逆井のわたし 旧中川のふれあい橋」
「名所江戸百景030 第93景 にい宿のわたし 矢切の渡し」
「名所江戸百景031 第93景 にい宿のわたし 柴又帝釈天」
「名所江戸百景284 第93景 にい宿のわたし 「松戸の渡し」金町関所」
最後に、関係ない方向に話が脱線しますので、そのまえに、邸以外の公園内の写真でも区切りとして、入れておきます。
和風に合わせての雰囲気がありますね。
今回は、これで終わりとさせていただきます。
急に厳しい話になりますが、特に何のしがらみもない小さな個人ブログですので、自由な考えで脱線させていただきます。上の話と別になりますので、せっかくの気分を壊しかねないので、話の外に置きます。
この戸定邸は、実は「富士見百景」に指定される富士山展望の好所だったのですが、最近、正面にタワービルが建って、富士山が見えなくなってしまったそうです。
「くまドン」も、名所江戸百景の撮影でタワービルの展望台も利用してはいますが、なんとなく、あちこちに乱立していくタワービルは好きになれません。
景観の問題とは別に、日照権(にっしょうけん)の問題回避の為に、タワービルが細長だから、一定時間以上、地域の日光を遮らないので合法と言う考えが、どうしても納得できないのです。(それ以外にも、過去には借地による建ぺい率のゴマカシ問題がありました。)
現在のバブル経済の時のような都心のビル建設ラッシュも、いつまでも続きませんから、バブル崩壊後の負の遺産と同様になるのは目に見えていると考えています。ごまかしの建ぺい率緩和などを止めて、過剰なビル建設を抑止して欲しいと思っています。
舛添要一(ますぞえよういち)・前東京都知事が問題になった「違法にならなければ、税金を勝手に使用できる」というような、現在の政治全体に蔓延(まんえん)している身勝手な考え方に反感を感じ、今の政治を叩き直して、健全な方向に向けて欲しいと思っています。その意味でも、舛添氏が、色々な問題で失職して、良かったと思うし、さらには、他の政治家の税金の使い方についても、しっかり叩き直して欲しいと思います。
「くまドン」としては、現在の小池百合子(こいけゆりこ)・現東京都知事の「都民ファースト」の考えを応援したいと思います。オリンピック予算削減(競技場の見直し)を始めとして、税金のムダ使いや公共事業の私物化・散財を終わらせて、都民の為の健全な都政と財政を構築して欲しいと思っています。
その意味でも、明後日の10/23(日)衆議院2選挙区の補欠選挙日で、選挙区外で直接投票には関係ないのですが、衆議院・東京都第10区では、小池氏を応援する若狭勝(わかさまさる)候補に当選して欲しいと思っています。
逆に、いたずらな公共事業ばかり唱える放漫経営で、中国や韓国に媚売っているよう二階俊博(にかいとしひろ)・自民党幹事長は、さっさといなくなって欲しいと思います。こういう人達がはびこるから日本がダメになると思っています。
その為にも、福岡県第6区では、自民党の世襲の2候補よりも、不満票を他候補に入れるべきだと思っています。農村部で自民党の強い選挙区ですが、農業関係者もTPPが反対であれば、しっかり反対の意思表示して、自民党に圧力をかけるべきだと思いますよ。基本的に民主主義の世界ですから、後任者は、しっかりした人を住民の中から育て、選んで行くのが基本なのですから、「弔い合戦(とむらいがっせん)」と言う言葉にゴマかされて、世襲制を肯定している時点で、完全に間違っていると思います。
なお、初めて見る人はびっくりしていると思いますので、念のため書いておきます。
「くまドン」は反中反韓ということを、最初の「あいさつ」書いて始めて、何度も批判していますので、特に何か変わったという分けではありません。
(ただし、元々は写真・旅行・歴史のブログを作りたかっただけで、余り政治の話はしたくないのも本心です。3月以降、現在の政治を見て、「ろくでもない事をやっている」と思っても、政治がらみ問題を書くと、体力的にも精神的にも、余計な負荷がかかるので、家の用事や仕事もありますので、言わないで我慢していました。)
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今回は、前回の「松戸の渡し」の金町側に続き、千葉県・松戸(まつど)側の「旧徳川家住宅 松戸 戸定邸(とじょうてい)」の話です。
10月に金町側の撮影後に、あちこちに回り過ぎて、夕方までに松戸にたどり着けなかったので、平成22年(西暦2010年)梅雨(つゆ)時に撮影した写真を使用します。この日も曇りでした。
水戸藩(みとはん)最後(11代)藩主・徳川昭武(とくがわあきたけ)が、松戸に造った別邸(明治17年完成)です。
徳川昭武は、江戸幕府・最後の15代将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の弟にあたり、父親が同じ水戸藩・9代藩主・徳川斉昭(とくがわ なりあき)です。明治維新の混乱の中、慶応4年(=明治元年)に兄にあたる先代の水戸藩10藩主・徳川 慶篤(とくがわよしあつ)が死去した為、フランスのパリ留学中から戻った翌年・明治2年になってから、水戸藩主を継ぐことになります。
「戸定が丘歴史公園」の中にありますが、「日本の歴史公園100選」の一つとなっています。
(色々あって、後から追加した分も含めて、250カ所が選択されているのですが)
松戸・戸定邸は、近年になって、国の重要文化財と名勝(めいしょう)の指定を受けています。
公園入口の階段を登ると門がありました。
歴史館もあるのですが、この日は資料整理中で、休館日でした・・・・・・
公園内の通路を通り、戸定邸に向かいます。
明治17年に完成し、実際の生活の場として使用されていたようです。
日本の建築様式のひとつである欄間(らんま)の模様は色々ありました。
縁側の廊下(ろうか)の天井です。
明治時代になってから作られたので、庭に芝(しば)になっており、和洋混在の庭園です。
下の図は、前回も載せました明治13年の測量で作成されたフランス式彩色図の中にある「松戸の渡し」周辺です。迅速測図(じんそくそくず、簡易地図)のですが、彩色が美しい地図です。この頃は、まだ戸定邸はありませんが、その場所は、前回説明した「松戸の渡し」のすぐ右(東)側に丘の上にあります。(△印の測定点のある所です。)
「江戸名所図会(えどめいしょずえ、江戸時代の地誌紀行図鑑)」のおいては、「松戸の津(つ、船着き場)」が紹介されています。「常陸街道(ひたちかいどう)にして駅舎あり。」から始まり、
平安時代中期の女性日記文学として有名な更級日記(さらしなにっき、作者:菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ))の「産後の乳母(めのと)を見舞う」の中に、
「太井川(ふといがわ)といふが上の瀬、松里の渡りの津にとまりて、夜一夜、舟にてかつがつ物など渡す。」
と書いてあるが、「松里」とは「松戸の渡し」のことであろうかと推察しています。「太井川」は、現在の江戸川です。
下の写真のように、この庭から江戸川と葛飾橋を見下ろせます。戸定邸のある場所は、「松戸の渡し」正面のすぐ近くにある丘の上です。のこの庭から眺める景色は、明治から変わりゆく時代を映し出していたのでしょうね。
明治30年代には、兄の元将軍・徳川慶喜も何度か訪れ、弟の昭武と共に趣味の写真撮影などを楽しんだそうですが、当然、この庭から移り変わっていく明治の松戸や金町の街並みや、道行く人の往来を眺めていたのでしょうか・・・・・・
広間の上座にあたる床の間(とこのま)です。
(1)前回までの「逆井の渡し」「平井の渡し」「にい宿の渡し」「小岩・市川の渡し」「今井の渡し」「矢切の渡し」「松戸の渡し」のブログは以下の通りです。
「名所江戸百景277 第67景 逆井のわたし 平井諏訪神社と旧中川」
「名所江戸百景279 第93景 にい宿のわたし 蛇行する中川の流れと歴史」
「名所江戸百景280 第94景 真間の紅葉手古那の社継はし 元佐倉道と小岩市川の渡し」
「名所江戸百景281 第71景 利根川ばらばらまつ 今井の渡し」
「名所江戸百景282 第67景 逆井のわたし 旧中川のシラサギ」
「名所江戸百景283 第67景 逆井のわたし 旧中川のふれあい橋」
「名所江戸百景030 第93景 にい宿のわたし 矢切の渡し」
「名所江戸百景031 第93景 にい宿のわたし 柴又帝釈天」
「名所江戸百景284 第93景 にい宿のわたし 「松戸の渡し」金町関所」
最後に、関係ない方向に話が脱線しますので、そのまえに、邸以外の公園内の写真でも区切りとして、入れておきます。
和風に合わせての雰囲気がありますね。
今回は、これで終わりとさせていただきます。
急に厳しい話になりますが、特に何のしがらみもない小さな個人ブログですので、自由な考えで脱線させていただきます。上の話と別になりますので、せっかくの気分を壊しかねないので、話の外に置きます。
この戸定邸は、実は「富士見百景」に指定される富士山展望の好所だったのですが、最近、正面にタワービルが建って、富士山が見えなくなってしまったそうです。
「くまドン」も、名所江戸百景の撮影でタワービルの展望台も利用してはいますが、なんとなく、あちこちに乱立していくタワービルは好きになれません。
景観の問題とは別に、日照権(にっしょうけん)の問題回避の為に、タワービルが細長だから、一定時間以上、地域の日光を遮らないので合法と言う考えが、どうしても納得できないのです。(それ以外にも、過去には借地による建ぺい率のゴマカシ問題がありました。)
現在のバブル経済の時のような都心のビル建設ラッシュも、いつまでも続きませんから、バブル崩壊後の負の遺産と同様になるのは目に見えていると考えています。ごまかしの建ぺい率緩和などを止めて、過剰なビル建設を抑止して欲しいと思っています。
舛添要一(ますぞえよういち)・前東京都知事が問題になった「違法にならなければ、税金を勝手に使用できる」というような、現在の政治全体に蔓延(まんえん)している身勝手な考え方に反感を感じ、今の政治を叩き直して、健全な方向に向けて欲しいと思っています。その意味でも、舛添氏が、色々な問題で失職して、良かったと思うし、さらには、他の政治家の税金の使い方についても、しっかり叩き直して欲しいと思います。
「くまドン」としては、現在の小池百合子(こいけゆりこ)・現東京都知事の「都民ファースト」の考えを応援したいと思います。オリンピック予算削減(競技場の見直し)を始めとして、税金のムダ使いや公共事業の私物化・散財を終わらせて、都民の為の健全な都政と財政を構築して欲しいと思っています。
その意味でも、明後日の10/23(日)衆議院2選挙区の補欠選挙日で、選挙区外で直接投票には関係ないのですが、衆議院・東京都第10区では、小池氏を応援する若狭勝(わかさまさる)候補に当選して欲しいと思っています。
逆に、いたずらな公共事業ばかり唱える放漫経営で、中国や韓国に媚売っているよう二階俊博(にかいとしひろ)・自民党幹事長は、さっさといなくなって欲しいと思います。こういう人達がはびこるから日本がダメになると思っています。
その為にも、福岡県第6区では、自民党の世襲の2候補よりも、不満票を他候補に入れるべきだと思っています。農村部で自民党の強い選挙区ですが、農業関係者もTPPが反対であれば、しっかり反対の意思表示して、自民党に圧力をかけるべきだと思いますよ。基本的に民主主義の世界ですから、後任者は、しっかりした人を住民の中から育て、選んで行くのが基本なのですから、「弔い合戦(とむらいがっせん)」と言う言葉にゴマかされて、世襲制を肯定している時点で、完全に間違っていると思います。
なお、初めて見る人はびっくりしていると思いますので、念のため書いておきます。
「くまドン」は反中反韓ということを、最初の「あいさつ」書いて始めて、何度も批判していますので、特に何か変わったという分けではありません。
(ただし、元々は写真・旅行・歴史のブログを作りたかっただけで、余り政治の話はしたくないのも本心です。3月以降、現在の政治を見て、「ろくでもない事をやっている」と思っても、政治がらみ問題を書くと、体力的にも精神的にも、余計な負荷がかかるので、家の用事や仕事もありますので、言わないで我慢していました。)
日本プログ村に参加しています。良ければ、「江戸時代」と「風景写真」のどちらかを「ポチッ」応援お願いします。
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