こんにちわ、「くまドン」です。
今回は、北区(きたく)にある王子(おうじ)の滝の話です。
下の地図は、前回もお見せしました東京東部の地形図です。
「国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(図名等)を使用しました。」
(この画像の引用、二次著作物を作成する場合は、この文章を明記するそうです。)
前回のプログに戻るのは大変なので、再度載せました。説明も思い出す為、簡単にします。
標高(高さ)で色分けされています。
左(西)の黄色の所が武蔵野台地、右(東)の水色の所が関東平野の低地部です。
両者の境界部にある黒い部分が武蔵野台地の崖線(がいせん)です。
川は青い線で示され、左上を横方向(東西)に流れている川が石神井川(しゃくじいがわ)です。石神井川と崖線が交差している付近が、「王子」がある所です。
右下にある大きな池が上野(うえの)の不忍池(しのばずのいけ)です。
【石神井川(しゃくじいがわ)】
この崖線とは別に、台地の上にも雨は降りますので、当然、武蔵野台地から関東低地部へ流れる川ができます。
現在の北区の王子付近を流れる石神井川もそのような川でした。
前回、この地形図を見て気付かれた方もいると思いますが、この「王子」手前から下(南)にある不忍池まで、黄緑色の広い谷が続いていて、「王子」の所にある台地が幅が狭くなって切れているのが分かるでしょう。
このことから、大昔の石神井川は不忍池の方に流れていたと考えられています。
この昔の流路は、江戸時代は谷田川(藍染川)と呼ばれ、小さな水源を集め、根津神社の近くを通り、不忍池に流れ込んでいました。現在は、暗渠(あんきょ、地中に埋められた河川や水路)となっています。
ただし、いつの時代に王子の方へ流れを変えたのかを示す歴史的資料がなく、自然の川の力で流れを変えたのか?人為的に流れを変えたのか?は謎(なぞ)となっています。
この為か、話題になり易く、2008年にはテレビの「タモリ倶楽部」(タモリくらぶ)で取り上げられたこともあったそうです。どちらにしても、推測にしかなりませんが、色々考えてみることは、頭の体操には良いことかもしれません。
広重のいた幕末の頃には、石神井川の王子付近は、東京(江戸)の川としては珍しく、深い谷になっていて、江戸時代は音無渓谷(おとなしけいこく)と呼ばれる名所になっていました。
谷が深いということは、支流にあたる川は、滝となり石神井川に流れ落ちます。この為、王子七滝と呼ばれる有名な滝の名所でもありました。
下の絵は、広重の名所江戸百景「第49景 王子不動之滝」です。
この絵の滝は、王子を流れる現在の石神井川にあった不動の滝(ふどうのたき)を描いたものです。
この滝は、直瀑(ちょくばく)と呼ばれ、滝の落ち口から滝壷(たきつぼ)まで一気に落下するタイプです。古来から日本人に好まれたタイプの滝で、華厳の滝(けごんのたき)を始めとして、名瀑と呼ばれる滝が多くあります。
滝の上に注連縄(しめなわ)があります。古来から滝は神聖な場所として取り扱われます。
修験道(しゅげんどう)を思い出しますと、白衣装束で滝で水を浴びて、修行を行うというイメージを思い出される方もいるかと思います。
滝行でも滝壺で水につかる行もありますし、夏の暑い時は、水浴びをする人もいたことでしょう。
茶を運んでいる人も描かれています。手前の椅子に座っている人は、滝から出て茶屋で休憩している所でしょうか?女性もいることを考えると家族旅行でしょうか?
【不動の滝、正受院(しょうじゅいん)】
王子には、王子七滝と呼ばれる有名な滝があり、不動の滝はその一つです。
この不動滝は、王子駅の西側に進み、石神井川沿いの南側にある正受院本堂の裏の石神井川の岸にあったとのことです。現在は、石神井川はコンクリート護岸に覆われ、昔の面影はありません。
下の写真(絵画調)は、不動の滝のあった正受院(しょうじゅいん)と呼ばれるお寺の鐘楼(しょうろう)門です。
正受院の開祖になる僧侶が、開いた年に、石神井川から不動の霊像をすくい上げ、 滝に安置したことから「不動の滝」と言う名前になったそうです。
正受院は、赤ん坊の納骨や供養をしていることから、「赤ちゃん寺」とも呼ばれています。
北海島探検をし、択捉(えとろふ)島の開発に貢献した近藤守重(こんどうもりしげ)と言う人の石造があり、甲冑(かっちゅう)を着ています。
なんでも、択捉島に上陸する時に、甲冑を着て上陸したとういう話から、この格好になったらしいです。
さて、王子の滝はすでに無く、コンクリート護岸しか撮影できません。百景を作る為に、替わりの場所に移動しましょう。
王子七滝の一つに「名主(なぬし)の滝」と呼ばれる滝がありました。
前回もお見せしました下の写真にある森の右奥一帯が、名主の滝公園です。前回説明しました王子稲荷は、森の左手前です。
【名主の滝公園】
入場は無料。 開園時間は9:00~17:00(夏期は9:00~18:00)
ちょうど、広重が「名所江戸百景」を描いていた江戸時代の安政年間に、王子村の名主(村の代表者、西日本で庄屋(しょうや))である畑野孫八が屋敷内に滝を造り、避暑のために一般に開放した為、「名主の滝」と呼ばれています。
明治中ごろに、この土地は貿易商人の垣内徳三郎の所有になり、栃木県の塩原の風景を真似て、庭石を置き、渓流を造り、これも一般に開放したそうです。
(絵画調)
昭和13年(1938年)に、株式会社が経営が移りましたが、戦災で焼失。
昭和35年(1960年)に、東京都が買取り、公園として開園しました。(現在は北区が管理)
回遊式の庭園で、男滝(おだき)、女滝(めだき)、独鈷の滝(どっこのたき)、湧玉の滝(ゆうぎょくのたき)の4つの滝が復元されています。
都心では、地面がアスファルトやコンクリートに覆われている為、地下水位が低下しており、現在では、滝の水は地下水をポンプで汲み上げて水を流しています。
ただし、地下水を使用して、消毒した水を使用していない為、ヘイケボタルが自生できる場所として有名です。夏にはホタルを放って観賞会もあります。
(ホタルは環境の変化に弱く、農業用水が流れ込んだだけで生息できなくなります。)
東日本大震災の影響により、電力不足となり、節電の為、水を流せなくなり、一時水の供給が完全にストップしたそうです。
「くまドン」が行った時は、設備の故障(余震で地下の水路破損など)・電力の節約(震災の電力不足)・税金の節約の理由により、男滝を除き、滝に水がありませんでした。
2013年2月時点の情報では、「独鈷の滝」と「湧玉の滝」は、稼働停止したままです。
さらに、電力節約の為、男滝も一定時間間隔で通水(つうすい)でした。
こうなりますと、自然の滝では無く、人工滝なのですが、自然の少ない都心では、残された緑地は貴重でして、贅沢(ぜいたく)は言えません。ありがたく、撮影させていただくことにしました。
「名主の滝公園」の男滝に到着した時は、滝の通水が終わる直前でした。
「くまドン」が着いた時は、先着の写真グループの方々がいて、10分間隔ぐらいで、また水が流れるとの話でしたのので、三脚を構えて待ちました。
下の写真は、春先に撮った写真です。日が当っていたので、この時のシャッター速度(スピード)は、1/125秒(以後は秒を省力します)です。
通常、1/30~1/60のシャッター速度は、水の表現が難しいです。この場合も、ISO感度を100で撮影すると、1/30となっていしまい、ISO感度を400に上げて、シャッター速度を1/125にしました。それでも、水の表現が中途半端になってしまい、再度挑戦となりました。
滝や渓流の場合、シャッター速度が遅い(長い)ほど、水の流れは線は伸びていき、流麗さを増してきます。良く雑誌や広告で見かけるプロの撮影した滝や渓流の写真はスローシャッター(シャッター速度が長い)を使用したものが多いです。
スローシャッターになる為、手持ちでは、手ぶれが発生してしまいます。今回は三脚でカメラを固定して撮影となります。スローシャッターを使用しますので、ISO感度は100に固定、ストロボは強制OFFです。
名主の滝の斜面は東向きになっていて、お昼頃の為、滝はすでに日陰となり、暗くなっていた為、シャッター速度は1/15に遅く(長く)なっていました。これでも、「くまドン」にとっては流れの線が短く感じます。
さらに、光量を減らして、スローシャッターにするND(減光)フィルターをレンズの前に置いて、シャッター速度を1/6まで遅くしました。(コンパクトカメラの為、フィルターを装着する機能がありませんので、フィルターは手持ちです。)
夕方近くなれば暗くなってきますので、フィルター無しでもスローシャッターになります。ただし、手ぶれ防止のため、カメラを固定する三脚か、または、三脚の代替品は必要です。
絵画調した写真も、参考に載せます。
下の写真のシャッター速度は1/15です。絵画調になると、大分雰囲気が変わります。
下の写真のシャッター速度は1/6の方の絵画調です。
人により、シャッター速度の違いで受けるイメージのバラつきは大きいので、特に何も言わずに進めていきます。
(絵画調)シャッター速度 1/25
(絵画調)シャッター速度 1/4
シャッター速度 1/13
このプログの先頭にある写真は、この写真の絵画調です。
名所江戸百景の選択となると、明るめで、周辺の環境が写っていた方が良いので、
この写真を、広重の名所江戸百景「第49景 王子不動之滝」に対応する「くまドン版」の景(確定)とさせていただきます。
(このプログの第一目標は、名所江戸百景の現代版「くまドン版」を作ることです。)
当日は、日陰になっていたので、高速シャッターを使用できませんでしたので、中央区(ちゅうおうく)の築地(つきじ)にある公園で撮影した噴水の写真を載せることにしました。
連写5枚の内、2枚だけ載せます。(必要な所のみ切り取ったので、大きさがばらついています。)シャッター速度は1/1000です。
高速シャッターは、水の一瞬の姿を撮影するので、連写(れんしゃ)モードがあれば便利です。
【現代の滝撮影】
2000年前後に風景写真では、滝ブームがありまして、その頃に写真家の先生や、その影響に触発されたアマチュア写真家の努力・発想により、色々な表現方法が造りだされて、今も進歩中です。
現在の滝撮影では、直瀑は滝の形が単純の為、ワンパターンになり易い為、
段瀑(だんばく、階段状の滝)
分岐瀑(ぶんきばく、途中で分岐する滝)
渓流瀑(傾斜した斜面を流れる滑滝)
の方が人気があります。
長くなりましたが、今回はこれで終わりとさせていただきます。
王子付近は、他にも飛鳥山(あすかやま)や王子神社、王子稲荷などがあり、江戸時代は、かなりの名所でした。広重も「名所江戸百景」の中で6景も描いています。残りは、別の時期にさせていただきます。
次回は、王子を通る都電荒川線の話になります。
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今回は、北区(きたく)にある王子(おうじ)の滝の話です。
下の地図は、前回もお見せしました東京東部の地形図です。
「国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(図名等)を使用しました。」
(この画像の引用、二次著作物を作成する場合は、この文章を明記するそうです。)
前回のプログに戻るのは大変なので、再度載せました。説明も思い出す為、簡単にします。
標高(高さ)で色分けされています。
左(西)の黄色の所が武蔵野台地、右(東)の水色の所が関東平野の低地部です。
両者の境界部にある黒い部分が武蔵野台地の崖線(がいせん)です。
川は青い線で示され、左上を横方向(東西)に流れている川が石神井川(しゃくじいがわ)です。石神井川と崖線が交差している付近が、「王子」がある所です。
右下にある大きな池が上野(うえの)の不忍池(しのばずのいけ)です。
【石神井川(しゃくじいがわ)】
この崖線とは別に、台地の上にも雨は降りますので、当然、武蔵野台地から関東低地部へ流れる川ができます。
現在の北区の王子付近を流れる石神井川もそのような川でした。
前回、この地形図を見て気付かれた方もいると思いますが、この「王子」手前から下(南)にある不忍池まで、黄緑色の広い谷が続いていて、「王子」の所にある台地が幅が狭くなって切れているのが分かるでしょう。
このことから、大昔の石神井川は不忍池の方に流れていたと考えられています。
この昔の流路は、江戸時代は谷田川(藍染川)と呼ばれ、小さな水源を集め、根津神社の近くを通り、不忍池に流れ込んでいました。現在は、暗渠(あんきょ、地中に埋められた河川や水路)となっています。
ただし、いつの時代に王子の方へ流れを変えたのかを示す歴史的資料がなく、自然の川の力で流れを変えたのか?人為的に流れを変えたのか?は謎(なぞ)となっています。
この為か、話題になり易く、2008年にはテレビの「タモリ倶楽部」(タモリくらぶ)で取り上げられたこともあったそうです。どちらにしても、推測にしかなりませんが、色々考えてみることは、頭の体操には良いことかもしれません。
広重のいた幕末の頃には、石神井川の王子付近は、東京(江戸)の川としては珍しく、深い谷になっていて、江戸時代は音無渓谷(おとなしけいこく)と呼ばれる名所になっていました。
谷が深いということは、支流にあたる川は、滝となり石神井川に流れ落ちます。この為、王子七滝と呼ばれる有名な滝の名所でもありました。
下の絵は、広重の名所江戸百景「第49景 王子不動之滝」です。
この絵の滝は、王子を流れる現在の石神井川にあった不動の滝(ふどうのたき)を描いたものです。
この滝は、直瀑(ちょくばく)と呼ばれ、滝の落ち口から滝壷(たきつぼ)まで一気に落下するタイプです。古来から日本人に好まれたタイプの滝で、華厳の滝(けごんのたき)を始めとして、名瀑と呼ばれる滝が多くあります。
滝の上に注連縄(しめなわ)があります。古来から滝は神聖な場所として取り扱われます。
修験道(しゅげんどう)を思い出しますと、白衣装束で滝で水を浴びて、修行を行うというイメージを思い出される方もいるかと思います。
滝行でも滝壺で水につかる行もありますし、夏の暑い時は、水浴びをする人もいたことでしょう。
茶を運んでいる人も描かれています。手前の椅子に座っている人は、滝から出て茶屋で休憩している所でしょうか?女性もいることを考えると家族旅行でしょうか?
【不動の滝、正受院(しょうじゅいん)】
王子には、王子七滝と呼ばれる有名な滝があり、不動の滝はその一つです。
この不動滝は、王子駅の西側に進み、石神井川沿いの南側にある正受院本堂の裏の石神井川の岸にあったとのことです。現在は、石神井川はコンクリート護岸に覆われ、昔の面影はありません。
下の写真(絵画調)は、不動の滝のあった正受院(しょうじゅいん)と呼ばれるお寺の鐘楼(しょうろう)門です。
正受院の開祖になる僧侶が、開いた年に、石神井川から不動の霊像をすくい上げ、 滝に安置したことから「不動の滝」と言う名前になったそうです。
正受院は、赤ん坊の納骨や供養をしていることから、「赤ちゃん寺」とも呼ばれています。
北海島探検をし、択捉(えとろふ)島の開発に貢献した近藤守重(こんどうもりしげ)と言う人の石造があり、甲冑(かっちゅう)を着ています。
なんでも、択捉島に上陸する時に、甲冑を着て上陸したとういう話から、この格好になったらしいです。
さて、王子の滝はすでに無く、コンクリート護岸しか撮影できません。百景を作る為に、替わりの場所に移動しましょう。
王子七滝の一つに「名主(なぬし)の滝」と呼ばれる滝がありました。
前回もお見せしました下の写真にある森の右奥一帯が、名主の滝公園です。前回説明しました王子稲荷は、森の左手前です。
【名主の滝公園】
入場は無料。 開園時間は9:00~17:00(夏期は9:00~18:00)
ちょうど、広重が「名所江戸百景」を描いていた江戸時代の安政年間に、王子村の名主(村の代表者、西日本で庄屋(しょうや))である畑野孫八が屋敷内に滝を造り、避暑のために一般に開放した為、「名主の滝」と呼ばれています。
明治中ごろに、この土地は貿易商人の垣内徳三郎の所有になり、栃木県の塩原の風景を真似て、庭石を置き、渓流を造り、これも一般に開放したそうです。
(絵画調)
昭和13年(1938年)に、株式会社が経営が移りましたが、戦災で焼失。
昭和35年(1960年)に、東京都が買取り、公園として開園しました。(現在は北区が管理)
回遊式の庭園で、男滝(おだき)、女滝(めだき)、独鈷の滝(どっこのたき)、湧玉の滝(ゆうぎょくのたき)の4つの滝が復元されています。
都心では、地面がアスファルトやコンクリートに覆われている為、地下水位が低下しており、現在では、滝の水は地下水をポンプで汲み上げて水を流しています。
ただし、地下水を使用して、消毒した水を使用していない為、ヘイケボタルが自生できる場所として有名です。夏にはホタルを放って観賞会もあります。
(ホタルは環境の変化に弱く、農業用水が流れ込んだだけで生息できなくなります。)
東日本大震災の影響により、電力不足となり、節電の為、水を流せなくなり、一時水の供給が完全にストップしたそうです。
「くまドン」が行った時は、設備の故障(余震で地下の水路破損など)・電力の節約(震災の電力不足)・税金の節約の理由により、男滝を除き、滝に水がありませんでした。
2013年2月時点の情報では、「独鈷の滝」と「湧玉の滝」は、稼働停止したままです。
さらに、電力節約の為、男滝も一定時間間隔で通水(つうすい)でした。
こうなりますと、自然の滝では無く、人工滝なのですが、自然の少ない都心では、残された緑地は貴重でして、贅沢(ぜいたく)は言えません。ありがたく、撮影させていただくことにしました。
「名主の滝公園」の男滝に到着した時は、滝の通水が終わる直前でした。
「くまドン」が着いた時は、先着の写真グループの方々がいて、10分間隔ぐらいで、また水が流れるとの話でしたのので、三脚を構えて待ちました。
下の写真は、春先に撮った写真です。日が当っていたので、この時のシャッター速度(スピード)は、1/125秒(以後は秒を省力します)です。
通常、1/30~1/60のシャッター速度は、水の表現が難しいです。この場合も、ISO感度を100で撮影すると、1/30となっていしまい、ISO感度を400に上げて、シャッター速度を1/125にしました。それでも、水の表現が中途半端になってしまい、再度挑戦となりました。
滝や渓流の場合、シャッター速度が遅い(長い)ほど、水の流れは線は伸びていき、流麗さを増してきます。良く雑誌や広告で見かけるプロの撮影した滝や渓流の写真はスローシャッター(シャッター速度が長い)を使用したものが多いです。
スローシャッターになる為、手持ちでは、手ぶれが発生してしまいます。今回は三脚でカメラを固定して撮影となります。スローシャッターを使用しますので、ISO感度は100に固定、ストロボは強制OFFです。
名主の滝の斜面は東向きになっていて、お昼頃の為、滝はすでに日陰となり、暗くなっていた為、シャッター速度は1/15に遅く(長く)なっていました。これでも、「くまドン」にとっては流れの線が短く感じます。
さらに、光量を減らして、スローシャッターにするND(減光)フィルターをレンズの前に置いて、シャッター速度を1/6まで遅くしました。(コンパクトカメラの為、フィルターを装着する機能がありませんので、フィルターは手持ちです。)
夕方近くなれば暗くなってきますので、フィルター無しでもスローシャッターになります。ただし、手ぶれ防止のため、カメラを固定する三脚か、または、三脚の代替品は必要です。
絵画調した写真も、参考に載せます。
下の写真のシャッター速度は1/15です。絵画調になると、大分雰囲気が変わります。
下の写真のシャッター速度は1/6の方の絵画調です。
人により、シャッター速度の違いで受けるイメージのバラつきは大きいので、特に何も言わずに進めていきます。
(絵画調)シャッター速度 1/25
(絵画調)シャッター速度 1/4
シャッター速度 1/13
このプログの先頭にある写真は、この写真の絵画調です。
名所江戸百景の選択となると、明るめで、周辺の環境が写っていた方が良いので、
この写真を、広重の名所江戸百景「第49景 王子不動之滝」に対応する「くまドン版」の景(確定)とさせていただきます。
(このプログの第一目標は、名所江戸百景の現代版「くまドン版」を作ることです。)
当日は、日陰になっていたので、高速シャッターを使用できませんでしたので、中央区(ちゅうおうく)の築地(つきじ)にある公園で撮影した噴水の写真を載せることにしました。
連写5枚の内、2枚だけ載せます。(必要な所のみ切り取ったので、大きさがばらついています。)シャッター速度は1/1000です。
高速シャッターは、水の一瞬の姿を撮影するので、連写(れんしゃ)モードがあれば便利です。
【現代の滝撮影】
2000年前後に風景写真では、滝ブームがありまして、その頃に写真家の先生や、その影響に触発されたアマチュア写真家の努力・発想により、色々な表現方法が造りだされて、今も進歩中です。
現在の滝撮影では、直瀑は滝の形が単純の為、ワンパターンになり易い為、
段瀑(だんばく、階段状の滝)
分岐瀑(ぶんきばく、途中で分岐する滝)
渓流瀑(傾斜した斜面を流れる滑滝)
の方が人気があります。
長くなりましたが、今回はこれで終わりとさせていただきます。
王子付近は、他にも飛鳥山(あすかやま)や王子神社、王子稲荷などがあり、江戸時代は、かなりの名所でした。広重も「名所江戸百景」の中で6景も描いています。残りは、別の時期にさせていただきます。
次回は、王子を通る都電荒川線の話になります。
日本プログ村に参加してみました。時間があれば、どれか一つ「ポチッ」と押してください。
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