金沢に暮らし始めて40数年.。この街で「見たものは、見た」。最近は「軒端に冬の山晴れて見ゆ」って心境に。
金沢暮らしの日々 ~努力は時々 報われる~
それは今も続く話ですね @ 星野博美 『みんな彗星を見ていた』
滞在17時間という、無駄というか?贅沢というか?不思議な沖縄への旅でしたが、往復6時間近い機内で、ひたすら本を読んでいました。星野博美の『みんな彗星を見ていた』です。約440ページの分厚い本ですが、一気に読み終えました。
中心テーマは 400年前の日本におけるカトリック教徒(いわゆるキリシタン)弾圧の歴史を、現地を歩きながらひも解くルポルタージュというかエッセイのような本です。おそらくキリシタン弾圧の歴史は、日本史における「恥部」みたいなもんだから、もう今はあんまり大ぴらに語られることはないですよね。長崎、島原、大村、雲仙など現地を訪ねても 遺跡をしめす標識はあるものの、完全に忘れ去られた遠い昔の出来事という感じだそうです。
でも400年前に、異なる文明と出会い、それを自らの支配システムを覆す脅威と感じ 外国人も日本人も徹底的に痕跡すら残らないほど弾圧したのだけど、同様のことは、その後のこの地球上で何度も繰り返されてきたし、そして今もなお続いているように思います。
星野氏は、最後にはスペインにまで足を運びます。その日本で殺された宣教師の出身地の田舎村を訪ねると、400年前に、遠い異国の日本で、この村出身の宣教師が殺されたことは広く知れ渡っていた。でも、彼と一緒に日本人もたくさん殺されたことは全く知られていなかった。星野がそのことを村人に話すと、感動をもって受け止められ、村人たちと一体感が自然に生まれた というくだりは、まったく現代にも通じる人間の思いですよね。
誰しも自国民の人のことを第一に考えるは当然だけど、真実を知れば国や民族の違いを超え、人として互いに結びつき分かり合えることができる。だからこそ、国家や為政者は「いずれの国家も自国のことのみに専念して他国のことを無視してはならないのであって」という日本国憲法前文にたちかえる気構えが 今だからこそなおさら必要なんだと思います。
P318の五島・福江島出身のカトリック教徒で、祖先は信仰の自由を求めて外海地方から五島へ移住してきたキリシタンだったというの女性の言葉が、この本の内容を語りつくしています。
「長崎の世界遺産に反対というわけじゃなかとです。ばってん、本当の歴史を知ってほしかとです。祖先が外海から五島に移住してから、貧しかばってん平和に暮らしとったとです。キリシタンと原住民は分かれてくらしとったからね。本当の差別が始まったのは、明治に入ってから。その歴史をちゃんと知ってほしか」
うん うん そして、キリシタン迫害の歴史は、明治になっても続くんですね。これ金沢も無関係ではないですよね。
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