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子供のころ・・・ (2)

2015-09-30 23:48:53 | Weblog
そして、中学校。



中学では、放送部と剣道部に所属し、音楽の先生から頼まれてコンクール出場の時だけ臨時コーラス部員になった。
小学校の時も、コンクール出場に向けて急遽コーラス部が結成され、指名されてその一員となった。
放送部では、ドキュメンタリーを制作したりしたが、その他いろいろ思い出深い。
三年生の時に、新聞部を創設することになり、初代部長となった。
ただ、部員がいたかどうかも記憶に定かでなく、発行したのもせいぜい1回か2回だったと思う。



剣道は道場がなかったので、教室の机と椅子を端に寄せて稽古した。

中学校の周辺も田んぼばかりで、校庭からマンションが見えることなんてなかった。



中学生になった頃から住んでいた家がここにあった。
今はファミリーマートの店舗になっており、片道2車線の広い道路になっている。



当時は片道1車線の砂利道で、時折バスのタイヤが石を弾いて玄関のガラスを割ることがあった。
左隣に自転車屋さんがあり、右の建物が建っているところは八百屋兼酒屋さんがあった。
斜め向かいには同級生の家があり、農家で馬がいた。
この頃は、道を歩く時は馬や牛の糞に要注意だった。
後ろは一面の田んぼで、家から水泳パンツ姿で那珂川に泳ぎに行った。
東京の大学を出て、東京で就職したが、日本全国どこに転勤するかわからないので最初は地元勤務にしてやろうと福岡支店に配属された。
それで再び家族とここで暮らした。
その後、東京に転勤になったが、結婚し子供が幼稚園の頃、父の葬儀をここの家で行った。
愛犬クマが死んだ時、庭に埋めたが、道路拡幅工事の時に掘り出されたに違いない。
ちなみに、本家の博多織工場はこの道路の先に移転しており、構造不況業種でありながら、今も頑張っている。
多分会ったことのない、従兄弟の息子が社長をやっていて、毎年のように総理大臣賞などをとっている。
大したものだ。

水泳パンツ姿で歩いた田んぼのところが今はこうなっている。


夏になるとよく泳いでいた那珂川。
当時は自然がそのまま残っていて、水量も多く、隣の八百屋さんの娘さんが水深の深いところで溺れて亡くなった。
上流にダムができてからは川の様相が一変し、泳げる川ではなくなった。
小学生の頃、この対岸の小学校の生徒達と川を挟んで悪口を叫んだり石を投げあったりした。
それが中学になると同じ中学校に通うことになっており、どうなることかと思ったが、意外とすんなり仲良くなれた。
これも中学生の時、家の向かい側に燃料店があり、そこの人が空気銃を貸してくれたので、那珂川の河原で友達と試し射ちをしていたら、突然警官が現れ、補導されて交番に連れていかれた。
親が呼ばれて解放されたが、これが唯一の補導歴だ。


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