鈴木宗男ランド ブログ by宗援会

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宗男日記から

2009年05月06日 | Weblog
ムネオ日記
2009年5月6日(水)
 昨日のこどもの日、五月晴れの下、気持ち良さそうに泳ぐ鯉のぼりを見ながら一瞬のやすらぎをおぼえながらも、いかほどの人が安心して生活しているか、どれだけの人がゴールデンウイークを享受できるのかと自問自答する。
 政治があったかと考える時、申し訳ない思いだ。格差が拡がり国民はヤル気を失っている。節度や道議、勤勉性を旨むねとした国民性が生かされていない。いや無くなっている。国力が落ち国益に適かなわぬ政治に毅然きぜんとノーと言わなくてはいけない。
 8日で一年を迎えるロシアのメドベージェフ大統領とプーチン首相の双頭体制について連日、各紙が取り上げている。自由と民主、自由経済体制で、先進国首脳会議(G8)メンバーのロシアを抜きにして世界の安定はない。
 日本人の中には共産主義ソ連時代の延長線上でロシアを見ている人がいるのではないか。自由と民主、自由経済、政治も経済も日本と同じ価値観を有するロシアである。正しい評価と認識を持たなくてはいけない。しっかりした意識改革をしないと北方領土問題も、サハリンからのエネルギーも遠のくばかりである。「遠くの親戚しんせきより近くの他人」という言葉があるが、アメリカ一辺倒ではなく、すぐ近くに資源大国ロシアがあることを考えて欲しい。
 特に政治家・国会議員は戦略的外交の見地からもロシアという国をもっともっと勉強して欲しいものだ。
 高知から愛媛県今治経由で広島の瀬戸内海の家内の実家に行き、お母さんのお見舞い。脳梗塞で倒れ、話すことも体も自由にならないが、家内の顔を見て喜ぶ様子が伝わってくる。親子の絆を感じながら、十分な親孝行の手助けを出来なかったことを申し訳なく思う。
 昨日は娘も社会人として4月からの研修を終え、任地に向かった。見送る孫の姿を見ながら、時の流れを感じる。この子供達の将来が平穏でありますようにと祈りながら「子供は国の宝」とあらためて実感する。その為にも政治の果たす役割は重い。

鈴 木 宗 男

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宗男日記から

2009年05月06日 | Weblog
ムネオ日記
2009年5月5日(火)
 麻生首相は4日プラハで、同行記者団に衆議院解散総選挙の日程について「衆院選と都議選、どちらを優先するかと言われれば衆院選だ」と、7月12日投開票の都議選に縛られないとの考えを示し、6月3日の国会会期延長についても「相手次第だ」と述べている。
 「公明党から都議選について申し込まれたこともない」とも言っている。私も何人かの公明党の議員に聞いても、都議選前後を避けることにこだわる話は聞かれなかった。
 逆に、都議選で自民党が負けると麻生降ろしが始まり、麻生首相での解散総選挙はなくなる。連休明けの補正審議での民主党の出方次第で、来月選挙の可能性が出てくるのか。前回選挙から3年8ヶ月が過ぎ、国会開会中はいつ解散があってもおかしくない。心の準備と態勢だけはしっかり整えていく。
 毎日新聞21面スポーツ欄に掲載されている、「都市対抗野球80回目の夏」というシリーズ物の記事の中に、沖縄興南高監督で元大昭和製紙北海道の我喜屋優さんの「逆境いずれは順境」という言葉に、私も40年前を想い出す。沖縄興南高校の甲子園での活躍、そして北海道白老町に来ての都市対抗野球で日本一に輝き、初めて黒ヂシ旗が津軽海峡を越えた。私の若かりし頃の強烈な想い出の一つである。
 今や北海道の社会人チームも高校野球も全国レベルで堂々と渡り合えるが、沖縄から全く自然環境の違う北海道に来て冬の寒さに耐え、頑張った我喜屋選手の姿に負うところが多いと思う。あわせて、人生に通じるものと感じる。以下、全文を掲載したい。

◎ 80回目の夏 都市対抗野球 第3部・原点の記憶⑦ 逆境いずれは順境--興南高監督(大昭和製紙北海道)・我喜屋優さん(58)

 「つらい冬がどれだけ続いても必ず春がやって来る」。故郷・沖縄から遠く離れた北の大地で身をもって知った「人生訓」を後輩たちに伝えようと、2年前から母校の指導をしている。
 68年夏、沖縄・興南高の主砲・主将として県勢初の甲子園4強を果たした。卒業後、都市対抗での優勝経験もある大昭和製紙(静岡県富士市)に入社。「外野手の補強」のため、工場のある北海道白老町のチームへと移ったのは72年1月だった。
 最低気温が氷点下10度を下回る、いてつく寒さと冬の長さは南国育ちにはこたえた。「何でこんな所で野球をしないといけないんだ」と何度思ったことか。
 冬場は体力をつける練習が主だった。体育館でボールを使った基礎練習と筋力トレーニングを繰り返す毎日。たまにグラウンドで実戦形式に臨むときには、まず雪かき。何よりつらかったのはほぼ毎日の雪上ランニング。滴る汗がつらら状になってほおに残った。
 地道な努力が花開いたのは74年の第45回都市対抗。チームは相次ぐ接戦を競り勝ち、決勝でも北九州市・新日鉄八幡との延長戦を制し、黒獅子旗の「初の津軽海峡越え」を果たした。
 「北から来た南の男」は、勝負強い打撃で後楽園球場を沸かせた。準々決勝では決勝点となる2ラン。「最高の舞台で最高の仕事ができた」ことで「つらい練習を乗り越えたことが、精神力と粘りにつながった」と分かった。チームは翌年も準優勝と、輝かしい実績を残した。
 35年間に及ぶ北海道での生活で、限られた環境の中で練習を工夫することや逆境を味方につけることを学んだ。母校でもそれを実践。雨の日には、使い古した球にビニールテープを巻き、雨がっぱと長靴でフリー打撃の練習をする。「雨天時は室内練習」という常識にとらわれず、夏の県大会前に悩まされる梅雨期にも実戦感覚を忘れないための知恵だ。
 興南は07年夏の甲子園に24年ぶりの出場を果たし、今春のセンバツも26年ぶりに出場するなど古豪復活の地歩を固めつつある。「困難から逃げなければ、どんな逆境でも順境と思える日が来る」。泥のグラウンドで喜んで練習する高校生の姿に、かつての自分を重ね合わせる。【大村健一】

(5月5日毎日新聞朝刊21面)

 根室青年会議所が4月11日から19日にかけて、16歳以上の根室市民1000人を対象に北方領土問題について意識調査をした資料を戴いたところ、領土問題に対する政府の外交政策に「満足」と答えた市民は7.4%、「不満」と答えた市民は47.8%、「どちらでもない」が44.8%で、5割近くが領土返還交渉に憤りを感じていることがわかる。
 また驚いたことに、根室市民の中でも北方領土問題を知らない人が14.2%にも上り、知っている人が85.8%であることがわかる。この数字を見る時、更なる啓発運動の必要を感じる。
 領土返還運動の原点の地 根室での市民の声をもっと重く受け止め、外務官僚には真剣に、裂帛(れっぱく)の気合いをもって領土返還交渉に取り組んで戴きたい。
 あわせて、政治家のリーダーシップ、ガバナビリティが必要だ。首相、外相共に現実的解決論に立ち、領土問題の解決に向けて邁進して戴きたい。
 一週間後にはプーチン首相も来日する。プーチン首相は現実的解決に向けて具体的カードを切った指導者である。現実的解決を図る頭づくりを日本側は考えるべきではないか。
 夕方高知県に向かい、お世話になっている方の会社創立祝賀会に駆けつける。連休中ではあるが、今日の高知は静かな街の様子であった。

鈴 木 宗 男

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