異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

300万人規模の信者数を誇る宗教団体、立正佼成会「安全保障関連法案」の廃案を求める声明を発表

2015-09-04 17:35:22 | ご案内

※ 9月2日に300万人規模の信者数を誇る宗教団体、立正佼成会が「安全保障関連法案」の廃案を求める声明を発表しました。

立正佼成会

http://www.kosei-kai.or.jp/infomation/070/post_502.html

声明文 すべてのいのちを守るために 「安全保障関連法案」への重大な危惧

現在、「安全保障関連法案」が参議院で審議されていることを受け、立正佼成会は9月2日、同法案の廃案を求める声明文『すべてのいのちを守るために「安全保障関連法案」への重大な危惧』を本会ウェブサイト上などで発表しました。
本会は昨年3月10日、自衛隊が地域紛争や国家間の戦争などに直接関与し、武力を行使せざるを得ない危険性が生じることに懸念を示した『日本国憲法の解釈変更による集団的自衛権の行使容認に対する見解』を発表。また同年7月1日には、日本国憲法第九条の解釈を変更した閣議決定に対し、『閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」に対する緊急声明』を発表、政府の方針に反対の姿勢を表明しました。
今年7月16日、「国際平和支援法案」と、自衛隊法改正案、武力攻撃事態法改正案など10本をまとめて改正する「平和安全法制整備法案」の2法案が衆議院で可決され、同27日から参議院で審議が続いています。
一連の国会での動きに対し、教団本部では対応を協議。8月22日の理事会の決定を受け、9月2日、声明文『すべてのいのちを守るために「安全保障関連法案」への重大な危惧』を発表しました。
『絶対非戦の誓い』『真の安全保障』『共に生きるすべてのいのちを守るために』の三項で構成される声明文では、多くの宗教が「不殺生」「非暴力」の精神を大切な価値としているほか、人類が他者への無知からくる恐れと、そこから生じる不信により分断や暴力に発展する歴史を繰り返してきたことを挙げた上で、同法案の成立が集団的自衛権の行使を可能にすることに懸念を表明。さらに、対話と協力の重要性などを強調し、「これまで以上に人と人、諸宗教・諸文化間の対話と協力に基づく平和創造を推進することを強く決意するとともに、重大な危険をはらむ『安全保障関連法案』の廃案を求めます」と結んでいます。
今後、声明文は各教会で交流のある政治、宗教、学術など各界の関係者に手渡され、本会の姿勢について説明が行われる予定です。

声明文「すべてのいのちを守るために『安全保障関連法案』への重大な危惧」

 


【動画】 9/3 戦争法案反対国会前・木曜行動に高校生参加、スピーチ

2015-09-04 17:02:14 | 案内 情報 デモ 集会 逮捕

 菱山 南帆子さんFBより

昨日は2100人が集まった木曜行動で、高校の後輩が6人も木曜行動に参加!
嬉しい!

2015.09.03「戦争法案反対国会前集会」: 高校生からのスピーチ

 

 

「戦争法案反対国会前集会」(第16回)

日時:2015年9月3日(木)18:30
場所:衆議院第二議員会館前
主催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

7月15~16日の衆議院での戦争法案の強行採決を経ても、全国のひとびとの怒りと運­動は衰えを知らず、戦争法案廃案をめざす運動と安倍内閣の退陣を求める声は、猛暑の夏­をものともせず、全国の各界各層の人びとのなかで広がり、高まっています。国会内の野­党各党と連携して展開されているこの戦争法案廃案運動の拡大は安倍政権と与党を追いつ­め、参議院での議論が始まったばかりであるにもかかわらず、すでに国会の論戦ではボロ­ボロの状態になっています。私たちはこうした情勢の中で、この戦争法案を廃案にできる­可能性を手に入れつつあります。

窮地に追い込まれた安倍政権は国会会期を大幅に延長し、かつ衆議院での強行採決に踏み­切りました。焦点は参議院段階へと移り、安倍自公政権が、参議院で強行採決することを­許さず、衆議院での再議決をさせないたたかいこそ、焦眉の課題となっています。

私たちは、毎週火曜日の統一街頭宣伝行動、木曜国会前集会などの地道な活動の積み上げ­、提起される共同して取り組みに全力をあげて闘いぬこう。そして8月30日、戦争法案­廃案をめざす10万人国会包囲行動と全国100万人統一行動を必ず実現し、いのちと民­衆の怒りをないがしろにし、立憲主義を無視し、憲法9条と民主主義を破壊し、戦争への­道をひた走る安倍政権に決定的な打撃を加えよう。

いまこそたちあがろう、手をつなごう。今日と未来のため、すべての力を戦争法案廃案と­安倍政権の退陣のために集中しよう!

 

 


②9/3「そもそも総研」~そもそも、なぜ今”ふつうの女性たち”が立ち上がっているのだろうか

2015-09-04 16:36:13 | 報道

②9/3「そもそも総研」~そもそも、なぜ今”ふつうの女性たち”が立ち上がっているのだろうか?


小原 美由紀さん、書き起こし【その2】

== 国会前抗議のスピーチ映像 ==

...

福田和香子さん>
「私は誰も殺したくないし、誰にも死んでほしくないし、
友達と遊んだり、親と喧嘩してみたりとか、もちろんデートに行ったり
が大事なのであって、
そういうものを 勝手な立憲主義もわかりませんみたいな政権に奪われ
たくないんですよ、私は。(大歓声)

ナレ>
このスピーチをしているのが福田和香子さん。21歳。都内の大学の4年
生です。

玉川さん>
「僕のころも含めて、大学っていうのは享楽的に過ごすの場所というイ
メージがずっとあったんですけど」

福田和香子さん>
「それ・・が大半だと思います。たまたま、こういうことに黙っていら
れなかったから来たけど、これ以外の生活って、享楽的だと思ってる大
学生となにも変わらないので。
これ(デモ)を日常に取り入れただけで、基本は何も変わってなくて
なにも革新的な大学生なわけでもなんでもなくて
たまたまそういうところにアンテナを張った人が一定数集まってこうな
ったから、享楽的な大学生活の中にデモを取り入れてみたらこうなりま
したと。

玉川さん>
ははは・・・。

ナレ>社会人二年目の、橋本紅子さんにも話を聴きました。

玉川さん>
「今日も日曜日で、休みの日なわけですよね。そういうとき、これ(デ
モ)がなかったら もっと楽しいこともできると思うんだけど

橋本紅子さん>
「語弊を恐れずに言うと、戦争になってしまうような状況に、本当にな
り始めてしまったら、それこそ休みの日に買い物に行く余裕もなくなっ
てしまうかもしれないし、
(武力行使の報復として)きっとテロが起きる場所って、例えば新宿と
か、渋谷とか、きっと人が集まるところなわけじゃないですか。

新宿、渋谷、いつも私たちが買い物に行く場所はどこかと言ったらそう
いう場所であって、いつ起きるかわからないことを「関係ない」とは絶
対に言えないですし、そうならないために、いまちょっと遊びに行く時
間を我慢してでもやらないと、長期的に見て、それこそ自分の生活が自
由じゃなくなってしまう。」

ナレ>
実はふたりとも、国会の安保法案が成立したら、その先にある事態が心
配だと言います。

福田和香子さん>
「”経済的徴兵制”と今、何回も言われてて、うちら大学生の中でも、
奨学金を今借りていて、事実上の多額の借金を抱えて(いる大学生もい
るし)、就職決まらなくて自衛隊(にはいる)と考えてる人は周りにい
っぱいいるし。」

ナレ>
すでにいま大学の理学部や工学部の学生を対象とした防衛省による学費
の貸与制度が始まっています。
審査に合格すると、一部の学資金が貸与され、卒業後、自衛隊に勤務す
れば学資金の返還が免除されるしくみです。

橋本紅子さん>
「あくまで政府側は、それを”経済的徴兵制”とは絶対に呼ばないと思
いますけど、強制はしないけど、でもいかざるを得ないような状況は、
着々とできていっているのではないかと・・。」

ナレ>
現実の徴兵制については、どう思うかも聞いてみました

玉川さん>
総理も含め”憲法で意に沿わない苦役はできない”とあるんだから”徴
兵制なんてできませんよ”と。”なにを心配しているんですか”という
んですが。

紅子さん>
「そうやって徴兵制の話が出た時だけ、「憲法で禁止されているから無
い」と言っている政府が、実際に解釈改憲で改憲の手続きをしないで 
もう変えてしまってる現状があるわけで、

玉川さん>
「ああ・・

紅子さん>
「じゃぁ、「徴兵制は苦役にあたりません」って政府が判断したら そ
れはまた解釈のしかたでそこ(苦役)に該当しないということになって、
いくらでも通してしまうことは可能だと思います。

玉川さん>
「こういうふうなこと(デモ)をやることは、ちょっと昔はあまりなか
ったと思うんですけど」

紅子さん>
「デモをやったから、総理の意志がコロッとかわりました、なんてそん
な安直なことを考えて誰も参加していなくて、ほんとにちょっとずつち
ょっとずつ、「あ、反対してる人がいるんだ」「反対している若い子が
いるんだ」という認識が知られていくことでも、デモをやっている意味
はあると思うから、
ちょっとずつそういう認識がひろがっていくことが目的かな、って。

▲▲ スタジオ

玉川さん>
「やっぱり彼女たち、自分たちの今の生活っていうか日本を肯定してい
るんですね。だけど、それがもしか、失われたら、って、危機感に突き
動かされてやってるってことは間違いないです。彼女たちが「誤解」し
てるかどうかは別にしてね。どう思われましたか?

羽鳥さん>
一見普通の女の子がすごい意識が高いな、って。
それが今回は、女性、お母さん、たくさん集まっているんですよね。

玉川さん>
そうなんですよね。今、お母さん手話も出たんですけど、
シングルマザーのかたで三人のお子さんをおもちなんですけど、
この方のお話も、ぜひ聴いていただきたいです。
VTR.

【その3】につづく

【その1】はこちら
https://www.facebook.com/miyuki.kohara.7/posts/1158758260805135

動画はこちら

http://www.dailymotion.com/…/x34cqy0_%E5%AE%89%E4%BF%9D%E5%…

 

 


ナチ・ドイツと日本~ヒトラー「恣意的な憲法解釈」から生まれた

2015-09-04 00:34:33 | ご案内

「憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」
                              -麻生太郎副総理

現代ビジネス+http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45078

2015年09月03日(木) 石田勇治

ナチ・ドイツと現代日本〜ヒトラーは「恣意的な憲法解釈」から生まれた

なぜ、文明国ドイツにヒトラー独裁政権は誕生したのか。『ヒトラーとナチ・ドイツ』を著した東京大学大学院総合文化研究科教授の石田勇治氏に、ヒトラー政権誕生の歴史から、わたしたちはどのような教訓を導き出すことができるのか、話を聞いた。


はじめは有権者の26%しかナチ党に投票していなかった

ーーヴァイマル憲法という民主的憲法をもったドイツに、なぜ民主主義を否定する政権が誕生したのでしょうか?

「ヒトラーは選挙(民意)で首相になった」とよく言われますね。たしかにヒトラー率いるナチ党はヴァイマル共和国末期の経済的危機、社会的混乱に乗じて台頭し、1932年7月の国会選挙で第一党(得票率は37%)になりました。

しかしナチ党の勢いはここまででした。その年の11月の国会選挙で約200万票を失い、得票率も33%に下落します。地方選挙でも大敗を喫し、12月には党のあり方をめぐって分裂の危機に直面します。

経済はこのころ好転の兆しが見られ、このままいけば民意はさらに離れ、ヒトラーもナチ党もやがて政界から消え去るのではないかとの観測も出てきます。ヒトラーが大統領によってドイツの首相に任命されたのはその直後、33年1月30日のことでした。

「ヒトラーは選挙(民意)で首相になった」という言い方は事柄の本質を半分しか言いあてておらず、なぜヒトラーが首相になったのかという問いへの答えとしては不十分です。

いま述べた32年11月の国会選挙の投票率は80%でしたから、ヒトラーが首相になる直近の国会選挙で有権者の26%しかナチ党に投票していなかったことになります。

大衆はヒトラーの虜になっていたように言われますが、ヒトラー政権が誕生するまではそれほどではなかった。大衆はそんなに愚かではなかったのです。

むしろ落ち目のヒトラーを救い出し首相の座に引き上げた大統領と、その周りに集まった既成の権力者たちの行動が問題でした。

「大統領の大権」で国会が形骸化

ーーヴァイマル共和国末期の国会はすでに形骸化していたようですが、具体的にどのような状況だったのでしょうか。

ヴァイマル憲法は、現在のドイツや日本と同じように、国会に基礎をおく議院内閣制を定めていました。しかしヴァイマル共和国末期の国会には、政党間のイデオロギー対立と相互不信が深刻化し、妥協と調整による多数派(合意)形成能力がすっかり失われていました。

ヒトラーに先立つブリューニング、パーペン、シュライヒャーといった共和国末期の政権はどれも国会に基盤らしい基盤のない少数派政権で、まともな議会運営ができません。そこで「大統領の大権」が用いられたのです。

ヴァイマル憲法は大統領に大きな権限(首相・閣僚の任免権、国会の解散権、非常時の緊急命令権)を与えていました。この時期の政権は、その力を借りて政権運営をはかります。

たとえば国会で否決された法案は大統領緊急令として公布されました。国会がその緊急令を否決すると、大統領が国会を解散することもありました。大統領の大権をこのように行使することは憲法が想定したものではないのですが、非常時を乗り切るためと称して頻繁に用いられ、これが国会の形骸化をもたらしました。

ナチ党が国会第一党となり、第三党となった共産党とあわせて議席の過半数をおさえた1932年の後半には、国会はもう何も決められない状況に陥ります。

当時の共産党はソ連型独裁を志向しており、議会制民主主義をブルジョワ支配の道具だといって攻撃していました。政府は国会を解散して大統領緊急令による統治を続けますが、世論はいっそう反発し、国会不要論が噴出してきます。

当時の大統領はヒンデンブルクという人物です。ドイツ帝国陸軍元帥で、プロイセンの伝統を引く帝政主義者でした。25年に大統領に初当選。32年春に再選されたとき、すでに84歳でした。共和国の大衆民主主義を衆愚政治とみなし、それに代わる権威主義的な新国家の建設をめざして大統領緊急令を出していきます。

ヒンデンブルクがヒトラーを「ボヘミアの一兵卒」と呼んで見下していたことは有名な話ですが、共産党の躍進を恐れる財界の要請をうけてヒトラーをついに首相に任命しました。

ヒトラーは当初、過小評価されていた

ーー発足時、ヒトラー政権にナチ党員は3名しかいませんが。

ヒトラー政権はナチ党の単独政権ではなく、保守派の国家人民党との連立政権として発足しました。ナチ党から入閣したのはヒトラー首相のほか、フリック内相、ゲーリング無任所相だけです。ヒトラー政権は当初、やはり少数派政権で、大統領の大権に依存していたのです。

反ヴァイマル右翼運動を率いるヒトラーと野合した保守派は、それで何を達成したかったのでしょうか。答えは三つです。議会制民主主義を廃止し、共産党(マルクス主義)を撲滅し、強いドイツ(再軍備・軍拡)を実現することです。

これらはヒトラーが求めていたことでもあり、両者はこの目的のために手を組んだのです。これらが達成できれば、あとはまた大統領の力でヒトラーを政権から追い出せばよい。保守派はそのように高を括っていたのです。

ーー保守派に両脇をしっかり固められたヒトラーですが、それがどうしてヒトラー独裁へと向かうのでしょうか?

ヒトラーは当初、世間からも過小評価されていました。国政担当の経験がなく、専門的な知識もない、どうせ保守派の閣僚の手玉にとられてさっさとお払い箱になるだろうというわけです。

そんな甘い予想に反して、ヒトラーは一気に攻勢に出ます。国会を解散、選挙にうって出ました。

選挙戦の最中に大統領緊急令を出させて言論統制をおこない、国会議事堂炎上事件(33年2月27日)が起きるとこれを徹底的に利用して、共産主義者など左翼反対派を一網打尽にします。

そして言論・集会・人身の自由など憲法が定める国民の基本権をすべて停止したうえで政府の独裁権を求めるのです。国難危急にあたり「強い政府」が必要だというのです。

ヒトラーが目をつけたのが授権法です。授権法は全権委任法とも呼ばれ、政府に立法権を委ねるものです。これが成立すれば政府は国会から自由に、また大統領に依存することもなく法律を思うがまま制定できます。

じつはヒンデンブルク大統領も授権法の制定に賛成していました。ここ数年来の大統領統治には憲法違反の嫌疑が向けられており、ヒンデンブルクはそのことの精神的負担から早く免れたいと思っていました。議会制民主主義の限界を言いたてる与党の国家人民党も、自党の政策が容易に実行できる授権法の制定に意欲を示します。

姑息な手段で「授権法」成立

授権法成立には国会議員総数の3分の2の出席と、出席議員の3分の2の賛成が必要です。この選挙(33年3月5日)でナチ党は44%、国家人民党は8%をとり、政府は過半数の議席を手に入れます。しかしまだ十分ではありません。

政府は共産党の国会議員81名全員と一部の社会民主党議員を国会議事堂炎上事件の容疑者として拘束(逃亡を含む)していましたが、議決にあたり社会民主党の「欠席戦術」を防ぐため、議長が認めない事由の欠席は出席とみなすという議院運営規則改正案を直前に国会に提出して、賛成多数で通過させます。じつに姑息な手段です。議場内に入ったナチの突撃隊員が見守るなか、授権法案は可決成立します。結局、反対投票したのは社会民主党だけでした。

成立した授権法には、「国の法律は、憲法に定める手続きによるほか、政府によっても制定されうる」(第1条)、「政府が制定した国の法律は憲法と背反しうる」(第2条)と記されています。ヴァイマル憲法はこうして改正されることも廃止されることもなく形骸と化したのです。

ナチ体制下のドイツではおびただしい数の法律が制定されました。かつては議論が百出して日の目をみることのなかった法案も易々と成立します。「決められる政治」が実現したのです。ホロコーストへいたるユダヤ人迫害は合法的に進みましたが、それはこの授権法によって可能になったのです。

授権法の成立は1933年3月23日。ヒトラー政権の誕生からわずか50日あまりで、ドイツはもはや民主主義国家に戻れない不可逆地点を乗り越えてしまったのです。

権力者の恣意的な憲法解釈を許していいのか

ーーいまの日本を考えるうえで、ヒトラーの「政権掌握」やナチ・ドイツの歴史から何が言えるでしょうか?

当時のドイツといまの日本とでは、それぞれを成り立たせている前提条件が違います。ヒトラー独裁政権は、第一次世界大戦から間もない、世界恐慌の最中に起きたものです。当時のドイツには議会制民主主義の考え方が十分に定着しておらず、民主主義と独裁は矛盾しないとまで言われていました。

これに対して現在の日本では、日本国憲法が定めた議会制民主主義は少なくとも制度として広く国民に支持され、浸透しています。ただ「決められない政治」に嫌気がさして、強い首相や「決められる政治」を待ち望む声はいまの日本にも存在しますね。

そして一昔前は考えられなかったヘイトスピーチや排外主義的な風潮の広がりは、日本の社会から寛容さが失われつつあることを物語っています。これがエスカレートすればどのような事態に行き着くか、ヒトラーとナチ・ドイツの歴史はそのあたりをよく示しています。

さらに気がかりなのは、日本の政治指導者の誤った歴史認識です。一昨年夏の「麻生発言」は私にとって大きなショックでした。

「憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」

麻生氏は撤回しましたが、更迭されたわけではありません。この発言で日本が失った国際的な信頼は計り知れないと思います。政治家こそ歴史をしっかり学んでほしいですね。

最後にひとこと。

ヴァイマル憲法は大統領の大権について「詳細は、共和国の法律でこれを定める」(第48条第5項)としながら、結局それを定めず、時の権力者の恣意的な解釈を許しました。それが大統領の大権の濫用につながり、国会の形骸化を招き、ひいてはヒトラー政権をもたらしたのです。

憲法の条文を時の政府が勝手に解釈して、憲法の実質的な骨抜き=形骸化をはかることなどあってはならないことです。戦後70年、道を誤って独裁と戦争を招来することがないよう、過去の人類の失敗の歴史をふりかえることは、大切なことのように思います。

読書人の雑誌「本」2015年9月号より

石田 勇治(いしだ ゆうじ)
1957年、京都市生まれ。東京外国語大学卒業、東京大学大学院社会学研究科(国際関係論)修士課程修了、マールブルク大学社会科学哲学部博士課程修了、Ph.D. 取得。現在、東京大学大学院総合文化研究科(地域文化研究専攻)教授。専門は、ドイツ近現代史、ジェノサイド研究。著書に『過去の克服 ヒトラー後のドイツ』『20世紀ドイツ史』(ともに白水社)、『図説 ドイツの歴史』(編著、河出書房新社)、『ジェノサイドと現代世界』(共編、勉誠出版)などがある。