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「臨時国会、開かないのは違憲」沖縄の国会議員が国を訴え どんな裁判なのか? 小口幸人  2018.5.28 huffingtonpost.jp /  違憲訴訟提起の報告(憲法53条違反)

2018-05-29 23:28:04 | 立憲主義 民主主義
 
 弁護士 小口 幸人 (@oguchilaw):

先ほど、違憲訴訟を提起しました。

原告は国会議員5人。昨年、安倍内閣が臨時国会を実質的に召集しなかったこと、又は召集懈怠を追及する裁判です。...
請求内容は、次に要求したときの、20日以内召集義務の確認と、一人あたり1万円の国賠です。

 

2018.5.28  小口 幸人

右や左ではなく、国会の、国民のための裁判です。総理がどんなに嘘つきでも、どんなに憲法を無視しても、憲法秩序を取り戻す。裁判所に応えてもらいましょう。
さあ、安倍政権と闘おうじゃありませんか。

 
 
 
 

「臨時国会、開かないのは違憲」沖縄の国会議員が国を訴え どんな裁判なのか?

「しなければならない」は義務ではないのか

 
Bloomberg via Getty Images
 

どんな裁判なのか。原告代理人の小口幸人弁護士に寄稿してもらった。


昨年(2017年)6月22日、衆参両院の4分の1以上の国会議員が、安倍内閣に対し、臨時国会の召集を求めました。森友学園・加計学園問題の追及のためです。憲法53条が召集しなければならないと定めているのに、安倍内閣はこれを無視し続けました。

9月28日になって、ようやく臨時国会は召集されましたが、所信表明演説すらされずに衆議院は解散され、参議院も閉会となりました。

本日(2018年5月28日)、5人の国会議員は、内閣には臨時国会は20日以内に召集しなければならない法律上の義務の確認と、一人あたり1万円の損害賠償を求め、那覇地方裁判所に国を提訴しました。

原告らの代理人で弁護団の事務局長である私から、この裁判の概要を報告させていただきます。

1 右や左ではなく、国会と内閣

憲法53条は、4分の1以上の国会議員が臨時国会の召集を求めた場合、内閣は臨時国会を召集しなければならないと定めています。国会の多数派ではなくても、4分の1以上が求めるなら国会は開かれ審議されることを憲法は求めています。

今の与党は俗に言う右派の自民党と公明党で、俗に言う野党が左派という形になっていますが、4分の1以上の召集要求権という権利は、右左にかかわらず、国会に認められています。左だからどう、右だからどう、という問題ではありません。

今回の裁判は、国会からの要求を無視した内閣を許すか許さないかという裁判です。国会が国民の代表者で構成されている以上、この裁判で国会側(原告)が勝つことは、全ての国民にとって有益であると考えています。

2 憲法秩序を取り戻す裁判

昨年(2017年)の通常国会では、共謀罪の審議と、森友学園・加計学園問題の追及が注目されていました。当初は通常国会の会期が延長される気配もありましたが、延ばせば延ばすほど追及される要素が増える状況にあったことから、延長なしで通常国会は閉じられました。当然、野党は反対しました。

野党はすぐさま臨時国会の召集を求めましたが、安倍内閣と、その母体である与党はこれを無視し続けました。

仮に、憲法が「20日以内に召集しなければならない」と明確に書いていたらどうでしょうか。その場合、召集されたら開くしかなくなるので、臨時国会より前の場面、つまり、通常国会の会期を延長するかしないかの場面で変わったはずです。安倍内閣と与党は「会期を延長せずに強引に閉じても、すぐに臨時国会の召集をされ、20日以内に召集しなければならなってしまう。仕方がないので、野党がある程度納得するまで会期を延長しよう」と考えたはずです。

このように、臨時国会の召集要求すら無視できる状況というのは、時間さえ稼げば野党を無視して審議を打ち切れることを意味します。憲法が、4分の1以上の国会議員に召集要求権を認めた趣旨と真逆のことが現実化しています。

この裁判では、憲法に明記はされていないけれど、臨時国会の召集要求がされたら、20日以内に召集しなければならない義務が内閣にあることの確認を求めています。裁判所にそう判決してもらうことで、憲法が予定していた姿に戻す、すなわち憲法秩序を回復したいという考えです。

なお、こういった請求を公法上の確認訴訟というのですが、確認の利益の有無という難しい論点をはらんでいるので、念のため国家賠償訴訟を合わせて提起しています。しかし、原告ら国会議員はお金で償ってほしいわけではありませんので、請求額は一人あたり1万円にしています。

3 20日以内に召集しなければならなかった

憲法53条は、「何日以内に」という期限を明示していません。内閣法制局も「合理的期間」内に召集する義務があるとしか言っていません。しかし、原告らは20日以内に召集しなければならないと主張しています。その理由は、主に3点です。

ア 期限が明記されていない他の規定

憲法には、期限が明記されていない規定がいくつかあります。訴状で指摘したのは、以下の4つです。どれも日数は書いていませんが、速やかに実施されることが予定されていることは明らかです。合理的な期間を超えて放置されることは予定されていません。

a 憲法改正の国民投票が終わった後、承認された改憲案を天皇が公布するまでの期間

b 新しく内閣総理大臣が選任する結果がでた後、天皇が内閣総理大臣に任命するまでの期間

c 逮捕されたときに逮捕理由を告知するまでの期間 & 勾留後、勾留理由の開示を求められたときに開示するまでの期間

d 裁判官に、報酬(給料)を支払うまでの期間

憲法53条も同じで、期間が書いていないから、いつやってもいい、放置してもいいなどという解釈は成り立ちません。上記のとおり、速やかにされるべきだし、合理的期間を超えて放置されることは予定されていません。

イ 総選挙の後でさえ30日

自由に放置できるわけないなら何日間なのか?それへの答えが20日です。その理由は、憲法の次の定めにあります。

憲法54条は、衆議院の総選挙が行われたときは、選挙の日から30日以内に国会を召集しなければならないと定めています。選挙により、新しく国家議員になる人がいるのですから、多少の事務作業が発生します。その場合でも、憲法は30日以内と定めています。一方、臨時国会の召集の場合は、新しい国会議員はおらず、従前の国会議員を集めるだけですから、総選挙のときより事務作業が楽です。そうすると、30日を超える理由は全くありません。30日より短い期間、20日と解するべきでしょう。

ウ 自民党改憲草案

自由民主党は2012年に憲法改正草案を発表し、その中で、臨時国会の召集が要求されたら20日以内に召集しなければならない、という改憲案を示しています。

ご存じのとおり、自由民主党は、戦後我が国の政権の多くを担ってきた大政党です。その大政党が、長年の実務経験に基づいて、20日以内なら守れる、実施できると公式に表明しているわけです。そうである以上、20日以内だと解したとしても、何ら酷ということはありませんし、実務上も問題が生じないことは明らかです。

4 今の政治への影響

現在(2018年)国会では、2017年と全く同じ状況が起きています。

森友学園・加計学園問題の追及がされているのも同じなら、会期末(6月20日)が近づくほどに追及のネタが増えています。与党は会期を延長せずに閉じるためにスケジュール立てをしていると報じられています。野党は反対するでしょう。仮に会期を延長せずに強引に閉会するなら、野党はすぐに臨時国会の召集を要求するでしょう。

このように、昨年と全く同じ状況が、今国会で起きています。臨時国会の召集要求がされたときに、安倍内閣が、再び憲法を無視するのか、それとも裁判の提起等を踏まえ、踏みとどまるのかという場面が来月やってきそうです。

なお、今回の裁判に近い裁判が2月26日、岡山地方裁判所に提起されています。裁判提起から3ヶ月も経つのに、いまだに、国からまともな反論は一つもだされていません。反論をだすのは7月末まで待ってほしい、というのが、国の代理人が裁判所で言ったことです。

昨年の行為を正当化する理由すら示せないのに、再び憲法を無視することは絶対に許されない、私はそう思います。

 

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2018.05.28

本日(2018年5月28日)、沖縄県選出の5人の国会議員を原告とし、国を被告とする違憲訴訟を提起しました。(当事務所の弁護士小口は、弁護団(19人)の事務局長を務めています。)

原告は、赤嶺政賢議員、照屋寛徳議員、玉城デニー議員、糸数慶子議員、伊波洋一議員(選挙区順)の5人です。

裁判の内容は、2017年の臨時国会召集要求を、安倍内閣が無視したことの違憲違法を理由とするものです。

 

2017年6月22日、両議員の4分の1以上の国会議員は、安倍内閣に対し、臨時国会召集を要求しました。憲法53条は召集「しなければならない」と定めているのに、安倍内閣はこれを無視し続けました。

召集要求から98日も経った9月28日、安倍内閣は衆議院を解散させるためだけに臨時国会を召集しましたが、所信表明演説すらもせずに、衆議院を解散しました。

 

以上の違憲違法を理由に、以下の二つを求めています。
1 次に原告ら国会議員が臨時国会の召集を要求したときは20日以内に召集する義務があることの確認
2 1人あたり1万円の損害賠償

 

この裁判は右や左ではなく、国会の要求を内閣が無視したことを理由とするものです。間接的には、国民全体に対する侵害であり、極めて意義の高い裁判だと考えています。

さて、これと似た裁判が2月に岡山で起きています。国は未だに実質的な反論をできていません。それにもかかわらず、安倍内閣は、来月には通常国会の会期を延長せずに閉じようとしています。
仮にそうなれば、またもや臨時国会の召集要求がされるということになります。

 

合計6人の国会議員が裁判まで提起し、まともな反論すらできていないにもかかわらず、再び違憲違法な行為を繰り返すようなことは許されません。

ぜひ、この裁判を年頭に起きつつ、新たな文書がこれだけ出てきた中で、通常国会の会期は延長されるのか否かの報道を見守っていただき、適宜声をあげていただければ幸いです。

 

 

 

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過去にも、「バカか!」と怒った議員がいた! ”亀田得治議員の迫力満点の質問” 裁判書き事件大弾圧 2018.4.10 澤藤統一郎の憲法日記

2018-04-11 13:13:57 | 立憲主義 民主主義

過去にも、「バカか!」と怒った議員がいた! ”亀田得治議員の迫力満点の質問” 
内容は、最高裁判所の全司法労働合に対する、裁判書き事件大弾圧に関する質疑でのこと。

 

「貴方は、バカではないですか。」亀田得治議員の迫力満点の質問。

澤藤統一郎の憲法日記  http://article9.jp/wordpress/

2018年4月10日

安倍政権は末期症状である。行政の不透明などという言葉で表現できるレベルの問題ではない。森友・加計・そして南スーダン、イラク…。どれもこれも、欺瞞・隠蔽・改竄・口裏合わせのオンパレード。これが全て政権の思惑から発していることが明らかになりつつある。

これを、何とか行政の責任に押し込めて、政権に累が及ばぬようにというのが、官邸と自民党。与党議員による国会質疑は、緊張感を欠くこと甚だしく退屈なのが通り相場だが、このところの質疑は、とりわけ噴飯物である。

この点で一躍有名になったのが、和田政宗と丸川珠代。和田については既述のとおりだが、丸川の「佐川さん、あるいは理財局に対して、安倍総理からの指示はありませんでしたね?」「安倍総理夫人からの指示もありませんでしたね?」という誘導質問は、議会史に残るだろう。こんな愚かな議員もかつてはいたんだという歴史遺産として不滅の存在になり得る。

昨日の参院決算委員会。太田理財局長は、自民党の西田昌司議員の質問に対して、「昨年2月20日に、理財局側から森友学園に、『撤去費用が相当かかり、トラック何千台も走った気がするといった言い方をしてはどうか』とうその説明をするよう持ちかけた」ことを認めた。この答弁には驚いたが、質疑に緊迫感はなかった。予め、打ち合わせができていた質疑答弁だったのだから。

西田議員は、「バカか本当に!」「国民の代表がここで聞いているんだ」と怒っては見せたが、迫力はなかった。「政権が責任を役人に押し付けており」「自民党質問者はこれに加担している」ように見えるからだ。

 

口先だけで、官僚に「バカか」という自民党議員とは異なり、腹の底から「貴方は、バカではないですか?」と言った議員もいた。

舞台は、1958(昭和33)年7月2日参議院法務委員会。質問者は日本社会党の亀田得治参議院議員(弁護士)、答弁者は、守田直最高裁人事局長(裁判官)だった。内容は、最高裁判所の全司法労働合に対する、裁判書き事件大弾圧に関する質疑である。

弾圧を受けた側の全司法元委員長吉田博徳さんが、当時を振り返って「法と民主主義」2005年6月号(№399)52~53頁に、次のとおり質疑の模様を報告している。これは迫力満点だ。この質疑で、裁判書き事件の概要も分かる。報告の題名は、「貴方は、バカではないですか? ―亀田得治先生の烈々たる質疑によせて―」というもの。

亀田「本件処分について最高裁判所は、全司法の浄書拒否事件と宣伝していますが、その浄書とはどんな意味ですか?。普通は裁判官が原稿を示してそれをきれいに清書することを言うのですが、本件についは裁判官の原稿はあったのですか?」
守田「あのー、それは原稿というものではなく、裁判所の窓口に提出されている決定・命令・令状等の申請書にもとづきまして、書記官や事務官らが浄書するものでございまして……」
亀田「それはまだその事件のことを裁判官が知らないうちに、申請にもとづいて書くのですか?」
守田「そういうことになります……」
亀田「それなら職員の文書作成そのものではないですか。日本語では浄書とは言いませんよ。最高裁の中しか通用しない勝手な日本語を作っては困ります。国民をごまかすものではないですか?」
守田「…………」(黙して語らず。以下同)
亀田「職員が窓口で作成する書面とは、後に裁判官のハンコを押せば裁判書き原本となる書面ですか?」
守田「そういうことになります。しかし裁判官は疎明資料をよく検討し、判断して(ハンコを押すのですから、その時に裁判書になるのであって、それまでは紙片にすぎませんので……」
亀田「貴方、そんなことを言ってよいのですか? 職員が書いたという事実が消えて無くなるのですか?『誰々を逮捕する。逮捕の理由はこれこれしかじか』、これは裁判の中身ですよ。それがハンコを押したトタンに裁判官が判断したことに変わるんですか」
守田「……」
亀田「行政文書ならそれでもいいですよ。行政文書は誰が下書きを書いてもよいのですから。裁判は違いますよ。裁判官は独立して職務を行い、何人も関与してはならない。貴方も知っているでしょ。例え裁判所職員でも裁判の中身を書いて行けば、『逮捕した方が良いですよ』となるではないですか、関与したことになりませんか?」
守田「…………」
亀田「最高裁がそんな姿勢だから全国に変なことが多発しているのでしょう。某裁判官が逮捕状用紙に記名押印した白紙令状を書記官に渡して、裁判官の知らぬ間にスイスイと逮捕状が出たとか、裁判官が囲碁に夢中になっていて、書類を見ないまま、(ンコを投げて出させたとか、ひどいのになると風呂の中で『出しといて』と命じたとか、まだいろいろありますが最高裁の姿勢が下部に影響しているのではないですか。」
守田「…………」
亀田「ところで裁判書きの下書を作成することは職員の職務内容になっているのですか?。なっているとすれば法律名と条項、通達書を教えて下さい。」
守田「あのー、法律や通達書などで決まっているものではございませんでして……」
亀田「そうでしょう、そんな法律があったら大問題ですよ。では処分の根拠はなんですか。裁判官の職務命令を拒否したとなっていますが、どんな職務命令があったのですか?」
守田「それは包括的職務命令と解しておりまして……」
亀田「聞き慣れない言葉ですね。どんな命令ですか?」
守田「一件一件について出されるのではなく、裁判所の窓口に提出されたものはすべて浄書するように…と。昔は、明治時代には事件も少なかったので裁判官が自分で書いたり、口授したりしたものと思いますが、大正・昭和と事件が急増し、裁判官は法廷実務と判決文に追われるようになりましたから、次第に決定・命令・令状等は職員に手伝ってもらう、そういう習慣となっているわけでございまして……」
亀田「そうすると裁判官の命令を拒否したのではなく、昔からの悪習を拒否したということですか?、逮捕される国民にとっては、一生に一度あるかどうかの大問題ですよ」
守田「…………」
亀田「貴方は東大出身の優秀な裁判官と常々聞いていましたが、今日の答弁は何ですか。子どもでもわかるような簡単な質問にも答えられない。貴方はバカではないですかバカでは……

 亀田先生は右腕を伸ばして守田氏をにらみつけていた。守田氏は立つたまま下を向き流れる汗をふいていた。後に控えていた裁判官は誰も助け舟を出そうとしなかった。

議長「亀田君、バカはやめなさい」
亀田「やめません。議長もよく聞いて下さい。最高裁といえば憲法の番人、基本的人権擁護の最高責任者ですよ。その最高裁がお膝元の職員に対し、懲戒免職十三人、退職金のでないクビですよ。死刑にも匹敵する極刑を、先程からお聞きのようなあいまいな理由で、これが黙っておれますか」

議長「亀田君、質問を続けて下さい」
亀田「もう一度聞きますが職務命令はどんな形でいつ出されたんですか? 被処分者は誰も聞いていないと言っていますよ。包括的職務命令なんていうのは、本件処分を行うために作り出した新語ではないですか?」
守田「…………」
亀田「それでは次回までによく調査して、一件ごとにどんな職務命令であったのかを書面で提出して下さい」

 当日の参議院法務委員会の議事録では、議長の職権でこの部分が削除されているので、議事録上での確認はできないが、私達は終始傍聴席で直接見ていたのだからまちがいないのである。最高裁の高官が国会の場で。バカと言われたのは、おそらくこの件の外にはないであろう。バカと言われながらも一言の抗議もできず、下を向いて立っているだけだった。これこそが本件処分の自信の無さと、裁判官としての良心の呵責を感じさせる光景であった。
(略)
裁判員制度など新しい司法制度が発足し、司法の民主化に役立つものといわれているが、裁判所の隅々までに民主主義の風が吹き、裁判官をふくむ総ての職員の人権感覚が高まるように努力しなければ、どんな制度を作っても民主化とは結びつかないだろう。

この裁判書き事件は、裁判官が弾圧者なのだから、どうにもタチが悪い。懲戒免職13名の裁判闘争は、18年継続したという。そして、1976年2月に至って、当時職場復帰を望んでいた6名全員を再採用という形式で職場に戻すことで解決した。復職した5人は、まったく同期と同じく18年間の定期昇給も、年金も補償されたという。

なお、守田直裁判官は、第6代の司法研修所長である。私(澤藤・23期)の入所時は鈴木忠一所長だったが、修習終了時(1971年)には守田直所長だった。この所長の下での修習修了式(卒業式)の際に、同期の阪口徳雄君が所長に任官差別の抗議の意を込めた質問をしたことで、罷免とされた。「貴方はバカではないですかバカでは……」と言われてもしょうがないことを繰り返したというべきだろう。

大阪の弁護士だった亀田得治さんは、後に阪口徳雄君を温かく自分の事務所に迎え入れている。
(2018年4月10日)

 

 

 

 

 


外国人からみて日本の民主主義は絶滅寸前だ 2018.3.23 東洋経済ONLINE 

2018-03-24 17:33:57 | 立憲主義 民主主義

外国人からみて日本の民主主義は絶滅寸前だ

森友スキャンダルが映す日本の本当の闇

東洋経済ONLINE http://toyokeizai.net/articles/amp/213722?display=b

森友問題が映し出す日本が抱える本当の問題とは?(写真:Toru Hanai/ロイター)


 日本のメディアはここのところ、森友学園スキャンダルが世界における日本のイメージに影響を与えるのではないかと懸念している。テレビの政治番組では、海外の新聞数紙に掲載された記事を引用しており、そこには仏ル・フィガロ紙に掲載された筆者の記事も含まれていた。

だが実のところ、森友スキャンダルは外国の報道機関ではほとんど取り上げられていない。この事件を特に取り上げた記事は昨年1年で12本というところだろうか。筆者が見つけた記事では、米ニューヨーク・タイムズ紙で1年に2本、ワシントンポスト紙で1本だった。

日本の国会は「老人ホーム」さながら

自分に関して言うと、ル・フィガロの編集者になぜこの事件に関する記事が重要なのかを丁寧に説明したうえで、掲載してくれないかと頼み込まなければならなかったくらいだ。今日、もしニューヨークやパリの街頭で森友に関するアンケートを行ったとしても、99%の人が、それが何なのか知らないと答えるだろう。

なぜこの事件に無関心なのか、理由は2、3ある。1つには、外国の報道機関における日本関係のニュースがかつてにくらべてかなり少なくなっている、ということがある。日本駐在の外国特派員の数もだんだん減ってきている。森友スキャンダルは、世界のニュースで見出しを飾るほど「面白い」ニュースではない。

また、日本の政治をニュースで扱うのは容易なことではない。これは昔も今も変わっていない。日本の政治家のほとんどが50歳以上の男性で、英語が話せないうえ、外国の要人ともつながりが薄いため、国際的なレーダーにひっかかることがほとんどないのだ。政治家たちのもめごとの多くが個人的なものであり、知的なものではない。外から見ると、日本の国会はまるで老人ホームのようだ。そこにいる老人たちが時折けんかをするところも似ている。

日本の政治家がイデオロギーを戦わせることはまずない。政権交代によって突然、政策が変わることはない。仮に安倍晋三首相に変わって、石破茂氏が首相になったとして、何か変わることがあるだろうか。はっきり言ってないだろう。

こうした中、数少ない報道が、日本にぶざまなイメージを与えている。政府は、対外的には、日本では「法の支配」が貫徹していると説明し、これを誇ってきたが、森友スキャンダルは日本の官僚が文書を改ざんする根性を持っているというだけでなく、(これまでのところ)処罰からも逃れられる、ということを示しているのだ。

スキャンダルそのものより「悪い」のは

こういった行為が処罰されなければ、もはや政府を信頼することなどできなくなる。「もしフランスで官僚が森友問題と同じ手口で公文書を改ざんしたとしたら、公務員から解雇され、刑務所に送られるだろう。処罰は迅速かつ容赦ないものとなることは間違いない」と、フランスの上級外交官は話す。

また、改ざんにかかわった官僚の自殺、といった由々しき事態が起これば、その時点で国を率いている政権が崩壊することは避けられない。しかし、どちらも日本ではこれまでに起こっていない。麻生太郎財務相と安倍首相は、このまま権力を維持すると明言している。

日本の政治について報道することもある外国人ジャーナリストにとって、森友スキャンダルは結局のところはささいなケースにすぎない。関与した金額もそれほど大きくはないし、関係した人物の中に私腹を肥やした人物もいないようだ。

しかし、スキャンダルそのものより悪いのは、政府と官僚がスキャンダルを隠蔽しようとしたことだ。だがその隠蔽よりさらに悪いのは、隠蔽に対する国民の反応だ。ほかの国々から見ると、森友問題によって日本社会がどれほど政治に無関心になったかが示されたことになる。

「今の政府がこの事件を乗り切ることができたとしたら、もう日本の民主主義は終わりだね」と、日本に住むベテラン外国人ロビイストは嘆く。そして政府は実際に乗り切るかもしれないのだ。森友スキャンダルでは、首相官邸と国会周辺に小規模なデモが起こっただけだ。集会にわざわざ出掛けて怒りを口にしようという人の数は、多くてもせいぜい数千人だ。

数多くのニュース動画に映っている人を見ると、デモの参加者よりも警察官のほうが多い。仕事場での会話でも、日本人はスキャンダル全体に関し嫌悪感を抱いているというより、むしろ無関心のように見える。

日韓の政治問題に対する差は驚異的

日本の状況は、2016年と2017年のデモによって昨年朴槿恵(パク・クネ)政権を倒すことに成功した韓国とはひどく対照的だ。北東アジアの外国通信特派員はみな、韓国の民主主義が、いかに活気があるか、そして日本の民主主義がいかに意気地なしになっていたかに気がついた。

たとえば、昨年の韓国朴デモを担当したレゼコー(Les Échos、フランスで日本経済新聞に相当する報道機関) の日本特派員、ヤン・ルソー記者はこう話す。

驚くべきことは、森友問題に対する日本の世論の結集力が非常に低いことだもちろん抗議行動の形は国によってそれぞれだが、私は昨年冬、韓国で毎週100万もの人がマイナス15度の寒さもものともせずに集まり、朴大統領の辞任を要求していたのをこの目で見た。朴氏のほうが安倍首相より重い刑事処分の対象となっていたのは確かだが、それでもこの日韓の格差は驚異的だ」

20世紀の初めに民主主義の道を開いた人口1億2000万人の国、日本は、今では休止状態だ。一方、民主主義を発見したのがわずか30年前にすぎない人口5100万人の国、韓国は、デモ活動をする権利を、総力を挙げて守っている。この状況を日本人は心配したほうがいい。

米国のドナルド・トランプ大統領、中国の習近平国家主席、フィリピンのロドリゴ・デゥテルテ大統領……。世界には、次々と「強い」リーダーが現れている。そして、強いリーダーが意味するのは、弱い民衆である。

メキシコで活躍した農民出身の革命家エミリアーノ・サパタの半生を描いた『革命児サパタ』では、マーロン・ブランド扮するサパタがこう言っている。「強い民衆だけが、不変の強さだ」。日本人もこの精神を思い出し、政治的無関心から脱却してもらいたい。

 

 

 

 

 


池上彰「私は、民主主義を信じています」 池上彰さんと考える、憲法と私たちの向き合い方 〔 2017年04月17日.〕

2017-04-24 18:37:41 | 立憲主義 民主主義

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http://kokocara.pal-system.co.jp/2017/04/17/constitution-akira-ikegami/?j_top_puより転載

「私は、民主主義を信じています」 池上彰さんと考える、憲法と私たちの向き合い方

  • 2017年04月17日

施行から70年、戦後の平和を支えてきたといわれる「日本国憲法」。一方で、常にあるのが、憲法は守るべきか、変えるべきかという議論だ。分かりやすいニュース解説でおなじみのジャーナリスト・池上彰さんは、「その前に、そもそも憲法とは何かってことを考えないといけませんね」と明快に語る。5月3日の憲法記念日を前に、池上さんに、憲法が私たちの暮らしにどう関わっているのか、私たちは憲法にどう向き合うべきかを聞いた。

「権力者は権力を濫用したがる。それを“縛りつける”のが憲法です」

――池上さんは、憲法に関するご著書『超訳 日本国憲法』を書かれていますね。憲法とは、ひと言でいうと何なのでしょうか?

池上 それを考えるには、まず憲法と法律の違いからにしましょう。法律には、国民が守るべきことが定められていますよね。一方、憲法とは、国民の自由と権利を保障するものです。そして、憲法を守るべきはその国の権力者なんです。

 以前、ある国会議員が「今の憲法には国民の権利しか書かれていない。けしからん」というような発言をしましたが、憲法が何かをまったく理解していないと言わざるを得ません。権利ばっかり書いてあって、義務が少ない? 当たり前です。そもそも憲法というのは、個人として尊重される権利、健康で文化的な生活を営む権利、自由や幸福を求める権利といった、国民の権利を明らかにするためのものなのですから。

写真=坂本博和(写真工房坂本)

 憲法にも、国民の義務について触れている条文もありますよ。はい、何だったか言えますか? そう、学校で習いましたよね。教育、勤労、納税です。この3つだけは憲法の中で私たちに義務として課せられていますが、これも、国民が守らなければならない具体的な中身に関しては法律の定めによります。

 人間というのは、権力を手にしたらどうしても行使したくなる。ついつい人々をコントロールしたくなる。それに対して、いや、それはダメなんだよって、権力を持たない私たち一般市民が権力者に対して「これだけは守りなさい」と縛りつけるものが憲法です。どんな権力も憲法に従わねばならない。この原理を、少し難しい言葉で“立憲主義”といいます。

 私が立憲主義を強く実感したのは、今の天皇が即位されたときでした。あいさつに「みなさんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い……」というお言葉があったんです。天皇が「憲法を守らなければいけない」という意識を常に持たれているのだということが衝撃でした。びっくりすると同時に、天皇の決意というものを感じましたね。

権利の上に眠っている者は、権利を受ける資格はない

――憲法がある限り、私たちの自由や権利は永遠に保障されていると考えてよいのでしょうか。

池上 いえいえ、それは甘いというものです。法律の基本的な概念として、“権利の上に眠っている者は、権利を受ける資格がない”というのがあります。何もしなくても権利が守られていると安住していると、いつしかその権利は失われてしまうかもしれない、という警鐘です。

写真=坂本博和(写真工房坂本)

 日本国憲法第12条には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と書かれているんですよ。私はこれを読むといつも厳粛な気持ちになります。権利というのは、常に自分たちがしっかり守り主張していかなければ保持できない。私たちは常にこのことを肝に銘じたいですね。

 たとえば、イギリスのEU離脱を決める国民投票でもアメリカの先の大統領選挙でも、事前の世論調査とは反対の結果になりましたね。あれは、「わざわざ自分が行く必要はないだろう」とか「積極的には支持したくない」と言って棄権した人が大勢いたという結果も反映されています。今になって「こんなはずじゃなかった」と嘆いても、後の祭りです。有権者であっても、投票に行かなければ権利は行使できません。結果がどうであれ文句は言えないし、行かなかった人の責任だよねってことです。

イギリス議会前で行われたEU離脱残留派による抗議(写真=2017年3月25日・AP/アフロ)

 憲法にうたわれている表現の自由も、権力者が「どうぞ」と守ってくれるものではありません。どんな思想の権力者だって、メディアをコントロールして、自分たちの政権に都合のいいようなことを言いたくなるんですよ。もちろん政治がメディアに介入しようとするのはけしからんことですが、そもそも権力者とはそういうもの。メディアはそれをはねつけなきゃいけない。そのとき闘いの武器となるのが、憲法に書かれた“表現の自由”です。

私たちの今の暮らしは、先人たちの“不断の努力”によって整えられてきた

―― 不断の努力で自由や権利を守るといっても、私たちは具体的にどうすればいいのでしょうか。

池上 これは憲法に違反するのではないか、権力の濫用ではないかと感じたら、それを声に出していくことです。場合によっては裁判に訴えてでも守っていかなければいけないこともあります。

 私は社会部記者時代、消費者問題を扱っていたことがあるのですが、例えば、終戦直後の「不良マッチ撲滅運動」を例にあげてみましょう。不良マッチ撲滅運動と聞いて、ピンとこない人もいるかもしれませんが、当時、マッチといえば火のつかない粗悪品がはびこっていました。そこで、「火のつくマッチを売るように行政が監督すべきだ」と消費者が運動して、やっと、まともなものが出回るようになったんですよ。

写真=坂本博和(写真工房坂本)

 そのほかにも、商品の不当表示に異議を唱える運動、食の安全を求めて国に施策を要求する運動など、生協や主婦団体をはじめとする消費者運動こそ、憲法25条に保障されている「健康で文化的な生活を営む権利」を自分たちの手で勝ち取っていったよい例ですね。

 あるいは、私が小学校に入学したころは、教科書はまだ有料でしたが、1963年に無償化されました。憲法26条2項に、「義務教育は、これを無償とする」と書いてあるでしょう。最初は授業料が無料という意味に解釈されていたのですが、「義務教育には必ず教科書を使うのだから、教科書代も無料にしなければ憲法に反する」と訴える人々がいたからこそ実現したことです。

 このように、私たちの社会に健康で安心して暮らせる条件が整えられていった背景には、「憲法で保障されている権利を守れ」と声を上げて行動した戦後のさまざまな取り組みがある。私たちが今平穏に暮らせているのは、まさに先人たちの“不断の努力”のおかげであることを忘れてはいけませんね。

「一人ひとりが自分の頭で考える。それが民主主義です」

――メディアに引っ張りだこの池上さんですが、ご自身の意見はあえて明言しないようにしていると聞きます。なぜですか?

池上 それは、私が民主主義を信じているからです。「池上さんはどうですか」「どう思いますか」と聞いてくる人はいっぱいいるんですよ。でも、私の意見は極力言わない。その代わり、それを判断するための情報や知識を提供して、分かりやすく解説することに徹しています。

 民主主義というのは、充分な情報と知識を与えられた、自立した市民が自分の頭で考えて物事を決めるものだと思います。何でも「池上さんどうですか」と聞いて、私が言うことに従うというようなことは、すごく危険なこと。だから私はそこを冷たく突き放すんです。

 だれが何を言おうと、一人ひとり、自分の頭で考えなければならない。ただし、正しい判断をするためには材料が必要だから、十分な情報を提供しようと。あるいは、役人や政治家が難しいことを言っていたら、分からないままだまされてしまわないように、そこは分かりやすく説明しましょうと。そういうことなんです。

写真=坂本博和(写真工房坂本)

 私が民主主義を素晴らしいと思うのは、人間は間違えたり行き過ぎたりするもの、というのを前提にしていることです。選挙ってね、任期付きの独裁者を選んでいるようなものなんですよ。強い力で国を引っ張っていってもらいたいから、任期限定で独裁権を与えている。独裁国家はそれがずっと続きますが、民主国家は、「この人、ダメだな」と思ったら別の人を選ぶことができるんです。

 間違えてとんでもない人を選んでしまうこともあるけれど、それに気がついたら修復する仕組みが備わっている。それが民主主義です。だから、とにかく自分の頭で考えて投票に行く。投票に行かないのは“権利の上に眠っている”ことなんですよ。

何がよくて何が悪いか、国民の思いはどこにあるのか、みんなで議論を

――国民の一人ひとりがしっかり学んで自分なりの意見をもつことが大事ですね。最後に、「憲法を守るべきか、変えるべきか」という議論について、考えるヒントをいただけますか?

池上 憲法を変えることにやみくもに反対するのはどうかなと思います。そもそも日本国憲法は“不磨の大典”(※1)ではありません。憲法第96条には、ちゃんと改正の手続きが書かれているんですから。「憲法を変えるな」「憲法を変えよう」のどちらの意見も保障する。それが本当の意味での憲法の精神なのです。

 憲法も、時代に合わせて暮らしに必要なものだったら変えてもいい。ただ変えるのであれば何を変えるか、重要なのはそこです。よいものをよりよくするために変えるならいいけれど、悪く変えることはいけない。何がよいことで何が悪いことか。国民の本当の思いはどこにあるのか。これこそを私たちみんなで議論していくことが必要なのではないでしょうか。

※1:すり減らないほど立派な法典という意味。 大日本帝国憲法の美称。
※本記事は、2017年5月1回のパルシステムのカタログ記事より再構成しました。

超訳 日本国憲法

池上彰/著(2015年、新潮社)

「(天皇は)日本国民統合の象徴」→《国民がまとまっているという象徴》、「大臣を罷免」→《大臣をクビにできる》、「文民」→《軍人ではない人》、「国権の発動たる戦争……これを放棄」→《正義が守られ、混乱しない国際社会を……誠実に強く求め、あらゆる戦争を放棄》など、池上版「超訳」で読み解くと、こんなに憲法はわかりやすくおもしろい! 改憲論争が高まる中、国民必読、一家に一冊の最新版「憲法の基礎知識」。

akira-ikegami

Interviewee

池上彰
いけがみ・あきら

1950年、長野県生まれ。ジャーナリスト。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHKに入局。子どもにも理解できる言葉を使って報道、解説を行う番組「週刊こどもニュース」の編集長を務めた後、2005年に独立。現在、多数のテレビ番組に出演し、ニュース解説を担当。2013年、伊丹十三賞受賞。『超訳 日本国憲法』(新潮新書)、『池上彰の憲法入門』(ちくまプリマー新書)、『伝える力』(PHPビジネス新書)、『おとなの教養』(NHK出版新書)など、著作多数。

取材・文/高山ゆみこ 撮影/坂本博和(写真工房坂本) 構成/編集部

 

 

 


憲法記念日スペシャル鼎 「権力者は、憲法がお嫌い?」 島京子×太田啓子(弁護士)武井由起子(弁護士)

2017-04-23 19:22:16 | 立憲主義 民主主義

http://bp.shogakukan.co.jp/mado/1705/interview.htmlより転載

憲法記念日スペシャル鼎 

 島京子の「扉をあけたら」

2017.5

「明日の自由を守る若手弁護士の会」のメンバーであり、憲法に対する関心を高めるために、だれでも気軽に参加できる憲法学習会「憲法カフェ」を積極的に開催している弁護士の太田啓子氏、武井由起子氏。私たちはいま憲法とどう向き合えばよいのか、お二人と語り合います。
 
第十一回
権力者は、憲法がお嫌い?

ゲスト 太田啓子(弁護士) 武井由起子(弁護士)
Photograph:Hisaaki Mihara
太田啓子(左)、中島京子(中)、武井由起子(右)

「憲法カフェ」の輪を広げていきたい
中島 お二人とお会いしたきっかけは、私が三年前の憲法記念日に、ある新聞で「明日の自由を守る若手弁護士の会」の活動をご紹介したことでした。そのあと、お二人も執筆された『これでわかった! 超訳・特定秘密保護法』の出版記念会で初めてお会いして。あれから、いろんなことがありましたね! 昨年はお二方の「憲法カフェ」にゲストとして参加する機会もあり、とても勉強になりました。太田さんとは高円寺で一回、藤沢で一回。それぞれ私の地元と太田さんの地元で開催しました。武井さんとも、中野の古民家で、一緒にお話をしましたね。
武井 料理研究家の枝元なほみさんと鼎談したんですよね。トークも白熱しましたが、枝元さんが作ってくれた料理を食べ始めたとたん、みなさん緊張がほぐれたのか活発な意見交換をされていたのが印象的でした。
中島 やっぱり美味しい料理は、心の垣根を外してくれるんですね。ところで「憲法カフェ」は、どういう経緯ではじめられたのですか?
太田 直接のきっかけは、二〇一二年四月に自民党が発表した「日本国憲法改正草案」ですね。自民党の憲法改正推進本部のホームページに掲載されているので、ぜひ読んでほしい。その内容に危機感を持った若手弁護士たちが二〇一二年十二月の衆院選で第二次安倍政権が発足したのに警戒心を強め、自民党憲法改正草案を阻止しようという一点のみで集まろうということで、二〇一三年一月に「明日の自由を守る若手弁護士の会」(通称「あすわか」)を結成しました。現在は五百六十名を超える若手弁護士が参加しています。その活動の一環として、自民党の改憲案の怖さを伝えることはもちろん、誰もが気軽に参加できて憲法のことをもっと身近に考えてもらえる場を作ろうと「憲法カフェ」を企画したんです。これまで「あすわか」に所属している全国各地の弁護士たちによって、のべ千回以上開催されています。
武井 私たちは創設メンバーではないのですが、「あすわか」の活動に賛同して参加しました。「憲法のお勉強ですよ」と大上段に構えるのではなく、お茶を飲んだり、ご飯を食べたり、音楽を聴いたりしながら、憲法の基礎的なことを知って頂いて、政治や生活のことをざっくばらんに話したりすることを目的としているんです。中島さんのような言葉を紡げる方に参加いただけると、ものすごい力になります。
中島 いや、私はむしろ、参加者として教えてもらっているほうですから。「憲法カフェ」で武井さんたちのお話を聞いて、自分にとって「憲法」がどれくらい大切なものかを痛感したんです。でも、いくら気軽に参加してくださいと言ってもテーマが「憲法」でしょう。最初は参加者を集めるのが難しくありませんでしたか。
太田 例えば「公民館の第6会議室で憲法改正阻止の勉強会を開催します」と参加者を募ったとしますよね。すると本当は改憲論議に関心があってその内容をもっと深く知りたいと思っている人まで、「ガチガチの護憲派」に見られるのは嫌だと敬遠してしまう。そこで「あすわか」の弁護士たちもどんなイベントなら参加したくなるだろうかと知恵を絞っていろんな企画を立て始めました。
武井 静岡県の内山宙先生がやっている「ベルばら憲法カフェ」は、「次は私たちの街で」と依頼が相次ぐほどの人気になっていますよね。
中島 「ベルばら」って『ベルサイユのばら』ですか? オスカルやアンドレと「憲法」がどう繋がって、どんな話をされるのか、ファンじゃなくてものぞいてみたい。
太田 そうでしょう。でも、内容は参加してのお楽しみです(笑)。埼玉県では竪十萌子先生がラッキィ池田さんとコラボしたイベントも話題になりました。ラッキィさんは、子どもたちに人気のアニメ『妖怪ウォッチ』の体操の振り付けを担当されているので、まさに踊って学ぶ憲法カフェ。会場は、たいへん盛り上がったそうです。
武井 竪さんはさまざまなメディアの注目を集めて大活躍されています。まさに憲法カフェクイーンですね。
太田 そうなんですよね。小さなお子さまも一緒に楽しめる企画なら、お母さんも参加しやすい。私も、三浦の農家の方が企画した芋掘り体験と組み合わせたイベント「畑de憲法」に講師として呼んでもらいました。親子で、泥んこになって芋掘りを楽しんでもらう。掘った芋は「憲法カフェ」をやっている間に、焼き芋を焼いて、終了後みんなで食べるんです。
中島 それは、お母さんもうれしいですね。
太田 しかも子どもたちの様子が心配だと、お母さんは「憲法カフェ」に集中できないでしょう。このイベントでは、年配の参加者の方が子守役を買って出てくれたんです。みんなが協力しあって輪をひろげていく市民運動の原点を体験しているようで、ワクワクしてきました。武井さんの「Wけんぽう(憲法&拳法)カフェ」も話題になりましたね。
武井 冗談みたいな企画ですが、元世界チャンピオンの太極拳の先生まで応援に駆けつけてくれて、大人だけじゃなく小学生のお子さままで、「ふたつのけんぽう」を楽しく学んでくださったようです。
中島 お話を聞いていると、「憲法カフェ」は女性の参加者が多いような気がしました。
太田 他のメンバーのイベントはわかりませんが、私の場合は平日の日中に開催することが多いので、どうしても男性で参加できる人は限られてきます。じつは、日曜日の昼間にバーを借り切って「お父さんのための飲み学び講座」をやったことがあるんです。奥さんに薦められてしぶしぶ参加した男性が、終わってから「何が問題かよくわかったよ。企画してくれてありがとう」と声をかけてくれた。その時に、やり方次第で「憲法カフェ」はまだまだ広がっていくと確信しました。
中島 これまでいろいろな方と話されてきたと思います。何か問題点をお感じになることはありますか。
武井 そもそも憲法は何のためにあるのか。誰を縛っているのかを履き違えている人がほとんどなんです。
太田 憲法の基礎知識を○×クイズでやると、憲法は国民を縛るものだと思っている人が、結構多いですね。
武井 「憲法」はお釈迦様が孫悟空の頭につけた「緊箍児」のようなもの。悪いことをすると、ギュッと締め付けられる。権力者の暴走を防ぐ役割を果たすものなんです。孫悟空が締め付ける力をゆるくしたいと考える時は、自分に有利なことをしたい時。そう考えれば政権側から出てくる改憲要求が、私たち国民にとって不利なものになることは自明ですよね。
太田 「憲法」は、国民を縛るものではなく、権力を縛るものというのが立憲主義の根幹です。だから時の権力者にとって「憲法」は、自分の行動を不自由にする不便なものなんです。
中島 なるほど。権力者にとって「憲法」は「押し付けられたもの」なんですね(笑)。
太田 「あすわか」にも参加されている広島の楾大樹先生の著書に『檻の中のライオン』(かもがわ出版)という絵本があります。憲法を檻に、権力をライオンに見立てて、立憲主義とは何かを子どもにもわかるように絵解きした良書なんです。「憲法」って難しそう、と尻込みする前にすべての人にまずこの絵本を読んでほしいんです。
「改憲」か「護憲」かではなく
「全体主義」か「個人主義」か
武井 社会科の授業で、憲法の三大原則を暗記させられたでしょう。
中島 「平和主義」「国民主権」「基本的人権の尊重」。
武井 でもみんな暗記するだけで、それの持つ意味をちゃんと考えることをしない。
中島 確かに、その通りです。
太田 教える側の先生が憲法のことを理解していないから、子どもたちのなかにも憲法の根本が根付かない。
武井 憲法の三大原則が言っていることは、国民一人ひとりみんな違っていていいということ。
中島 武井さん、それよく使いますね(笑)。金子みすゞの詩。「みんなちがって、みんないい」。
武井 日本の憲法は、個人の尊重をサポートするためにあるんです。改憲論者たちは、今の憲法を個人主義的な憲法だと批判しますが、日本国憲法にとってそれが一番の要。とにかく憲法に記載されている百三条の条文すべてが、個人の尊厳をまもるために存在していると言っても過言ではありません。
太田 今の憲法に不満を持っている自民党のおじさんたちは「個人主義的な憲法のせいで戦後女性が好き勝手わがままに生きて、子どもを産まなくなった」なんて言っているわけでしょう。
中島 個人の尊厳を踏みにじれば、子どもは生まれるのかな?(笑)
武井 「個人主義」の反対概念は「全体主義」です。では、「全体主義」とはどういうものか。指導者が国民の幸せはこれだと決めて、その方向に向かってすべての国民がドドドドドって進んでいく。それが嫌な人、同調できない人は全部排除される社会です。
中島 太平洋戦争に突入していった時の軍国主義の日本やナチス・ドイツの世界。
武井 個人主義は、わがままではない。自分の幸せは、自分で決める。自分でも頑張るし、周りの人や社会もあなたの幸せを応援する。そういう社会です。さぁ、皆さんはどっちの社会がいいですか?
太田 なるほど。「改憲」か「護憲」かではなく、「全体主義」か「個人主義」かの選択ということですね。
中島 うん、その説明はしっくりきました! 憲法を一字一句変えちゃいけないとは思わない。時代にあわせて変えたほうがいいと思う条文もある。だけど、自民党の改憲案は、すごくイヤなんです。一人ひとりを尊重せず、みんなひとまとめにして「全体」に向かわせるからなんですね。
武井 「個人主義」と「全体主義」の対立だという視点から見ると「特定秘密保護法」も「共謀罪法案」(テロ等準備罪)も、全体主義化を推進する法律だということがわかります。
太田 自民党憲法改正草案の根底にあるのは、とにかく「個人主義が嫌い」だということ。こういう改正論者は皆さん「全体主義」が好きな方たちです。国家の大義の前では個人の自由は制限されて当然だという発想。それがすべてだと思います。安倍総理もメンバーの一人である、近年話題の「日本会議」という保守的な団体ネットワークの思想ってこういうものなのでしょうね。
中島 日本会議、安倍首相をはじめ、現閣僚の多くがメンバーなんでしょう?
太田 だから海外のメディアに、日本会議という極右団体カルトが政府に強い影響力を持っていると書かれるんです。
中島 「国有地を八億円引きの破格値で購入できたのは、政治家の強い働きかけがあったのでは」という疑惑が取り沙汰されている森友学園の前理事長も、元々は日本会議のメンバーでしたね。森友学園が運営する塚本幼稚園では、「教育勅語」を暗唱させたり、運動会の選手宣誓で子どもたちに「安倍首相ガンバレ。安保法制国会通過よかったです。エイエイオー!」と言わせていた。まさに「全体主義」の教育。そのシーンをワイドショーやニュースがばんばん放送したのはすごく大きなことです。
太田 「あれが日本会議のメンバーだった方。安倍首相は、日本会議のメンバーだよ」そう話すとわかりやすいものね。
憲法改正案、国民投票の結果は?
太田 「君が代」の斉唱を義務付けたり、「教育勅語」を愛でる大臣……。教育の現場でも全体主義化への圧力は強まっているように思いますね。
武井 そして、もう一つが家庭なんですね。自民党のおじさんたちは、なぜ「家庭教育支援法」の制定にこだわるのか。家庭というと、お父さんとお母さんがいて、子どもたちとたのしそうに食卓を囲んでいる一家団欒のシーンを想像するでしょう。でも、与党政治家が考える家庭というのは、そういうイメージではなく、国家による国民支配の道具という機能です。国民は天皇の子どもと言われ、産めよ殖やせよと介入され、父親が家庭内で権力を持ち、「お国のためだから仕方がない」と、子どもを守りたいお母さんの気持ちを押しつぶした戦前のイメージです。そうじゃないと戦争なんて遂行できないんです。お父さんがトップにいて、お母さんは口答えせず、お国のために子どもをさし出す。そういう家族のかたちは、戦争をしたい国には都合がいいんです。
太田 今国会で提出予定の「家庭教育支援法」というのは、家庭内でも個人の尊厳を守ることを明記した、憲法二十四条を骨抜きにする法案だと言われています。
中島 私たちには異様に感じる森友学園の教育、あれ、安倍政権が目指している理想の教育ってことでしょうか。
武井 そうなんでしょう。実際に塚本幼稚園の先生が三人ほど「文部科学大臣優秀教員表彰」を受けていますもの。あなたは、素晴らしい教育者だと、国から表彰されている。そもそも日本の憲法には「日本の軍国主義が引き起こした悲惨な戦争で世界に迷惑をかけた。だからちゃんと民主主義国家になりなさい」という戦争への反省と平和への願いが込められている。それが、いつの間にかまた軍国主義の方に向かっている気がします。
太田 そう思いますね。憲法第九条に関しても、あれだけ国民が反対していたのに、安保法制を強硬的に成立させ、集団的自衛権を認めることで、事実上戦争を行うことができる国になりました。もちろん政府は戦争という言葉は使っていませんけれど。法律を制定することによって、事実上憲法を骨抜きにする。こういう「憲法改正」手続きを踏まずに事実上行われる「改憲」の手法には強く警戒を呼びかけたいです。
中島 実際の改憲項目は、「教育無償化」とか、災害時などの「緊急事態条項」など、「あったらいいかも」と思わせるものにすると言われていますが。
太田 そもそも「教育無償化」は憲法を変えなくても、法律を作ればいますぐできますよ! 「緊急事態条項」は、東日本大震災の被災地の弁護士たちはじめ被災の実態を知る弁護士たちが「必要ない」と言っています。各地の弁護士会から改憲による緊急事態条項創設は危険、不要、有害だという声明も多数出ています。「ともかく改憲実績を作りたい」という動きには、やはり警戒が必要です。
中島 安倍首相の在任中に、憲法改正は必ず行われると思いますか?
武井 安倍さんは、歴史に名を残したいと思っているでしょう。いまのスケジュールだと、来年の一月ぐらいに自民党の憲法改正案は議会を通過し、憲法改正が発議されます。そして発議から六十日以後百八十日以内に、国民投票が行われます。
中島 そんなに早く……。
武井 しかも投票総数の過半数の賛成で、憲法改正案は成立しちゃうんです。
太田 国民投票になったら、熱心な与党支持者は必ず投票にいって賛成票を投じるでしょう。でも、憲法に関心がない人はいかないですよね。国民投票法の定めで、「過半数」は「投票総数」の過半数であって、有権者の過半数ではないので、棄権者は分母に入りません。投票率が低ければ組織票があるほうが有利で、賛成票が過半数を占める可能性は高いと言わざるを得ない。
中島 国民投票の前に、「私たちが国に奉仕する」憲法に変えていいのか、「国が私たちに奉仕する」憲法を維持したいのか、考えておくべきですね。
武井 「憲法カフェ」も一応憲法をテーマにしているけれど、ほんとうに身に付けてほしいことは、究極的には主権者意識なんです。でも、自分が社会の主人公なんだという感覚が、日本の人には薄いですよね。
中島 私も3・11以前は、かなり薄かったと思います。
武井 国民のことは、お上がなんとかしてくれる。だからお上には従順にして、とにかく我慢する。
中島 「全体主義」を目指す勢力にとっては、非常に都合のいい国民性かもしれません。
武井 でも、憲法を読んでみてください。国民が主役って書いてありますよ。そう話しても、主権者意識がどういうものか体感したことがないから、みんな実感が持てないんですね。
太田 それに、主役でいたいかどうかもいままさに問われていると思います。居心地のいい奴隷だったら、そのほうがいいという人もいるかもしれない。
武井 そう。みんなが私たちと同じ考え方だとは限らないし、一人ひとり考え方は違っていい。でもね、イメージだけで決めるのは危険だということに気づいてほしい。
中島 最後に、読者の方々に読んでほしい条文があったら教えてください。
太田 第十二条、ですね。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」
 要するに誰かがいい社会をつくってくれるそんな甘い世の中じゃない。日々悩み、考え、行動することで人間の権利は鍛えられていく。権利は行使しないと小さくなるぞ、と読めるんです。例えば表現の自由もそうだと思う。意識的に行使していかないと、なくなってしまう。いま痛切に、そう思っています。
武井 昨年の秋にアメリカ海兵隊の軍人さんたちを呼んでお話を聞いたのですが、戦争による精神的な傷跡に一生苦しみ続ける人が多くいる。戦争を許すと世界は恐らく滅びちゃう。究極的にはジョン・レノンの『イマジン』に歌われているような世界じゃないと、地球がきちんと維持されて人々が幸せに生きる方法がないんだなと感じました。やはり戦争の放棄を宣言した第九条は、日本だけじゃなく世界の人々にも読んでほしい条文です。 
「1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
太田 第九条とともに憲法の前文を読むとなぜ日本国憲法が平和憲法と呼ばれるのか、よくわかりますよね。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。(前文より一部抜粋)」
武井 いま国連で「平和への権利」の国際法典化が進められていて、その内容は日本国憲法に書かれていることと合致するんです。地球の未来に対する答えが日本国憲法のなかにあるんです。世界に誇れることだと思いませんか?
構成・片原泰志