異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

②政治学者・白井聡が語る〈日本を再び破滅に導く「戦後国体」の正体〉 2018.5.18 AERAdot.

2018-05-19 01:15:02 | 戦前回帰 明治 国家思想

②政治学者・白井聡が語る〈日本を再び破滅に導く「戦後国体」の正体〉

白井聡(しらい・さとし) 1977年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位修得退学。博士(社会学)。専門は社会思想、政治学。京都精華大学人文学部専任講師。おもな著作に『永続敗戦論―戦後日本の核心』(太田出版・石橋湛山賞、角川財団学芸賞受賞)など〈撮影/福井しほ〉

国体論 菊と星条旗(集英社新書)

 

 北朝鮮が韓国、米国、中国など各国の首脳と次々に直接交渉を開始しているなか、日本の安倍晋三首相は「蚊帳の外」に置かれている。「外交の安倍」を自認していたにもかかわらず、激動するアジア情勢で主導権をまったく発揮できていない。なぜこんな状態になっているのか。

 政治学者・白井聡氏によると、そこにも「戦後の国体」に支配された日本人の呪縛があるという。そのことについて白井氏が分析した『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)は、発売から約1カ月で政治本としては異例の5万部を突破するベストセラーになっている。

 なぜ、日本人は「戦後の国体」に支配されているのか。また、その呪縛から解放される日は来るのか。インタビューの後編をお届けする。

「白井聡が語る 安倍政権の支持率が下がらない理由とその背景」より続く

* * *

──しかし、戦争に負けた日本は米国との同盟関係によって再出発し、復興を成し遂げました。

 その通りです。戦後の日本の再出発には、東西対立の状況下で論理的には3つの道がありました。一つはソ連の子分になる道で、これは最もとってはいけなかったし現実的でもなかった選択。二つ目が米国の子分になることです。現実に選択された道です。そして、三つ目の道が、どちらの子分にもならずに、独立自尊の新しい日本国家を作るという道です。

 三つ目の道を目指した政治家に、石橋湛山がいます。石橋は、戦後の保守政治家でありながら、戦前・戦中の言動以外の理由で唯一公職追放になった存在です。石橋は独立の精神が強く、GHQと進駐軍経費問題などで激しく対立したためにらまれたのです。米国からすれば、石橋が1956年に自民党総裁に選ばれ首相になったことは、悪夢だったはずです。しかし、石橋は病気のために約2カ月で退陣して、元A級戦犯の岸信介が登板。彼が60年安保という危機を乗り切って、対米従属路線を確定させました。「戦後の国体」の基礎が確立され、高度成長の軌道に乗ることができたわけです。

──「戦後国体の安定期」には、何が起きたのでしょうか。

 あるべき国家像が消えたということです。独立不羈の国を目指しても、現実には米ソ冷戦のまっただ中で日本中に米軍が駐留している。そんな現実に対する拒絶の反応は、70年代前半まではありました。それが、日米同盟の恩恵として高度経済成長を成し遂げたことで、同盟関係を傷つけてまで独立不羈の国になる道にリアリティーがなくなってしまった。対米従属を通して経済大国にまでなったわけですから。同時に、米国による支配の構造が不可視化されるに至りました。こうして戦後の国体は盤石の安定を得たということです。

──すでに冷戦は終わりました。今なら新しい形での「日本の独立」ができるのではないでしょうか。

 論理的にはその通りですが、それは簡単なことではありません。なぜなら「国体」は、人間の思考を停止させるからです。本来であれば、冷戦が終わった時期に独立についての議論が再び起きて当然でした。しかし、そうはならなかった。なにせ、被支配の現実が見えなくなったのですから、支配から脱しようという発想も出て来ようがない。こうして、もともと対米従属は敗戦の結果余儀なくされたものであり、復興のための手段であったはずが、自己目的化するに至ります。そうなると、自分の頭で考える能力も意欲も失われてきます。

 例を挙げると、日本人は北朝鮮に対して拉致問題の解決を強く求めています。もちろんそれは当然のことですが、あのひどい事件が起こされた背景としての朝鮮戦争がまだ終結していないという事実は、どういうわけか意識にのぼってこない。

 北朝鮮にとって直接の敵国が韓国と米国なら、米国と協力している日本は準敵国です。だから、拉致問題を解決する根本的方法は、戦争状態の終結です。ところが、小泉元首相の訪朝以来、どの政治家も米国や北朝鮮に戦争終結を働きかける努力をしてこなかった。

 いまも政府は、「核・ミサイル・拉致の包括的解決」を訴えていますが、朝鮮戦争を平和的に終わらせようとは政府の誰も言わない。つまり、「戦後の国体」の支配者層は、朝鮮戦争が終わることを望んでいないのです。終わってしまうと米軍駐留の理由のひとつが消滅してしまうからです。ことほど左様に、何が何でも自発的従属を続けたいということなのです。

──私たちが知らない間に刷り込まれている「戦後国体」から脱却するためには、どうすればいいのでしょうか。

 これは難しい問題です。一つ言えることは、「結局は個人の質にかかっている」ということです。森友・加計問題では、特定のメディアが追及を続けています。これは、組織で動いているというよりも、一人一人の記者が頑張っている。官僚からのリークもあると推察しますが、そうした行動は、「これではダメだ」という個人の信念に基づくものでしょう。伊藤詩織さんのように、レイプ事件を安倍政権によってもみ消されたという疑惑を、あらゆる嫌がらせに遭いながら訴え続けている人もいる。

 魔法の薬はないのです。今日の社会の歪みを修正できるかどうかは、こうした筋を通すことのできる個人がどれくらいいるかにかかっているでしょう。

──二度目の敗戦を避けることはできないのでしょうか。

 3.11の原発事故からも明らかですが、私たちはもうすでに破産しています。しかし、先ほども述べたように、「戦後の国体」の受益者たちは、自らの権益を維持するために、国体を守り抜こうとするはずです。そのために社会や人々がどれほど不幸になろうが、彼らの知ったことではありません。社会の側が止めない限り、彼らはそうするでしょう。

 天皇制に話を戻せば、天皇は退位に関する会見のお言葉には「私は象徴天皇とはかくあるべきものと考え、実践してきました。皆さんにもよく考えて欲しいと思います」との呼び掛けが含まれていました。穏やかな姿の中に、とても激しいメッセージが込められていたと私は理解しています。『国体論 菊と星条旗』は、この呼び掛けに対する私なりの応答でもあります。

「戦後の国体」から自由になって物事を考えるには、歴史を理解する必要があります。本を読んでくれた方が「考えるヒント」を得てくれたら、とてもうれしいです。(終)

(構成/AERA dot.編集部・西岡千史)

 

 【関連】

①政治学者・白井聡が語る〈安倍政権の支持率が下がらない理由とその背景〉  2018.5.18 AERAdot.

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

①政治学者・白井聡が語る〈安倍政権の支持率が下がらない理由とその背景〉  2018.5.18 AERAdot.

2018-05-19 01:14:17 | 戦前回帰 明治 国家思想

①政治学者・白井聡が語る〈安倍政権の支持率が下がらない理由とその背景〉

 

白井聡(しらい・さとし)
1977年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位修得退学。博士(社会学)。専門は社会思想、政治学。京都精華大学人文学部専任講師。おもな著作に『永続敗戦論―戦後日本の核心』(太田出版・石橋湛山賞、角川財団学芸賞受賞)など
〈撮影/福井しほ〉

白井聡(しらい・さとし) 1977年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位修得退学。博士(社会学)。専門は社会思想、政治学。京都精華大学人文学部専任講師。おもな著作に『永続敗戦論―戦後日本の核心』(太田出版・石橋湛山賞、角川財団学芸賞受賞)など 〈撮影/福井しほ〉

国体論 菊と星条旗(集英社新書)

 

 森友・加計問題で次々と新事実が明らかになり、安倍晋三首相をはじめ、担当大臣や官僚が野党やメディアから徹底的に追及を受けている。だが、メディア各社の世論調査では、安倍内閣の支持率は38.9%(共同通信、5月14、15日調べ)で、倒閣運動が始まる「危険水域」の前で安定している。

 文書改ざんや国会での「記憶がない」「メモがない」発言など、国民への説明をかたくなに拒否する安倍政権が、なぜ支持を集めているのか。

 そういった問いに、正面から切り込んだ著書が話題を集めている。政治学者・白井聡氏の『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)だ。発売から約1カ月で、政治の本としては異例の5万部を突破するベストセラーになっている。

 白井氏によると、今の日本人は「戦後の国体」に支配されているという。それは一体、どういう意味なのか。インタビュー前編。

* * *
──安倍政権とは、戦後日本の歴史でどのような存在なのでしょうか。

(白井聡氏、以下回答部分は同じ)
 これだけの腐敗と無能をさらけ出しているにもかかわらず、安倍政権が長期本格政権になってしまった。日本はすでに破局を迎えているのではないでしょうか。

 政権の常軌を逸したひどさが日々刻々と証明されてきたにもかかわらず、支持率の動きは底堅い。これが示しているのは、自分たちの社会が破綻しているということからも、劣悪な支配が進んでいるということからも目を背けている人々が数多くいる、ということです。

 新著『国体論 菊と星条旗』で論じたことですが、現代は戦前のレジームの崩壊期を反復している時代です。あの時代を今から振り返ると、「この時期の日本人て、何やってんだ? バカじゃないのか?」と私たちは感じるわけですが、崩壊期というのはそういうものなのでしょう。安倍政権もそれを支持してきた日本社会も、こうした時代にふさわしい状態にある。

──そのことと、「国体」とはどう関係するのでしょうか。

 端的に言うと、「国体」のなかで育てられた人間は、自由を知らず、民主制における政治的主体になり得ないのです。

 一般に国体と言えば、「万世一系」の天皇を家長とし、その子である臣民で構成された共同体という物語です。こうした家族国家観は、家族の間に支配はない、と「支配の否認」という心の構造を日本人に埋め込んでしまった。

 もちろん、戦前の国体は、敗戦を契機に粉砕されたことになっていますが、実際にはそれは戦後も途切れていないと私は考えています。

 では、「戦後の国体」とは何か。それは、敗戦後に米国が天皇に変わって頂点を占めるようになった支配構造です。よく知られているように、GHQは日本を円滑に統治し、親米国へと作り変えるためには天皇制を残すべきと決めました。それは、熱心な研究の末に彼らが得た結論でした。その結果、「米国に支配されている」という事実が曖昧なものになっていきました。

 やがてそれは、長い時間を経て「自発的に米国に従属し、かつ、そうしていることを否認する」という日本人を生み出しました。日本が世界に類をみない対米従属の国であるのは、被支配の事実を今の日本人がちゃんと認識していないことです。

 支配されていること、つまり不自由を自覚するところから自由への希求と知性の発展が始まりますが、そもそも支配されているとの自覚がなければ、何も始まらず、奴隷根性だけがはびこります。「支配の否認」を続けている限りは、日本はこの閉塞感から抜け出すことも、さらなる破局を逃れることもできないでしょう。

──安倍政権は米国との協調姿勢をアピールしています。

 安倍首相は、皇居にいる今上天皇よりも、米大統領を天皇のように扱っています。ゴルフ場で安倍氏がバンカーに転げ落ちた後、必死にトランプ氏に追いすがる姿は象徴的でしたね。こんな国辱的外交を「外交の安倍」などとメディアは評している。

 こういう具合に、対米従属レジームの親分である安倍首相が米大統領を権威として崇めることが当然視されている一方で、同じその親分は今上天皇の譲位の意思表明に対してどういう態度をとったか。

 退位をめぐる有識者会議では、日本会議系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」との発言があり、天皇が「批判をされたことがショックだった」と話していたことが、毎日新聞の記事で明らかになりました(宮内庁は発言を否定)。宮内庁筋からは「陛下の生き方を全否定するものだ」という最高度の非難の言葉も出てきた。

 さきほど言ったように、戦後国体はGHQが天皇制を利用することで形作られた、つまりは天皇と米国が一体化したような国体が生まれたわけですが、ついに日本の保守派にとって、天皇制の頂点を占めるものは明白に米国になったということです。

 だとすると、東京に居る天皇は何なのだということになる。存在意義がなくなってしまう。そうした文脈から昭恵夫人の言動を見ると、興味深いですよ。

 昭恵さんの「私は天皇陛下からホームレスまで誰とでも話しができる」という発言を知って、私は驚愕したわけです。これって、「私は日本国民の一番上から一番下までつながれる、上から下までみんな私を通してつながる」という話で、それはつまり「私は国民の統合をつくり出せる」と言っているわけです。首相が天皇(米国)の代官をやっているうちに、首相夫人は自分が皇后陛下だみたいな気分になってきたようですね。
 
 こういう具合に、末期的症状はここかしこに見えてきています。しかし、だからといって、国体が自然消滅したりはしないでしょう。「戦前の国体」の最期がどういうものだったか、想い起すべきです。

 1945年の敗戦の時、国家指導層は「国体護持」のみをひたすら目指したために、犠牲を増やし続けました。明治維新から1945年の敗戦までが77年。そして、2022年には、戦後も同じ77年目を数えることになります。いよいよこれから「戦後の国体」の断末魔の時期に差し掛かって来るのではないでしょうか。

(後編に続く)

(構成/AERA dot.編集部・西岡千史)

 

 【関連記事】

②政治学者・白井聡が語る〈日本を再び破滅に導く「戦後国体」の正体〉 2018.5.18 AERAdot.

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

公文書管理問題=保阪正康・・・東条軍閥内閣と同様の時代が来ているかのようだ 2018.4.21 毎日新聞

2018-04-22 22:13:01 | 戦前回帰 明治 国家思想
昭和史のかたち

公文書管理問題=保阪正康

 
東条英機元首相(上)佐川宣寿前国税庁長官(下)=コラージュ・深澤かんな
 

東条軍閥内閣と同様の構図

 連日の新聞報道にふれていて、この国の骨格が音を立てて崩れていることがわかる。加計学園問題が「首相案件」であったとの文書が発見されるまでの官僚機構のシラを切った答弁、ないはずの文書が次々と発見され、それも意図的な隠蔽(いんぺい)と思われる工作、さらには存在しないとされていた自衛隊イラク派遣時の日報の開示、首相秘書官が愛媛県職員と面会した際に同県が作成した文書の発見。ついには財務省の事務次官のセクハラ疑惑など、この国は一度落ちるところまで落ちた方がいいと言いたくなるほどの体たらくである。

 

 原因は何か。主要な点は、次の三つに絞られるのではないか。

 (1)現内閣の強圧政治と世論誘導策

 (2)官僚機構の腐敗と道徳的退廃

 (3)行政文書管理のずさんさと歴史的無責任

 この3点が重なり合って、この国の骨格に今や大きなヒビが入っている状態である。単純に比較するわけにはいかないにしても、これと似たような状況は過去にもあった。最もわかりやすいのは、太平洋戦争の末期と終戦時の国家体制の崩壊の折に、この3点が表出していたことだ。

 敗戦時は鈴木貫太郎内閣だが、問題なのは太平洋戦争の3分の2の期間を担った東条英機内閣であった。この内閣の独裁政治と自らの延命しか考えていない首相により国民はおびえ、沈黙し、そして面従腹背を生活上の知恵とした。

 むろん今はこの時とは時代背景も異なるのだが、こと中央官庁の官僚だけを例にとると、その構図は東条内閣当時と同様ではないかとの思いがする。官僚が身を守るためにうそをつき、責任は下僚に押しつける。そのために自殺者まで出ている。何より歴然たる事実を真正面から否定する高級官僚の心中には私益しかないとはいえ、相当の恐怖心があるということだろう。その恐怖心は報道の中からも十分にくみとれるのだが、私は彼らのおびえの深さを知り、がくぜんとする。

 21ということだろう。

 この構図がわかった時、前述の(2)と(3)は官僚機構そのものが内閣に屈服している結果という側面がうかがえる。ただ(3)の行政文書の管理とその責任について、国会で証人喚問された佐川宣寿・前国税庁長官の答弁にみられる内容を含め、高級官僚の弁明を聞いていると、記録文書そのものへのあまりにも無責任な発言に驚かされる。自衛隊の日報にしてもそうである。

 言うまでもなく行政機構において、記録文書の管理は重要な責務である。それを放棄するのは当事者たちが単に責任逃れをしただけでなく、歴史的犯罪を犯していると言っていい。太平洋戦争の終結時に、高級官僚、軍官僚は、あの戦争に関する書類をすべて焼却するよう命じた。戦争責任の追及を妨害しようとの意思であった。

 そのため、喜劇とも言うべき光景が演じられた。東京裁判で検察側はA級戦犯被告の罪を問うために、被告たちが虐殺事件の責任者である旨告発した。弁護側はそれを否定しようと試みるも、文書を焼却したため雑誌記事などを反証の材料に用いた(半藤一利・保阪正康・井上亮著「『東京裁判』を読む」日経ビジネス人文庫)。揚げ句の果てに、弁護に有力な証拠となる文書を焼却した証明書を提示する状態になった。

 この証明書は旧陸軍省の事務を引き継いだ第一復員局の文書課長が書いた「調査の結果、終戦時焼却せられ現在保管書類中に存在しあらざる」といった内容だった。こういう報告書を次々に持ちだすために、ウェッブ裁判長は「こんな議論はばかげている」と怒り出す有り様であった。国際社会で、日本の資料管理は笑いものになった感もあった。これは重要な教訓になったはずだ。

 しかし今後とも、記録文書の管理について、あるいはその内容について、高級官僚は下僚に責任を押しつけるだろう。この構図とてBC級戦犯時と同様の光景になるはずだ。捕虜を殺害した兵士が罪を問われて、「上官の命令」と答えた時に、その上官は「始末しろとは言ったが殺せとは言っていない」と言い逃れ、兵士が銃殺になったケースも数多い。これが日本の官僚機構の慣例である。

 大日本帝国憲法下にあって、あの軍部でさえ、天皇が裁可した文書を改ざんすることはありえなかった。もっとも天皇に示す文書の中で、事実を改ざんしていたことはあった。ところが現代日本では主権者(国民)に示した文書記録を平気で手直ししたり、虚偽の説明をしたりする。そして責任は、官僚機構の末端に押しつけていくとの構図を繰り返している。

 私は、前述の3条件が重なり合って描き出されている日本の現在が、「2度目の歴史だ」と断言してはばからないのである。


 ■人物略歴

ほさか・まさやす

 ノンフィクション作家。次回は5月19日に掲載します。

 

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

前川氏授業への圧力議員・赤池誠章が、ちびまる子ちゃんポスターに「国家意識がない」とトンデモ圧力! 2018.3.21 リテラ

2018-03-21 17:37:48 | 戦前回帰 明治 国家思想

「ポスター ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年」の画像検索結果

赤池議員がアップした映画『ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』ポスター


 やはりと言うべきだろう。自民党政治家の直接的な圧力があった。前川喜平・前文科事務次官による公立中学校での公開授業に対し、文科省が名古屋市の教育委員会を通じて学校側に授業内容の確認や録音データの提出を求めた問題で、自民党の議員二人が文科省に「照会」をしていたことが判明したのだ。

 その議員とは、赤池誠章参院議員と池田佳隆衆院議員。2人は自民党の文部科学部会長と部会長代理を務めていた。

 ・・・・・・・・・

圧力議員・赤池誠章は徴兵制論者で『ちびまる子ちゃん』にもトンデモ圧力

  http://lite-ra.com/2018/03/post-3889_2.html

2018.03.21

「自民党の部会の中で先輩議員もおっしゃっていましたが、近代国家の民主主義において一番の肝心要、根幹を成しているのは徴兵制で『自分の国は自分たちで守ろう』というのが原点です。武士や貴族に守ってもらうのではなくて、自分たちの国は自分たちで守ろうというのが根幹です。それは教育にも反映されなければならない」

 これだけでも頭がクラクラしてくるが、問題はその“極右教育観”だけではない。実は、赤池議員は今回の前川氏授業圧力問題以前にも、文科省にトンデモとしか言いようのない圧力をかけた事実がある。それは『ちびまる子ちゃん』圧力問題だ。

 いや、なんでいきなり国民的アニメの話に? と首をかしげる人がほとんどだと思うが、当の赤池議員自身が、2015年12月3日のブログでその一部始終を得意げに開陳している。

 まず、赤池議員はブログで、同年公開の映画『ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』のポスター画像を貼り付ける。実はこの「ちびまる子映画」は〈国民に広く国際教育に対する理解・普及を図るため〉(文科省公式サイト)との目的で、文部科学省が配給の東宝とタイアップしたもの。そのためポスターにも「国際教育×ちびまる子ちゃん 文部科学省」と銘打たれ、「友達に国境はな〜い」というキャッチコピーがついていたのだが、なんと、赤池議員はそのコピーをこんな無茶苦茶なことを言って攻撃したのだ。

〈私は、このポスターを見て、思わず仰け反りそうになりました。同省政務官時代に、国家公務員として、それも国家の継続を担う文科行政を担う矜持を持て。国際社会とは国家間の国益を巡る戦いの場であり、地球市民、世界市民のコスモポリタンでは通用しないと機会あるごとに言ってきたのに・・・〉

「友達に国境はな〜い」のフレーズがあるというだけで、「思わず仰け反りそうに」なって「国際社会は国家間の国益をめぐり戦いだ」などとわめきだす……ちょっとトンデモすぎて理解が追いつかないが、ようするに赤池議員は「国境を越えた友情」を打ち出すだけで、反国家行為だと言いたいらしい。

 仰け反りたくなるのはこっちのほうだが、しかし、問題は「ひとり大東亜戦争」状態のこのバカがただのバカでなく、政治家として権力をもっていることだ。赤池議員はこのポスターについて、なんと文科省に圧力をかけたのだという。

 

ちびまる子ちゃんポスターに「国家意識がない」「日本という国家がなくなってしまう」

 赤池議員は先のブログで「文科省の担当課に確認しました」として、こう続けている。

〈ちびまる子ちゃんが言う分には目くじら立てる程のことはないと思ったのですが、東宝株式会社からいくつかのキャッチフレーズの提案があり、わざわざこれを文科省の担当課が選んだとか・・・ 誰も異論を挟む人はいなかったとのことでした。
 たかがキャッチフレーズ。されどキャッチフレーズ。一事が万事で、言葉に思想が表出するものです。国家意識なき教育行政を執行させられたら、日本という国家はなくなってしまいます。
 文科省の担当課には、猛省を促しました。〉

 繰り返すが「友達に国境はな〜い」というフレーズだけで、「そんな教育を続けたら日本という国家がなくなってしまう」なんてクレームをつけたようだ。赤池議員は「猛省を促しました」とサラっと言ってのけているが、これは明らかに文言の変更を求める圧力をかけたということではないか。

 はっきり言って異常としか言いようがないが、まったく悪びれるどころか誇ってすらいるところを見るに、赤池議員や自民党は、このような圧力を日常茶飯事で行なってきたらしい。

 ちなみに、前述の「WiLL」06年10月号所収の新人座談会では、赤池議員が教育勅語を礼賛したのに続けて、稲田議員が教育勅語を子どもたちに暗唱させる森友学園の方針をもち上げながら、文科省が新聞の取材に「教育勅語を幼稚園で教えるのは適当ではない」とコメントしたことを批判。「文科省の方に、『教育勅語のどこがいけないのか』と聞きました。すると、『教育勅語が適当ではないのではなくて、幼稚園児に丸覚えさせる教育方法自体が適当ではないという主旨だった』と逃げたのです」と文科省に圧力をかけたことを自慢げに語っている。

・・・・・・

(引用元:リテラ http://lite-ra.com/2018/03/post-3889.html 前川氏授業に圧力の安倍チル・赤池議員が『ちびまる子ちゃん』にも圧力!「友達に国境はな〜い」のコピーに「国家意識がない」

 

 【関連記事】

『映画ちびまる子ちゃん』とタイアップ - 文部科学広報 - 文部科学省

文部科学省は、国民に広く国際教育について理解・普及を図るため、12月23日(水)公開の『映画ちびまる子ちゃん~イタリアから来た少年~』とのタイアップ企画を実施しました。 この映画では、まる子たち日本の小学生が、海外から来た小学生と交流し友情を ... タイアップ企画の一環として、『映画ちびまる子ちゃん~イタリアから来た少年~』とのタイアップバージョンのポスターを作成し、全国の小学校及び特別支援学校等に配布しました。

  

映画ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年」と国際教育:文部科学省

どうしてちびまる子ちゃんと文部科学省なの 文部科学省は、国民に広く国際教育に対する理解・普及を図るため、12月23日(水)公開の映画『ちびまる子ちゃん~イタリアから来た少年~』とタイアップを行うことで東宝株式会社と合意し、国民に広く国際教育に対する理解・普及を図るため、タイアップ企画を行うこととしました。 映画では、まる子たち日本の小学生が海外から来た小学生と交流し友情を深める姿が描かれており、国際理解の魅力・大切さを伝える内容となっています。

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

安倍首相の施政方針演説に「白虎隊」の違和感…明治維新を「1億総活躍社会」に結びつけるな 2018.1.30 東洋経済online 武田 鏡村 

2018-01-31 22:54:46 | 戦前回帰 明治 国家思想

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、テキスト

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

安倍首相の施政方針演説に「白虎隊」の違和感

明治維新を「1億総活躍社会」に結びつけるな

 
安倍晋三首相は「国の力は人に在り」と、山川健次郎の発言を引用したが…(写真:つのだよしお/アフロ)
 
 
1月22日、安倍晋三首相は施政方針演説の冒頭、会津藩(福島県)の白虎隊(びゃっこたい)出身で東京帝国大学総長を務めた山川健次郎(1854~1931年)を引き合いに出し、「あらゆる日本人にチャンスをつくることで、少子高齢化も克服できる」と1億総活躍社会の実現に意欲を示した。
長州(山口県)出身の安倍首相からすればいわば「敵方」である会津出身者をなぜわざわざ施政方針冒頭で紹介したのか。『薩長史観の正体』の著者である武田鏡村氏に解説していただいた。

まったく「寛容」ではなかった明治新政府

安倍首相は1月22日の施政方針演説を、「150年前、明治という時代が始まったその瞬間を、山川健次郎は、政府軍と戦う白虎隊の一員として、迎えました。しかし、明治政府は、国の未来のために、彼の能力を生かし、活躍のチャンスを開きました」と始めた。

これだけ聞くと、長州と薩摩(鹿児島県)が中心となってつくられた明治新政府は、たいへん寛容で、すばらしい人材登用策を実行したと思われるのではないだろうか。敵方であった会津藩士を許し、平等に活躍のチャンスを与えたのだと……。

しかし、史実はまったく逆である。後に述べるように山川健次郎は例外中の例外であり、ほとんどの会津藩士とその家族たちは極めて重い懲罰を課された。

そしてそれを主導したのは、長州の木戸孝允(桂小五郎)だった。

会津藩は、戊辰戦争で降伏した翌年の明治2年(1869)9月、没収された23万石の代わりに3万石を与えられ、本州北端の下北半島に追いやられた。辺境の地に封じ込めることを強硬に主張したのが木戸孝允である。

木戸は、幕末京都での経緯からか、病的なほどに会津藩士を恐れ忌み嫌い、根絶やしさえも考えていたようである。会津藩側も皆殺しにされることを覚悟していたようで、会津人の血を絶やさぬよう、降伏後の謹慎中、最も優秀な2人の若者を逃がした。このうちの1人が山川健次郎なのである。

一方、会津藩士とその家族たち1万7000人は、下北半島に斗南藩3万石が与えられて移り住んだ。

だが、その地は、寒冷不毛で、実質7000石あるかないかと危ぶまれた。木戸は何が何でも生死にかかわる懲罰を会津藩士に下したかったようである。

薩長閥の中で会津出身者として異端視されながら陸軍大将にまで登りつめた柴五郎は、少年期に斗南藩で悲惨な生活を体験した1人である。

柴家は300石の家禄であったが、斗南では藩からわずかな米が支給されるだけで、それでは足りない。救米に山菜を加えたり、海藻を煮たりするだけでは飽きたらず、馬に食べさせる雑穀など、食べられるものは何でも口にした。

塩漬けにした野良犬を20日も食べ続けたこともあった。最初はのどを通らなかったが、父親から、「武士は戦場では何でも食べるものだ。会津の武士が餓死したとなれば、薩長(さっちょう:薩摩と長州)の下郎(げろう)どもに笑われるぞ」と言われて我慢して口にした。

住まいの小屋には畳はなく、板敷きに藁(わら)を積んで筵(むしろ)を敷いた。破れた障子には、米俵を縄で縛って風を防ぐ。陸奥湾から吹きつける寒風で炉辺でも食べ物は凍りつく。炉辺で藁にもぐって寝るが、少年・五郎は熱病にかかって40日も立つことができず、髪の毛が抜けて、一時はどうなるかわからない病状になった。

こうした困窮の生活で病気になって亡くなる人も少なくなかった。藩の権大参事の山川浩(山川健次郎の兄)は、明治政府や会津の旧庁に救済を願い出たが、はかばかしい結果ではない。「これが天子さまの寛典なのか」といった憤激の声が洩れる。廃藩置県で斗南藩は消滅し、やがて旧会津藩士とその家族は四散していく。

「寛容」とは正反対の、明治政府による「会津処分」であった。

「賊軍」出身者に対する差別

『薩長史観の正体』で詳述したように、武力によって強引に推し進めて勝ち取った明治維新は、薩長側の暴力と強奪、人身毀損の数々の凶行で成り立つものであった。

そうして誕生した明治新政府も、「薩長政府」といわれるように、薩摩と長州の出身者に牛耳られた。当初は、薩摩のほうが力をもっていたが、「西郷どん」の西南戦争で薩摩が賊軍となると、長州のほうが優勢になっていく。長州出身の伊藤博文が初代首相になって以来、長きにわたり首相はほとんど長州と薩摩の出身者で占められている。

ちなみに明治維新150年目の今年、首相は長州出身の安倍晋三だが、50年目は寺内正毅、100年目は佐藤栄作と、節目の年は、すべて長州出身の首相で占められている。

一方、会津など「賊軍」出身者は、政官界で差別され、立身出世の道を閉ざされた。長州陸軍、薩摩海軍といわれるように軍部でも薩長閥は強く、賊軍藩出身者は出世などで差をつけられた。この辺は半藤一利氏と保阪正康氏の対談集『賊軍の昭和史』に詳しいが、賊軍差別の傾向は昭和の時代にまで続いたという。

安倍首相は、施政方針演説での冒頭の言葉の後、山川健次郎が東京帝国大学の総長に登用されたことなどにふれ、「身分、生まれ、貧富の差にかかわらず、チャンスが与えられる。明治という新しい時代~」と、人材活用の面でも優れた時代だと位置づけている。だが、以上のように明治は、「1億総活躍社会」のお手本にするような立派なものではけっしてなかったのである。

にもかかわらず、安倍首相、おそらくは周辺の人たちは、なぜ白虎隊出身の山川健次郎のことをことさら引き合いに出して、強引に明治時代を賛美するようなことを言うのか。

その背景には、今年、「明治維新150年」を迎え、その記念事業に政府が前のめりなことがあるのではないだろうか。

政府は記念事業にたいへん積極的で、内閣官房に「明治150年」関連施策推進室が設けられた。菅義偉官房長官は「大きな節目で、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは重要だ」と述べている。昨年8月には、明治維新150年のロゴを決定したと政府は発表した(選考会座長:佐藤可士和)。安倍首相も、今年1月1日の年頭所感で「本年は、明治維新から150年目の年です」と切り出し、明治維新を賞賛している。

『薩長史観の正体』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

だが一方で最近は、逆に、明治維新のありように異議を申し立てる書籍が相次いで刊行されている。書店の歴史コーナーでは『明治維新という過ち』『明治維新という幻想』『偽りの明治維新』『明治維新という名の洗脳』『明治維新の正体』『東北を置き去りにした明治維新』といった明治維新に批判的なタイトルが目立つ。

薩摩と長州がつくりあげた歴史観――薩長史観に疑問を投げかける声が大きくなっているのだ(参考:なぜいま、反「薩長史観」本がブームなのか)。1月9日のテレビ朝日「グッド!モーニング」“池上彰のニュース大辞典”でも、薩長史観に異議を唱える本がよく売れていると報道されていた。

このような状況下では、政府もさぞや「明治維新150年記念事業」をやりにくかろう。

「薩長史観」に異をとなえた山川健次郎

そこで、会津藩の白虎隊出身でありながら、会津藩士・秋月悌次郎と親交のあった長州藩士・奥平謙輔に預けられ、後に国費留学生に選ばれて東京帝大総長にまで登りつめた山川健次郎のことを、ことさらに引き合いに出したのではないだろうか。

そして、人材登用にも公平な、すばらしい「明治」と美しく飾り立てようとするのではないか。

確かに長州藩士でありながら彼を預かった奥平のことは高く評価すべきだろう。だが、こうしたことはごくごくまれな例外であり、会津藩やその他賊軍とされた側には多くの血涙史があったことを忘れてはいけない。

山川自身も、後に兄・浩が残した『京都守護職始末』を完成させ、天皇に忠義を尽くした幕末会津藩の立場を明らかにした。薩長史観に異論を唱える嚆矢(こうし)となったのである。

明治維新とそれに続く明治は、安倍首相が施政方針演説で述べたような美談だけで済ませられるものではないのだ。

 

【関連記事】

半藤一利「明治維新150周年、何がめでたい」 | リーダーシップ

 - そもそも「明治維新」という言葉が使われたのは、明治時代が始まってからずいぶん後のようですね。私は、夏目漱石や永井荷風が好きで、2人に関する本も出しています。彼らの作品を読むと、面白いことに…

 

 なぜいま、反「薩長史観」本がブームなのか
~150年目に「明治維新」の見直しが始まった
2017/09/08 - 薩長史観――明治維新から太平洋戦争の敗戦まで日本人の心を支配し続けてきた歴史観のことである。・・・

 

150年目、「明治維新」が問い直される根本理由150年目、「明治維新」が問い直される根本理由 |

~保阪正康氏が語る「賊軍」側からの見直し

2018/01/09 - なぜ、明治維新の「常識」を覆すような書籍が次々と刊行されているのでしょうか。よく用いられる「薩長史観」という言葉があります。明治維新の際の勝者である薩摩・長州(薩長)の側からの歴史解釈ということ…

 

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加