コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

ボーナスは、梨?

2020-04-20 16:38:28 | Weblog

12月は、忘年会以外にも集まりが多く、店は繁盛しました。

でも、ボーナスは0でした。

暮れも押し迫った30日から、店は休みに入りました。

 

1月は4日から開店で、3日の夜から仲間達が集まり出しました。

仲間達と云っても、コ~ちゃんとマサと僕の3人ですが、

 

4日の朝8時には、

去年と同じに起こされ、去年と同じ日常が始まりました。

 

ある日の問題が起きるまでは、

 

天ぷらの銅鍋

このメーカーの大きい鍋が51Cmでした、多分この大きさ位だと思います。

違いは、内側も外側も銅色で厚みがありました。

当時より進化しているのでしょうか、


酒の席

2020-04-19 17:01:48 | Weblog

『○○君、課長に謝りなさい』と云いますが、

『あの問題が上手くいかなかったのは、課長の判断が遅かったからです、謝るのは、私ではありません!』

『何を~!』

『ま~ま~課長、酒の席ですし、まだ若いから許してあげて下さい。』

『う~ん、だけど、無礼だ!』

仁王立ちの社員は、

後ろから止めてくれている社員に何かを言われていました。

 

この様なやり取りに遭遇しましたが、

店の方が気になり・・・障子を閉めました。

 

宴会は、終わり帰っていきましたが、

宴会は、どうだったのでしょう、

店の方が忙しく確認できませんでした。

 

この時、この若い社員は、出世できないだろな~と、思いました。

そして、『絶対、酒を飲まないようにしよう』と、この時、決めました。

 

時々、仕事が終わった後、

先輩たちにバーや飲み屋に連れて行って貰っていましたが、

ビールや日本酒が美味しいと思ったことは1度もありませんでした。

だから、「飲むまい」と思い、

飲まないでいられるのは、楽と云えば楽でした。


宴会は1日1件

2020-04-18 17:31:00 | Weblog

男女20人位の忘年会の事です。

最初の大皿を持って、障子を開けたとたん、

『課長、このバカ野郎~!』と云う大声が飛び込んできて、一瞬引きました。

 

課長と云われる人と、もう一人の男性が壁際に座り、

左右に10人位づつの男女が座っています。

 

左右に座っている人達の真ん中に、

若い男性が仁王立ちし、課長と云われる人を睨み付け、

今にも飛び掛かろうとしましたが、後ろから止められていました。

 

云われた課長も立ち上がり、若い部下を睨み付け、

殴り掛かろうとコブシを握りしめました。

 

課長の隣に座っていた人が、課長をナダメルために立ち上がり、

『課長、酒の席ですから』と云い、笑顔を作り、場を和ませようとします。

 


忙しいか、繁盛か?

2020-04-17 13:57:37 | Weblog

「忙しい」は、「心が亡くなる」と云う事だから、

「忙しい」と云う言葉は使わないし、嫌いだ、と云う方が居ました。

「繁盛」と云えば良いのでしょうか、

 

オヤジに取っては、「繁盛」でしょうが、

ボーナスが貰えない店員に取っては、「忙しい」ですね。

 

この時代の飲食店では、

ボーナスを貰えると云う言葉を聞きませんでした。

大天丸の店員同士で、「ボーナス」と云う言葉は、禁句でした。

今は、どちらでしょうか、

 


忘年会の季節です!

2020-04-16 14:22:28 | Weblog

12月に入ると忘年会が始まります、忘年会は生まれて初めてです。

1人前¥3,000―、~¥5,000-、のようで、飲み物は別です。

これを書いて思い出しましたが、今と殆ど変わらない金額です。

  1. 沢蟹・銀杏・穴子の骨
  2. 毛ガニ
  3. 刺身
  4. 天ぷら
  5. フルーツのデザート
  6. (巨大なイチゴ半分か1個・ミカン1個・メロン1/16か1/8)

金額は¥3,000~¥5,000で、

メニュー内容は同じ、刺身と天ぷらが、

個人盛か一緒盛、質と量の違いでした。

 

飲み物は別料金で、

ジュース・コーラーが¥100-、でした。

ビールは、¥350-/中瓶。

酒は1合¥350/剣菱1級・¥500-/黒松剣菱特級

徳利の1合は、7尺~8尺だと言われました。

燗酒にすると何故か、膨張して多くなります。

ですから徳利の口のクビレた所スレスレに入れると、

表面が1㎝位上がって来て、オマケのようになりました。

人数は、10名~25名で、奥の座敷(閉店後は我々の寝床)でした。

 

忘年会がある時は、「奥座敷+店営業+出前」でした。

店営業

店のてんぷらカウンター+寿司のカウンター+4人テーブル3席でした。

土日の休みが無い時代でしたから、宴会は土曜日が大半で、

土曜日休日の時は、金曜日もありでした。

この様な忙しい時には、出前も結構ありました。

忙しさは、忙しさを呼びます。

 

 


何と無く慣れてきました

2020-04-15 17:00:35 | Weblog

入店して4か月が過ぎ、何と無く仕事に慣れて来ましたし、

一緒に働いている人達とも何と無く馴染んできました。

それと、出前に行く先のお客さんとも顔見知りになりました。

「君は長続きするね~、

昔から【我慢する木に金が成る】と云うから、

我慢して一生懸命働くんだよ」と云われました。

この言葉は、今でも覚えています。

店の前の大通りを横切り、向かい側の細い道を入った、

洋服の仕立て屋さんが教えて下さいました。

 

4か月で「長続きするね~」と云われるのですから、

人の出入りの激しさが分かると思います。

 

オヤジは毎日、店員の募集を新聞でしていました。

毎日募集をしていますので、来る方も敬遠するでしょうね、

 


休み時間が有る時は、

2020-04-14 15:20:18 | Weblog

 

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休憩時間が取れた時は、好き勝手に動き回れました。

1時間の時もあれば、2時間の時もありました。

でも、3時間休憩なぞなく、話だけでした。

 

この頃、天ぷらの盛り付けや、

つまみの盛り付けを、やらせて貰いました。

 

その時、気付いたのですが、

皿の色や大きさ、盛り付け方で、美味しそうに見えたり、

家の天ぷらと同じように見えたりする事に気が付きました。

店の商品はいつも、美味しそうに見える事が大事です。

 

そこで、休み時間は本屋で、

色の事が書いてある本を探すようになりました。

 

カラーセラピー

https://www.i-iro.com/psychology


休み時間がない時は、

2020-04-13 14:08:26 | Weblog

2時頃~5時まで、交代で休み時間が取れた時もありました。

 

休みが取れない時は、夜のネタの仕込み

(エビ・穴子・キス・ハゼ・メゴチ・)、

トイレや室内のモップ掛け、テーブル磨き、カウンター磨きなどです。

特にカウンターは、クレンザーとタワシで力強く磨きました。

 

問題は、銅鍋磨きでした。

銅鍋磨きは、鍋の底をガスで熱し、鍋の外側にこびりついた、

てんぷら粉や内側に付いた油のカスを、スクレーパーで削り取る作業でした。

 

熱せられている時は良いのですが、冷めてくると中々取れません。

10分位作業して又熱してもらい削るという作業を繰り返しました。

1時間もやればくたびれる重労働でした。

 

それでも、店の前の歩道で、二人並んでやりますから、

道行く人を眺め、ファッションや歩き方を、

ほめたり、けなしたりと、案外苦しい中にも楽しさがありました。

 

銅鍋は当然、いつもピカピカに輝いていました。

 

スクレーパー、今も使っています。

 

 

 


新橋は、麻雀屋だらけでした

2020-04-10 14:13:49 | Weblog

今は分かりませんが、

当時の新橋には、数え切れない位麻雀屋が在りました。

 

それにも関わらず、毎月新しい店が出来ました。

殆どが夫婦二人か、娘を入れた3人の家族経営でした。

 

どの店も、店屋物を運んで来る人や、

器を取り下げに来る店員でごった返し、

室内は、タバコの煙で充満していました。

 

タバコを吸わないで、

麻雀をしている人を見た事がありませんでした。

 

丼の置き場所と空の置き場所は、決まっていて案外と整然としていました。

食べっぱなしの器などは無く、軽く洗った器が置いてありました。

昔は家で店屋物を取ると、器は洗って外に置いておくのが普通でした。

今もそうでしょうか?

大天丸の出前は、

女性が買い物の時持っていく、

竹で編んだ籠でした。

籠を右のハンドルに通し、運転していました。

 

 

 


月1の特別出前

2020-04-09 13:57:17 | Weblog

月に1度位でしたが、

全日空ビルの天重となめこ汁、50人前の出前は大変でした。

1人前¥500円です。(僕達の給料は、税込み¥3万円でした)

 

二人で25人前づつ運ぶのですが、

一人が桐の箱2段に天重25個、同等のなめこ汁の椀とお新香を入れます。

25人前のなめこ汁が入ったポット2個をハンドルにぶら下げ、

夕方の大渋滞の中を、

車と車の間を縫って、新橋から日比谷へ向け走りました。

 

これは、大冒険でした!

それも最初は、入店して2週間後位です。

毎回転んだらどうしようと、ハラハラ、ドキドキしながら走りました、

当然転んだら轢かれます。

 

お偉いさん方の会議用だったのでしょうか、

この出前に限っては、毎回マサと僕の二人で、

コ~ちゃんは行ったことがありませんでした。

 

(全日空だと思いましたが、日航かもしれません)

 

出前用の頑丈で重い自転車

オートバイを考えたようですが、

免許を持っている人が少ないので、

あきらめたようです。

僕は学校で、125㏄の免許を取得し持っていました。

後に繰り上げで、250㏄までの免許になり、

その後、全ての2輪車を運転できる、自動2輪に格上げされました。