殆どが天重の出前で、握りやちらし寿司の出前は殆どありませんでした。
オヤジが云うように、
「東京には石を投げれば当たる位寿司屋はある」は、本当でした。
西の1番遠くは、
東京タワー下の森ビルで、いつも天重2個でした。
東の遠くは、
日比谷の全日空ビルで、上天重50個+なめこ汁でした。
(全日空と教えられていましたが、日航のようです)
天重となめこ汁1人前¥500円で、50人前です。
殆ど、月1の割合でしたから、大笑いだったでしょう。
西側は普通の民家でした。
東側はマージャン屋が殆どでした。
民家と麻雀屋の出前は、
普通の天重が主で、上天重はありませんでした。
たまに、握り寿司の注文がありましたが、本当にたまでした。
天ぷらと寿司を営業の柱にしていたのは、流石です。
どちらも宴会の主役になれます。
本当の江戸前の天ぷら油は、ゴマ油だったそうです。
大天丸のオヤジは、ゴマ油ではしつっこいので、
ゴマ油とサラダ油を半々で使っていました。
「ごま油だけでは、しつっこ過ぎて、今の若者には嫌われる」と云っていました。
時流を読んでいたのでしょう。
これから少しして、銀座で有名な天ぷら屋が倒産しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%87%91_(%E5%A4%A9%E3%81%B7%E3%82%89)
池田弥三郎と云う慶応大学の教授の実家だと云っていました。
この方、NHKのTVによく出ていました。
前席真ん中の方です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%BD%8C%E4%B8%89%E9%83%8E