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アートプラス京めぐり

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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難之地(近江屋跡)

2016年02月04日 06時54分13秒 | まち歩き

 

 

 

坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難之地(近江屋跡)

この地は、慶応3年(1867)11月15日、維新の功労者である土佐藩海援隊長の坂本龍馬(1835~1867)が盟友である陸援隊長の中岡慎太郎(1838~1867)とともに刺客に暗殺された近江屋(醤油商)があった所である。龍馬は、海援隊の本部があった酢屋(材木商)に下宿していたが、前年の寺田屋事件により幕府から狙われていたため、土佐藩の出入商人であった近江屋に移っていたのである。11月15日の夕刻、中岡が近江屋を訪ね、大政奉還後の政局について論じていたが、夜になり、十津川郷士と称する男たちによる襲撃を受けた。

龍馬はその場で絶命し、中岡も2日後この世を去った。龍馬33歳、中岡30歳、実に大政奉還(10月14日)が行われた1ケ月後、王政復古の大号令(12月9日)が出る1ケ月前の出来事であった。龍馬と中岡は、ともに遭難した山田藤吉と現在の京都霊山護国神社に埋葬されている。京都市

 

関連記事 ➡   石碑 坂本龍馬妻お龍の実家 楢崎家跡

             石碑  幕末史蹟・土佐藩士寓居跡 龍馬・お龍も暮したところ、

         坂本龍馬とお龍が結婚式を挙げた場所

         武信稲荷神社 坂本龍馬も登場

        佐藤継・忠信塚碑,佐藤嗣信・忠信墓,佐藤文褒翁碑

 


愛宕燈籠 一覧  

2016年02月03日 09時02分34秒 | 愛宕灯籠

 

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101 愛宕灯籠左099 大原 愛宕神社のお札がある 火廼要慎

100 愛宕灯籠左098 大原 愛宕の御札がある

99  愛宕灯籠左097 大原 愛宕大神

98  愛宕灯籠左096  愛宕大神

97  愛宕灯籠左095 大原 愛宕大神

96  愛宕灯籠094  大原で 愛宕大神

95  愛宕灯籠左093 北白川 明治21年

94       愛宕灯籠北092 深泥池 

93       愛宕灯籠向日091 向日市 中垣内

92       愛宕灯籠向日090 向日市 西野町

91       愛宕灯籠089 向日市の愛宕灯籠 2基

90  祠向日057 堂ノ前町 地蔵尊  愛宕灯籠

89      愛宕灯籠西088  大枝 山陰街道沿い  祠もある

88  愛宕灯籠左087 大原

87  愛宕灯籠左086 大原 大長瀬町

86     愛宕灯籠左085  大原

85     愛宕灯籠左084 岩倉 長谷町

84     愛宕灯籠左083 岩倉 御殿町

83     愛宕灯籠左082 岩倉 小屋尻で

82     愛宕灯籠左081 岩倉 栗栖で

81  愛宕灯籠左080 岩倉 長谷八幡宮 一ノ鳥居 付近

80  愛宕灯籠左079 岩倉 得尾町  明治25年

79     愛宕灯籠左078 岩倉 村松緑地公園

78  愛宕灯籠左077 岩倉 忠在地町 明治24年

77  愛宕灯籠左076 岩倉 中在地町 

76     愛宕灯籠左075  岩倉 村松緑地公園 北辺り

75      道標八幡0255  愛宕大神  右 宇治渡場道

74      愛宕灯籠左074 岩倉の風景と愛宕灯籠 

73     神社八幡0173 天満宮  愛宕灯籠  御大典

72  愛宕燈篭久御山069  久御山 満願寺近く

71  祠久御山045 神牛石社  寺院久御山0570 大松禅院 三宅石碑 愛宕灯籠

70     神社久御山0163 室城神社

69     愛宕燈籠069  久御山

68     愛宕燈籠068 久世橋 近く

67  愛宕燈籠067  南区 旧千本赤池 

66     愛宕燈籠066  南区 小枝橋 近く  鳥羽伏見の戦いを知っている

65      愛宕燈籠065  南区 吉祥院の近く 今までで一番大きい

64  愛宕燈籠064  老ノ坂峠 

63  愛宕燈籠西063  阪急東向日駅 を 西へ

62  愛宕燈籠西062  阪急電車 東向日駅前

61  愛宕燈籠061  山科 阿弥陀寺 近く

60 愛宕燈籠060  山科 旧東海道筋にあり 江戸時代のものだ

59   愛宕燈籠059 岩倉中央町  と 地蔵尊左044 延命地蔵尊

58   愛宕燈籠058 深泥池町 

57   愛宕燈籠057  太田神社 近く

56    愛宕燈籠056  静原神社 西付近

55  愛宕燈籠055 静原神社 付近

54  愛宕燈籠054  静原

53    愛宕燈籠053 大原 上野町

52  愛宕燈籠052  大原 野村別れで

51  寺院南0400 行住院 浄土宗  愛宕燈籠051

50  愛宕燈籠050 矢取地蔵尊にあり

49  愛宕燈籠西049  物集女 北ノ口

48  愛宕燈籠西048  弥勒寺より 東へ

47  愛宕燈籠047  桃山 水野左近東町

46  愛宕灯籠046  物集女街道

45  愛宕灯籠045  大原野上里 垣根の中に

44   愛宕灯籠044  大原野 南春日町

43   道標西0051  大原野・柳川  道標と愛宕灯籠と地蔵さん

42   愛宕灯籠042   西迎寺  門前 

41   愛宕灯籠041   沓掛 山陰街道沿い  

40      愛宕灯籠040   五条上桂前田町交差点を北へ

39    愛宕灯籠039    弥勒寺を西へ      

38    愛宕灯籠 38 垣根の中に埋もれて  道標・浄住寺地蔵院の向かい

37  愛宕灯籠  道標も兼ねています  さが  あたご

36  愛宕灯籠 36  三ノ宮神社前

35  愛宕灯籠  35   桂・廣見寺門前

34  愛宕灯籠34  愛宕山大権現  千束で  原谷を目指して2

33 愛宕灯籠33  葛野七条

32  愛宕燈籠  上桂

31 愛宕灯籠  妙心寺付近で

30 愛宕灯籠  左京区  一乗寺馬場町

29 愛宕灯籠29  西京極・松尾三ノ宮神社 参道

28 愛宕灯籠 桃山江戸町  

27  愛宕灯籠 若一神社

26  愛宕灯籠  妙心寺北門前にあり

25  愛宕灯籠  妙心寺北門を東

24  愛宕灯籠 鳥居本 愛宕一の鳥居で

23  大覚寺門前 平成愛宕灯籠

22  大覚寺門前 の愛宕灯籠・大正

21  大覚寺 門前 の愛宕灯籠・明治

20  大門橋 東 愛宕灯籠

19  山越えの愛宕灯籠

18  愛宕灯籠  西院坤町

17  愛宕灯篭  帷子ノ辻 南へ

16  愛宕灯篭  双ヶ岡

15  愛宕灯篭  花園駅 北へ

14  愛宕灯篭  妙心寺を西へ

13  半分埋没した 愛宕灯篭 それでも残っている 民家の前

12  愛宕灯篭  今も使われている

11  愛宕灯籠  大きい 立派  鹿王院を東へ

10  愛宕灯篭  嵯峨駅南へ 嵐山近く  民家敷地にぎりぎり設置

愛宕神社石碑  三条通りの南で見つけた

愛宕灯篭  1814年に作られたもの

7  愛宕灯篭  車折神社の南へ行った所にありました

愛宕灯篭  正定院の近くで

愛宕灯篭  斎宮神社内にありました

4   愛宕灯篭  車折神社内にも あった

3  

愛宕灯籠    梅津大神宮を追加

愛宕灯篭・大映通東詰

 

 


愛宕灯籠  道標も兼ねています  さが  あたご

2016年02月03日 07時54分34秒 | まち歩き

愛宕山常夜燈    民家の敷地内に建っています  

建立年は 生垣でさえぎられて判読できませんでした

下の方に  左  あたご  さか  と読めるかな

 愛宕灯籠まとめ・検索 ➡   愛宕燈籠 一覧 

 


史跡  天皇の杜古墳

2016年02月03日 07時50分32秒 | 史跡・旧跡

 

史跡 天皇の杜古墳

天皇の杜古墳は、京都市内でもきわめて保存状態の良い前方後円墳で、古くから墳丘に生い茂る大樹が「天皇の杜」の名にふさわしい景観を見せています。墳丘の形は前方部か広がらない、いわゆる「柄鏡式」の形態で、古墳時代でも前期(4世紀)に属しています。全長83mを測る市内では最大級の古墳で、その被葬者はこの時期に桂川右岸地域を統括した有力豪族(首長)と推定されています。ここは、古来より交通の要衝であり、稲作の場である平野部も見渡すことができる大切な場所だったのです。保存整備の一環として墳丘部と周濠部の部分的な発掘調査を実施しましたが、その結果、周濠部と理解されてきた平坦部には、周濠としての掘り込みはなく、兆域(墳墓の区域)として他と区別した部分であることがわかりました。墳丘は全体を2段築造し、その平坦部には円筒埴輪が樹立していました。また、斜面には葺石が丁寧に葺かれてしたことなども明らかになりました。主体部(死者を安置した所)の調査は実施されていないため、埋葬施設や副葬品の内容までは明らかになっていませんが、桂川右岸では現存する前期の古墳が少ないだけに、かけがえのない古墳といえます。なお、天皇の杜古墳の名称は、かつてこの古墳が文徳天皇(平安時代の天皇)の御陵であるとされてきたことに由来しています。

京都市文化財保護課

 

 

 

史蹟 天皇の杜   大正13年9月

 

関連記事   ➡  蛇塚古墳 (へびつかこふん)

             稲荷古墳の上にある富岡大明神

          名勝 双ヶ丘


宝蔵寺  浄土宗西山深草派  伊藤若冲の菩提寺

2016年02月02日 09時12分08秒 | 寺院

 

宝蔵寺は、浄土宗西山深草派本山誓願寺に属する本尊の阿弥陀如来立像は、元禄13年(1700)の作、弘法大師空海の創立と伝えられ。文永6年(1269)、如輪上人により元西壬生郷に開基された。天正9年(1581)に玉阿律師によって中興再建された後、天正19年(1591)に豊臣秀吉の寺町整備により、現在の裏寺町に移転した。天明8年(1788)「天明の大火」と元治元年(1864)「禁門の変」の際の火災により全焼。現在の堂宇は昭和7年(1932)に建立された。江戸時代中期の画家・伊藤若冲(1716~1800)の菩提寺で、若冲が建立した父母の墓石、末弟・宗寂の墓碑が残り、次弟・白歳の墓碑も建てられている。若冲は、当時の京都画壇を代表する画家であり、また生家のあった錦市場が営業停止になったとき、弟の白歳とともに、再開に向け力を尽くした人物。代表作に「動植綵絵三十幅」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)がある。若冲の誕生日に当たる二月八日には、毎年生誕会を催し、併せて宝蔵寺所蔵の若冲四十代前半頃に描かれた初期作品「竹に雄鶏図」や白歳筆「羅漢図」などを一般公開している。

 

 

 

 

 伊藤若冲 関連記事 ➡  信行寺  浄土宗  伊藤若冲の天井画     

                       錦市場 西の入口 画家・伊藤若冲の生家

            海宝寺  伊藤若冲・伊達政宗・大丸百貨店のゆかりの寺