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山本亡羊読書室旧蹟 江戸時代の植物学2万巻の資料が保存されている

2015年10月05日 06時13分09秒 | 史跡・旧跡

 

贈正    五位    山本亡羊読書室旧蹟

昭和六年八月 京都史蹟会  

山本亡羊(1778~1859)は京都の本草学者。薬草園を備えた読書室(学校)を開いて門弟の養成にあたった。

この読書室は儒医である父封山が,西本願寺文如上人(1744~99)の学問所を下賜されて

開いたものであったが,禁門の変(1864)で焼失した。この石標は山本亡羊の読書室跡を示すものです。

 

江戸後期に本草学者として活躍した山本亡羊の邸宅(読書室)です。

亡羊は名は仲直、通称永吉 安永7年(1778)儒医山本封山の次男としてここで生まれた。

小野蘭山について本草学(植物学)を学んだ。

蘭山が幕命で江戸に下向後は京都の本草の中心となり、

邸内に薬園を設け、内外の薬草を栽培し、また自宅で物産会を催すなど医薬会の発展に貢献した。

亡羊が講習所とした「読書室」は、今は家の名となっているが、

もとは父封山が西本願寺の18世文如上人の学問所の一宇(読書室)を賜ったもので、 

蛤御門の変で類焼した。今のはその後の再建。

2万巻に及ぶ蔵書は、多くの標本類とともに今なお保存されている。

亡羊は安政6年(1859)11月27日、82歳の高齢で亡くなった。

亡羊の子は父の遺業をついで一家をなした。

墓は深草の宝塔寺にある

 

 



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