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アートプラス京めぐり

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まち歩き左0246  琵琶湖疏水 公園一帯  

2016年11月11日 15時17分33秒 | まち歩き

 

 

 

 

 明治2年に東京へ都が移り、産業も人口も急激に衰退していく京都にあって、第3代京都府知事北垣国道は、京都に近く水量豊富な琵琶湖に着目し、疎水を開削することにより、琵琶湖と宇治を結ぶ舟運を開き、同時に水力、灌漑、防火などに利用して京都の産業振興を図ろうとしました。この疎水工事の御用係に選ばれたのが、明治16年工部大学を卒業したばかりの田邉朔朗でした。

 工事は最も難関が予想された第1隧道(トンネル)から取りかかることになり、施工方法についても東西両口からの掘削の他、わが国初の試みとして途中に竪抗方式も採用しています。ここのインクライン(傾斜鉄道)はわが国初めての試みで、これによって舟を南禅寺の平地に下ろし、舟溜から鴨川までを鴨東運河で結んでいます。

 明治24年には米国コロラド州アスベンの水力発電所を参考にした日本最初の水力発電所が蹴上に完成し、同年11月に送電を開始しています。インクラインの運転動力もこの電力を利用しています。水力発電は新しい産業の振興に絶大な能力を発揮し、京都市発展の一大原動力となりました。

 疏水工事は、明治18年6月に着工して以来、数々の困難を乗り越えて同23年3月に大津から鴨川落合まで完成し、それより以南は明治25年11月に着工し、明治27年9月に完成しました。琵琶湖疏水は、当時わが国の重大なすべて外国人技師の設計監督に委ねていた時代にあって、日本人のみの手によって行った最初の近代的大土木工事であり、明治期における日本の土木技術の到達点を示す近代遺産として、平成8年6月にこのインクラインをはじめ12箇所が国の史跡に指定されています。

 この疎水の水は、現在においても水道用水の他、発電、防火、工業など多目的に利用されており、京都市民の生活を支える重要な役割を担っております。

 

 

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今回の川柳

年ごとに禁煙の文字うまくなり   /篠崎

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