住宅街の1角にわずかに土塁が残っています
地名にも御土居の名残が感じられます
ここは 西土居町
秀吉は京都市内22㎞を半年ぐらいで完成させています
御土居は、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街地を守る堤防として、天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。台形の土塁と堀(堀の一部は川を利用)からなり、その延長は22.5㎞に及び、東は鴨川、北は鷹ケ峯も西は紙屋川、南は九条あたりに沿って築かれました。土塁の内側を洛中、外側を洛外と呼び、要所にはいわゆる七口を設け、洛外との出入口としました。
御土居は、京都の沿革を知るうえに、また広く我国における都市の発達をたどる重要な遺跡として現在9ケ所が国の史跡に指定されています。
史跡 前回の記事 ➡ 史跡北026 御土居 6
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五七五
なんとなく続きが見たい夢がある /木口
京都の俗諺(ぞくげん)
白川夜船(しらかわよふね) 知ったかぶりをするたとえ。また、ぐっすり眠ることもさす。「いらかわよぶね」とも。白川は鴨川へ注ぐ川幅が狭く浅い清流で船など通れない川。京へ行ったことのない人が、白川を船で通ったが、ぐっすり寝ていたためわからなかったと答えたことによる。あるいは、地名の白河(川)を聞かれて、川の名前と勘違いし、夜船で通ったが寝ていてわからないと答えた笑い話によるともいう。
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