1944年(昭和19)から、空襲をさけるため都会にある国民学校初等科の児童を個人的、集団的に地方都市や農村へ移住させることを学童疎開といいます。
当時、京都市内から先生につきそってもらって学校単位で八幡にやってきた子供たちです
上京区・京極国民学校・50人 内里の福王寺とほかに2つの寺・有智郷国民学校へ通う
下京区・豊園国民学校・111人(1次)、21人(2次)・上津屋の善照寺・光頼寺・専琳寺・岩田の正覚寺・都々城国民学校へ通う
中京区・朱雀第4国民学校・47人・神応寺・八幡国民学校へ通う