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戦後004  辰巳公園 太平洋戦争中の空爆(空襲)を記録する碑 編集

2016年06月26日 09時22分01秒 | 戦後70年

辰巳公園に空爆、当時はB29の空襲 この日は焼夷弾ではなく 爆弾でした

 

ここ 上京区だけでなく  東山区・馬町  右京区・太秦 の 被災に記されています

上京区では 偶然にも平安時代の大内裏内に投下されています

 平成28年6月25日 文追加

昭和20年(1945)6月26日昼前、低い雲の上空に敵機B29の爆音が近づき、突然に轟然たる爆発音とともにすさまじい土煙が上がった。この時の被爆は上長者町通より南は下立売通、東は大宮通、西は浄福寺通に至る方400mの地域で、当時の報告には50キロ爆弾7発とも5発ともいわれた。

報道管制のため、その状況は、多くの市民の知るところとならなかったが、西陣警察署の記録によると

 

1 負傷者  即死 43人、重傷 13人、軽傷 43人 計109人

2 被害家屋  全壊 71戸、半壊 84戸、一部損壊 137戸

        計292戸

3 罹災者  850人

であった。ちなみにこの辰巳公園も被災地跡にできたものである。

第2次世界大戦(大東亜戦争)において京都市は非戦災都市と言われてきたか、東山区馬町と太秦の三菱工場および当地域が爆撃をうけたものであり、当地域が最も犠牲者を出したのである。

ここに戦後60年を期して、この悲惨な空爆の事実を伝えるためこの碑を建立して後世への記録と留める

平成17年8月

空爆被災を記録する碑の建立委員会

 

この地図には 空襲(空爆)という言葉が使われている

 

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