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まち歩き中1255 京の通り 麩屋町通 NO29 八文字屋 石碑

2020年07月15日 06時05分13秒 | まち歩き

 

 

草紙屋・八文字屋について

この地は、江戸時代前期(17世紀後半)には「麩屋町誓願寺下ル町」といい、八文字屋という本屋の店舗があったところです。当時の本屋は、転籍・草紙類の版元(発行者)でした。印刷(木版刷り)と製本(和綴じ)、そして、販売をも業とする出版物発行の総責任者だったのです。日本の出版業は、江戸時代のはじめごろに京都で始まり、江戸、大阪でも盛んになっていきますが、明治の時代になるまでは、京都が出版において日本第一の都市でした。江戸時代初期の京都では、仏書・儒書・漢詩文書・和学書・和歌書・医書・さらに俳諧書・教科書・遊芸書などが出版されていましたが、江戸中期ごろになると、一般庶民を読者にした劇書や噺本などの出版も盛んになってきます。

八文字屋では2代目・自笑(通称・八左衛門)の代となりますと、歌舞伎芝居の筋書きを読み物にした「絵入狂言本」や、「役者評判記」という当時の歌舞伎役者の評判を、毎年、新版で発行し、劇書では第一の版元になります。これに加えて、元禄14(1701)年江島其磧(1667~1736)の「けいせい色三味線」や「傾城禁短気」などの「浮世草子」という大衆小説本を、読みやすい文字と著名な浮世絵師の挿絵入りで出版して、ベストセラーとなり、文学史上「八文字屋本」とよばれる時代を築きます。その小説作法は江戸後期(18世紀後半ごろ)の小説本や、明治時代の小説などにも大きな影響を与えました。自笑は延享2年(1745)11月11日、85歳前後で亡くなった。下京区の本覚寺に葬られた。其磧の墓はわからない。

本覚寺はこちら ⇒ 本覚寺  浄土宗

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