アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

本覚寺  浄土宗

2015年10月01日 18時17分27秒 | 寺院

 

 

本覚寺

佛性山と号する浄土宗の寺で、團譽上人(玉翁和尚)を開祖とする。

寺伝によれば、源実朝の後室・坊門信子が貞応元年(1222)に、西八条の遍照心院(大通院)内に創建し、

自らの法名「本覚」から本覚寺と名付けたのが起こりという。

その後、梅小路堀川に移転し、応仁の乱による荒廃の後、

細川政元により高辻烏丸に再建され、末寺14を有する本山となった。

その後、後柏原天皇の勅願寺となったが、天正19年(1591)に豊臣秀吉の命によって現在地に移された。

ここは嵯峨天皇の皇子・源融(光源氏のモデル)の河原院塩竃の第のあった所で、

融は鴨川の水を引き入れて池を造り、塩竃の浦(宮城県)の景観を移し、

毎月難波の海(大阪湾)から海水を運ばせては塩焼きをさせて、

その風情を楽しんだといわれている。

当地の住所、本塩竃町にその名残が見られる。

墓地には、江戸中期に八文字屋本と呼ばれるベストセラーを相次ぎ刊行した

出版社の全盛期を築いた八文字屋自笑の墓がある。

 

瓦は本の文字が元にしてあるのか

 

 

 

 関連記事 ➡ 八文字屋自笑の邸宅址 



最新の画像もっと見る