北から南方向を見る 左は二条城
平安宮 民部省跡
国家の重要な省庁である「二官八省」の1つ民部省は、朝堂院の東、太政官の南に位置し、諸国の民政、財政を担当する役所で、南東に中央財政の収支を計算する主計寮、南西に地方の財政収支を監査する主税寮を配置する。職掌は中央および地方の財政を一手に掌握し、予算編成を行う最も重要な官司の1つであるが、平安時代には私的土地所有が増大し、次第に力を失っていったといわれる。
朝堂院や豊楽院など宮城諸司の多くの建物が被害にあった貞元元年(976)6月の大地震では、余震で民部省の建物3棟が倒壊している。
1983年に、京都市立二条中学校の校庭で行われた発掘調査では、民部省の南辺にあった東西方向の築地(南垣)が見つかり、築地の南側に沿って瓦がずり落ち、放置されたままに近い状態で検出されている。出土した瓦は平安時代中期までのものに限られており、貞元元年の大地震により倒壊した築地と考えられている。さらに、民部省西辺築地とのコーナー部も確認され、民部省の東西幅が57丈(約170m)であることが明らかとなった。なお、調査地から底部に「主税□□ 五月一日」と墨書された灰釉陶器椀が出土しており、民部省の南西部に主税寮が配置されていたことを考古学的に裏付けている。
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