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史跡八幡045 小野頼風塚 

2019年06月03日 05時20分54秒 | 史跡・旧跡

 

 

 

『藻塩草(もじおぐさ)』によれば、平城天皇のとき小野頼風という人が男山に住み、京に女をもって深い契りをむすんでいたが、いつしか二人のあいだには秋風が立つにいたった。京の女は思いあまって八幡の里に男を訪ねてきたが、男には他に女を娶ってその方へ行っていることを知り、悲歎のあまり八幡の川のほとりに山吹がさねの衣をぬぎ捨て、投身して果てた。その衣は朽ちてそこから女郎花が生えた。これを知った頼風は花のもとに立ち寄ったところ、花に恨んだ風情があり、近寄ればなびきしりぞき、立ち退くともとの如くになるのを見て、自責の念にかられ、川に身を投げて死んだ。その川を涙川といい、放生川の上流にあたるという。世人はこれをあわれみ、女と同じところに彼の塚をきづいた。今の頼風塚がそれであり、女郎花塚というのが女の塚であると伝える。

この伝説は謡曲『女郎花』で有名になったが、史実によるものではないが、むかし京都・奈良間を往来する人の詩情をそそる物語として、今に伝えられている。

 

 

 

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