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平安宮018 平安宮造酒司倉庫跡 13  造酒司倉庫跡柱穴

2019年01月30日 10時40分24秒 | 平安宮

 

 

京都市指定史跡 平安宮造酒司跡(みきのつかさ)

平安時代、国家政治の中枢である平安宮にあった造酒司は、ミキノツカサ・ゾウシュンあるいはサケノツカサとも呼ばれる宮内省所属の官司で、天皇や中宮などに出す供御及び朝廷の諸節会・神事に用いられる酒・醴(あまざけ)・酢などを醸造していました。造酒司のあった場所は『宮城図』(陽明文庫蔵)などによると、広さは一町(120m)四方を占め、現在の中京区聚楽廻松下町の京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)付近と推定されています。

『続古事談』によると、造酒司には大きさの違う醸造用の大瓶が三口あり、それぞれ口の部分二尺程(60)を地表面に出して、下は土中に埋め込んで据えてあったことなどが記されています。

1978年の京都市社会教育総合センター(当時)の建設に伴う事前発掘調査では倉庫跡を検出しました。この建物跡は、掘立柱構造、規模は方3(東西6m、南北7.2m)で、柱の痕跡から柱径は40㎝前後に復元できます。構造が均等に柱を配置する総柱建物であることから、醸造用の米などを保管する高床式倉庫の遺構と考えられています。柱穴からは少量ですが、平安時代前期の土師器、須恵器、瓦が出土しており、この建物が平安京遷都後の比較的早い段階で建設されていたことが判明しています。平安宮跡ではこれまで数多くの発掘調査をしていますが、全体が市街地化しており、建物跡がまとまって検出した例は極めて少なく、本倉庫跡のように平安京創建時跡のように平安京創建期の建物一棟分の遺構が良好な状態で検出できたことは特筆すべことです

 

高床式倉庫の遺構 

 

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