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源氏物語遺跡24 斎宮邸跡 

2019年09月21日 06時48分24秒 | 平安京

 

 

斎宮邸跡 平安京右京三条二坊十六町跡

斎宮は、天皇に代わって伊勢神宮に仕えた未婚の内親王または女王のことで、「いつきのみや」または「大御神(おおみかみ)の御杖代(みつえしろ)」とも呼ばれる。『日本書紀』によると、垂仁(すいにん)天皇の時代が始まりとされ、亀の甲羅を焼いて占う卜定(ぼくじょう)により斎宮が選ばれた。この制度が確立したのは天武朝以降で、南北朝時代の後醍醐朝をもって終わる。

2000年に行われた西京高校北側グラウンド発掘調査で、東西約15m、南北約40mの池跡や木枠を組んだ泉跡、池に張り出す建物跡など数多くの遺構が検出され、平安時代中期の邸宅跡と判明した。池跡から「齋宮」「齋雑所」と書かれた墨書土器が出土し、泉跡からは平安京跡出土の人形代(ひとかたしろ)では最大のものが出土した。また、池にたいせきした花粉分析の結果、庭にはマツ、カエデ、カキ、サクラなどが植栽され、この十六町跡が平安京内の斎宮の居所の1つと判明した。『源氏物語』 「賢木(さかき)」では、六条御息所は光源氏との恋愛に疲れ、斎宮に卜定された娘(後の秋好中宮)とともに伊勢へ赴くことを決意、光源氏は嵯峨野の野宮へ六条御息所を訪ねる。秋好中宮は母の死後、光源氏の養女となり、冷泉帝の妃となって斎宮女御と呼ばれた。当初は帝となじめなかったが、共通の趣味の絵を通して二人は親しくなっていった(「絵合」)。この六条御息所と秋好中宮の母娘は、歴史上実在の斎宮の母娘(徽子女王と規子内親王)に対比されている。

 

 

 

 

源氏物語ゆかりの地  ⇒ 源氏物語の遺跡 40ヶ所

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