観世音尊像 浄安寺 北 佐古 三丁
三宅安兵衛 建立
浄安寺
国穏山快楽院し号する浄土宗知恩院派の寺、天喜元年(1053)仁海僧正によって創建された浄福寺がはじまり。浄福寺は椏本八幡宮の神宮寺となり、後醍醐天皇のときには勅願所となった。その後、寺は衰微したが、天正元年(1573)宇治平等院の玄誉徹公上人によって再興され、正親町天皇より浄安寺の寺号と勅額を賜った。
上人は久我家の出身といわれ、念仏弘通につとめ、村民の信仰をあつめた。当寺の中興開山と仰がれている。江戸時代には淀城主松平定綱より寺領、山林の朱印状を下賜された。現在の建物は昭和60年改築されたもの。本堂には本尊阿弥陀如来立像を安置する。
観音菩薩立像・境内の観音堂に安置する。像は明暦年間(1655~58)に建物とともに浄福寺の遺仏と伝わる。高さ1.42メートル。江戸時代には城南近在三十三所観音霊場の第十八番札所。
脇檀に平安時代の作風の等身の地蔵菩薩立像を安置する。
茶室聞名庵は庫裡に隣接する二階建ての茶室で、元京都市長安田耕之助の別邸内にあったものを昭和52年当寺にうつしたとつたえる。
境内には約100種類の椿がある。中でも「浄安寺侘助」は門外不出の逸品。椿寺とも称する
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