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アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

吉川大明神  どんな神様なのか

2015年08月12日 10時19分17秒 | 町内の小さな祠

 

何の神様なのか

 

 

 

何かが記されていたのかな  今は全く不明

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家の軒下というより家の中 に祠が祀ってありました

2015年08月09日 10時20分03秒 | 町内の小さな祠

この家に一体化し 大切にされていることがわかります

石の台座があるので 昔は 外に出るような設置だったのでしょう 

今は 家の一部に組み込まれています 

 

 

猿田彦太神

扉も手入れされて 光沢が出ています

 

 

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火尊天満宮  小さな祠

2015年08月04日 09時38分27秒 | 町内の小さな祠

 

元々この地には、彦火火出尊を祭神とする愛宕神社が町内北東にあり、

「火伏せの社」として信仰されてきた。

寛政の初め頃、藤原北家閑院流風早家の邸内に鎮座していた菅原道真の像を合祀した。

その後、この地域は風早町と呼ばれ、愛宕神社もいつしか火尊天満宮と呼ばれるようになった

 

 


石ケ坪の行者さん

2015年07月13日 08時22分34秒 | 町内の小さな祠

石ケ坪の行者さん

西七条は昔から良い水の出所で、御前通り塩小路西に

水薬師寺があり平清盛が熱病で死の床についた時

この水で頭を冷やしています。

また、有名な一休和尚はその師匠の為に

看病の水を汲みに来ています。

西大路八条の若一神社にも名水が出ています。

この石ケ坪の近辺で「行者さん」といわれている所には

古くから霊石があってそこから霊水が湧き後に

不動さんの石像もつくられました

少し北には赤社町という町内があります。 

赤社町の由来は不明ですが

赤はアカでインドの仏教の言葉で開迦と書き

仏教にお供えする水の信仰に関連するかもしれません。

閼伽井と関連があるかもしれません

この石ケ坪の行者さんには江戸時代後期から

大峯・熊野の信仰があったことがわかっています。

とくに信仰の篤い人は修験道を統括していた三井寺から

免許をもらい先達となり修行者の指導をしていました。

 

手水舎

 

水引龍神

 

延命地蔵大菩薩  天道大日如来

 

 

不動明王  行者大菩薩

 

祠の裏手に  

 

 

地主神變大菩薩

 

 

 

 

 

サルスベリ

平成27年7月11日 撮影

 


稲荷古墳の上にある富岡大明神

2015年07月05日 08時22分17秒 | 町内の小さな祠

遍照寺の北にある 小さな祠です

実は ここは 稲荷古墳といわれ 

直径20メートルの円墳であることがわかっています

赤い鳥居が特徴です  頂部に祠があります

 

 

 

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              名勝 双ヶ丘

             史跡  天皇の杜古墳  

 

 


石仏の祠 御土居から出土した石仏  

2015年06月06日 22時14分44秒 | 町内の小さな祠

御土居から出土した 石仏

 

御土居から出土した石造物

「御土居」は豊臣秀吉が天正19年(1591)に戦乱のため荒れていた京都の洛中、洛外を区画し、外敵の来襲に備えるため

京都の周辺に築造した延長23キロメートルにおよぶ土塁である 

ここに祀られている石造物は この御土居から出土したものと伝えられている

すべて花崗岩製で横顔は阿弥陀仏、二尊石仏、地蔵石仏、五輪塔などがある。

これらの制作年代等は銘文がないため不詳であるが、

奥中央の石仏等はふくよかな顔立ちから想定して

室町時代頃まで溯る可能性がある

また、地輪、二尊仏を彫刻した五輪塔は室町時代末期頃の製作と推定される。

これらの石仏は庶民信仰の歴史を研究する上でも大変貴重な遺物である。

なお、この辺りはもと御土居があった所で

近くの天満宮境内や平野鳥居前町には

国の史跡に指定された御土居があり、

当時の面影を伝えている。

関連記事 ➡ 秀吉が造らせた御土居堀