僕の分身に過去を与えよう。
生身の僕では出会いに限りがある。
限りなく出会える分身の僕。
より多くの人に出会うため、がんばってくれよ。
ではでは、過去編。
前回はちょうどイジメに対して作文を書き、読み上げたところまでか。
こういう話は逆に友達ともぜんぜんしない。
知っている人はわざわざ聞かない。
知らない人はそもそも聞かない。
知る僕はたんたんと言えない。
そーんなもんだ。
だから、分身に言わせるんだなあ。託すんだなあ。
ああいったことがあってから、だんだんとイジメはなくなった。
リーダー格的な人がやめてくれたんだな。
慣れた状態から変わるのは一瞬ではないけど、
徐々に徐々にあるべき方向へと変わっていく。
今から思えば、あんなことがあってから皆もう少し更に優しくなってくれた気がする。
いじめられっこだった子と僕も仲良くなった。
クラスの雰囲気もとても居心地よくなった。
僕は本当は飛び級でインターナショナルスクールに入るはずだったんだけど、
ぎりぎりで僕はもっと日本人学校にいたいといった。
そして、中三の2学期までいることになった。
中二の運動会に参加したかったのだ。
僕は運動会が好きだった。
皆が思いっきりがんばる運動会。
中3のときはもう僕は受験もしないし、別のインターに移ったけど、ちょっと手伝ったりした。
中2のときに学級委員長に立候補したりもした。
人前で話せるようになりたかったのと、
単純に選べる人は多いほうがいいだろうと言うことで。
まあ、まだ上手く人前で話せないし、おとなしい僕は負けたけど、
いい経験だった。
毎日のように泣きながら何話すか考えたりしてた。
僕は不器用だなあ。
不器用だから、真っ直ぐしか進まない。
僕の中学校時代はそんな感じ。
で、中3はインター。
カラフルで先進的な学校だった。
パソコンを買うこと推奨だったし。
久々の英語での授業だったが、結構すんなり上手くいった。
面白い人がいっぱいだったなあ。
韓国人多かった。
よく一緒にいたなあ。
日本の中3はヨーロッパだと高1だったりするんだなあ。
9年生しかなく、僕はそこの初高校生の一人だった。
だから、スポーツでは相手は9-12年生、こっちは9年生のみ。
いやあ、大変だった。
勝てない勝てない。いい線はいったけどね。
バレーボールでは学校のMVPに選ばれたし。
ま、一クラスしかないから大したことじゃないけど。
聞くところによると、バレーでは僕がいなくなってから進入部員を迎えたりして、インターのトーナメントで一位を取ったらしい。
詳しくは分からないけど。
僕は9年生の一年しかそこにはいなかった。
すっごく楽しいクラスメート達だったが、まあ仕方ない。
アートの時間が好きだった。
釜があって、つぼとか、粘土を焼いて色をつける韓国由来のセラミックス作りもできたし。
そして、旅発った先が日本。
高校はインター。
普通の日本の学校に通ったことがない。
高校は勉強ばっかり。
大学に入るために勉強勉強。
IBディプロマというプログラム。
宿題とかめっちゃ多い。
まあ、その学校のながーい歴史の中でも
できの良い生徒が多いと言われたクラスだった。
ちなみに僕の友達はス○ンフォードに行ったりしてる。
アメリカのセンター試験みたいなSAT1、2を知る限り全部満点通過するような子。
世界でも超トップクラスに頭がいいと思う。
まあ、そんな奴と競ったのは哲学とか経済だけどね。
僕は文系、彼は理系。
僕のこのころの友達は頭の良いタイプとオタクですなあ。基本。
僕は若干浮いてしまうくらいの人が好きなのかもしれん。
このころもいじめあったなあ。
今回は作文を読み上げる機会がなかったな。
だから、例を示す不言実行形式をとった。
そのいじめられっこと普通に友達になった。
礼儀正しく、優しい、ちょっと結構おかしな感じの子。
毎日二人でご飯食べたりね。
僕もちょっと一緒に孤立はしたけど、
そこは優しさと機転を利かして上手く立ち回る。
先生にクラスで何度もその子をいじめないで!仲間でしょ!
というようなことを言われた。
それでも変わらないんだなあ。
理屈で考えると、弱肉強食。
頭がいいと、損することは避けるのが普通。
人の嫌がることを進んでする、そんなことはばかげているのかもしれない。
でも、だったら僕はとことんバカでいる。
流れが悪い方向に行っているなら、せき止めてやる!
たまにはくじけそうになったけど、負けてやらなかった。
そいつといるなら話しかけないぞとかね、あったね。
残念だけど、それなら話しかけないでいいよ、そんな返事。
僕の抱えていた問題はその子は友達だが、ほかの皆も友達で、どこまでその子と一緒にいるのがちょうどいいか。また、どうやって他の友達をその子が作るか。どうしたらその子にとっていいのか、それが分からなかったことだ。
それに、僕は普通に元気でやっていたし、友達も僕からは結局離れずにいてくれた。
まあ、クラブ活動の野球とかでも一番上手い方だったし、弱小チームだが、無視できないくらいにはね、がんばっていたので。一番恐れられている先生とも仲良かったし。しっしっし。僕はまじめなので先生受けも良いのだ。
僕の努力もあってか、徐々にその子の周りにも人が集まるようになった。
話しかけるようになった。
そして、僕は意図的にその子から少しづつはなれることにした。
まあ、それはあまり上手くいかなかったけどね。
ちなみにクラスで一番の切れ者は全くかかわっていなかったね。
僕に、なんでそんなことしてるんだってね。
彼も結構問題ある感じで、さめている感じがあったなあ。
でも丸くなった。丸くなった。
丸くなってほしいと思ったら、いい感じになっていくからいいですね。
冗談で、世界を壊しかねない発明をしても研究のためなら、やってしまうと彼が言った。僕はそのときは僕がその発明を管理するよと言ってやった。それってどういう職業だよって突っ込まれたけどね、ははは。国違うし。
ま、どうなるんだろうね。
正直あの子はデスノートのライトよりも頭いいんじゃないかと思う。
ちなみにあの子の言った言葉で、
今は大学に入ってからの勉強をしている、
だから高校でやるようなことは簡単すぎる、
常に先のことを勉強していればテストでいい点くらい取れる、とさ。
テストのために勉強しているから、そこそこなんだよ、その先に結びつけて勉強すればテストなんてなんでもない。
それと、僕は今後こういった研究をするつもりだから、他の奴らに負けないためには先を見据えないと、とさ。
あと、テストにはそれぞれパターンや攻略法がある。
それらをマスターすれば満点も取れる。
といったことを言ってた。実際満点だから説得力がある。
まあ、僕も一緒に勉強したけど、彼は勉強時間が半端ないからなあ。
僕よりも長いというよりも、効率がいいんだなあ。
あと、一日の長さじゃなくて、もっと中学校からとか先を見据えて勉強したと言う期間の長さ。
あと集中力が高い。ま、僕も集中力は高いけどね。
勉強に関してはその子に色々学んだね。うん。
集中力に関しては、
僕はテスト中に消しゴムかしてくれといわれて、頭を小突かれるまで気づかなかったこともある。ひじを小突かれたり耳にぼそぼそ言われても気づかなかったなあ。友達には緊急事態とか気づかなさそうと言われた。
一応そんなこといわれたので、気をつけている。
ま、僕の高校はざあっとそんな感じだろうか。
クラスの子はビジネスだぜっ的な子や、日本語のほうが得意、英語のほうが得意、ダンスが得意、オタク、
やらなにやらいろんな子がいた。
このころコーラスやってた。カラオケできないし、音程とか分からないから。
苦手だからやってるっていうと変なのっといわれた覚えがある。
そんなこんなで高校生活は過ぎていった。
アメリカの大学に行くはずだった。
世界トップレベルと言うのがあそこに集まっているし。
でもまあ、僕は心の中では、あまりアメリカが好きじゃない。
拳銃怖いし。なんだか利己的な気がして。
無論、そんなことばかりではない。
ただ、ごちゃごちゃしていると僕は感じる。
日本のほうがなんか好きなんだなあ。
日本をもっと知っておきたいと、世界に行く前に。
だから、自然と手を抜いてしまったのかもしれない。
他の僕と似た感じの子は皆アメリカへ。
僕は日本に残る。
今思うと変わったことばっかりしているなあ、僕。
ちなみに、日本の大学にいる外国人を手伝いたいなあというのと、
自分のようなのが日本にも居れば良い刺激を与えられるのでは、とも思った。
デキルのが皆アメリカに行くっていうのは面白くない。
ま、日本の大学でも一番アメリカ的な感じなとこだけどね。はは。
日本でもしっかり勉強できることを証明してやる!
今はそんなこんなで大学生。
そして、なんだかんだでフランスにいる。
日本の大学では寮に居た。
和太鼓部に入った。
テニスサークルに入った。
通訳サークルにも入った。
ここに来る前に外国人に対する家庭教師のボランティアもした。
毎日目が回るような感じで楽しく過ごしてきた。
大学でのがんばったことは交換留学生とその他の間を取り持つことかな。
外国人の生徒と居る時間長かったなあ。
なぜかセンセイと呼ばれたり。ははは。
ただまあ、4年間同じじゃあ、芸がないと思い、今ここに居る。
今まで一つの国での最長滞在期間が5年だったので、
ちょうど日本5年目に出たのは自然だったのかもしれない。
今日はこちらフランス。
のんびりブログを書いている。
生身の僕では出会いに限りがある。
限りなく出会える分身の僕。
より多くの人に出会うため、がんばってくれよ。
ではでは、過去編。
前回はちょうどイジメに対して作文を書き、読み上げたところまでか。
こういう話は逆に友達ともぜんぜんしない。
知っている人はわざわざ聞かない。
知らない人はそもそも聞かない。
知る僕はたんたんと言えない。
そーんなもんだ。
だから、分身に言わせるんだなあ。託すんだなあ。
ああいったことがあってから、だんだんとイジメはなくなった。
リーダー格的な人がやめてくれたんだな。
慣れた状態から変わるのは一瞬ではないけど、
徐々に徐々にあるべき方向へと変わっていく。
今から思えば、あんなことがあってから皆もう少し更に優しくなってくれた気がする。
いじめられっこだった子と僕も仲良くなった。
クラスの雰囲気もとても居心地よくなった。
僕は本当は飛び級でインターナショナルスクールに入るはずだったんだけど、
ぎりぎりで僕はもっと日本人学校にいたいといった。
そして、中三の2学期までいることになった。
中二の運動会に参加したかったのだ。
僕は運動会が好きだった。
皆が思いっきりがんばる運動会。
中3のときはもう僕は受験もしないし、別のインターに移ったけど、ちょっと手伝ったりした。
中2のときに学級委員長に立候補したりもした。
人前で話せるようになりたかったのと、
単純に選べる人は多いほうがいいだろうと言うことで。
まあ、まだ上手く人前で話せないし、おとなしい僕は負けたけど、
いい経験だった。
毎日のように泣きながら何話すか考えたりしてた。
僕は不器用だなあ。
不器用だから、真っ直ぐしか進まない。
僕の中学校時代はそんな感じ。
で、中3はインター。
カラフルで先進的な学校だった。
パソコンを買うこと推奨だったし。
久々の英語での授業だったが、結構すんなり上手くいった。
面白い人がいっぱいだったなあ。
韓国人多かった。
よく一緒にいたなあ。
日本の中3はヨーロッパだと高1だったりするんだなあ。
9年生しかなく、僕はそこの初高校生の一人だった。
だから、スポーツでは相手は9-12年生、こっちは9年生のみ。
いやあ、大変だった。
勝てない勝てない。いい線はいったけどね。
バレーボールでは学校のMVPに選ばれたし。
ま、一クラスしかないから大したことじゃないけど。
聞くところによると、バレーでは僕がいなくなってから進入部員を迎えたりして、インターのトーナメントで一位を取ったらしい。
詳しくは分からないけど。
僕は9年生の一年しかそこにはいなかった。
すっごく楽しいクラスメート達だったが、まあ仕方ない。
アートの時間が好きだった。
釜があって、つぼとか、粘土を焼いて色をつける韓国由来のセラミックス作りもできたし。
そして、旅発った先が日本。
高校はインター。
普通の日本の学校に通ったことがない。
高校は勉強ばっかり。
大学に入るために勉強勉強。
IBディプロマというプログラム。
宿題とかめっちゃ多い。
まあ、その学校のながーい歴史の中でも
できの良い生徒が多いと言われたクラスだった。
ちなみに僕の友達はス○ンフォードに行ったりしてる。
アメリカのセンター試験みたいなSAT1、2を知る限り全部満点通過するような子。
世界でも超トップクラスに頭がいいと思う。
まあ、そんな奴と競ったのは哲学とか経済だけどね。
僕は文系、彼は理系。
僕のこのころの友達は頭の良いタイプとオタクですなあ。基本。
僕は若干浮いてしまうくらいの人が好きなのかもしれん。
このころもいじめあったなあ。
今回は作文を読み上げる機会がなかったな。
だから、例を示す不言実行形式をとった。
そのいじめられっこと普通に友達になった。
礼儀正しく、優しい、ちょっと結構おかしな感じの子。
毎日二人でご飯食べたりね。
僕もちょっと一緒に孤立はしたけど、
そこは優しさと機転を利かして上手く立ち回る。
先生にクラスで何度もその子をいじめないで!仲間でしょ!
というようなことを言われた。
それでも変わらないんだなあ。
理屈で考えると、弱肉強食。
頭がいいと、損することは避けるのが普通。
人の嫌がることを進んでする、そんなことはばかげているのかもしれない。
でも、だったら僕はとことんバカでいる。
流れが悪い方向に行っているなら、せき止めてやる!
たまにはくじけそうになったけど、負けてやらなかった。
そいつといるなら話しかけないぞとかね、あったね。
残念だけど、それなら話しかけないでいいよ、そんな返事。
僕の抱えていた問題はその子は友達だが、ほかの皆も友達で、どこまでその子と一緒にいるのがちょうどいいか。また、どうやって他の友達をその子が作るか。どうしたらその子にとっていいのか、それが分からなかったことだ。
それに、僕は普通に元気でやっていたし、友達も僕からは結局離れずにいてくれた。
まあ、クラブ活動の野球とかでも一番上手い方だったし、弱小チームだが、無視できないくらいにはね、がんばっていたので。一番恐れられている先生とも仲良かったし。しっしっし。僕はまじめなので先生受けも良いのだ。
僕の努力もあってか、徐々にその子の周りにも人が集まるようになった。
話しかけるようになった。
そして、僕は意図的にその子から少しづつはなれることにした。
まあ、それはあまり上手くいかなかったけどね。
ちなみにクラスで一番の切れ者は全くかかわっていなかったね。
僕に、なんでそんなことしてるんだってね。
彼も結構問題ある感じで、さめている感じがあったなあ。
でも丸くなった。丸くなった。
丸くなってほしいと思ったら、いい感じになっていくからいいですね。
冗談で、世界を壊しかねない発明をしても研究のためなら、やってしまうと彼が言った。僕はそのときは僕がその発明を管理するよと言ってやった。それってどういう職業だよって突っ込まれたけどね、ははは。国違うし。
ま、どうなるんだろうね。
正直あの子はデスノートのライトよりも頭いいんじゃないかと思う。
ちなみにあの子の言った言葉で、
今は大学に入ってからの勉強をしている、
だから高校でやるようなことは簡単すぎる、
常に先のことを勉強していればテストでいい点くらい取れる、とさ。
テストのために勉強しているから、そこそこなんだよ、その先に結びつけて勉強すればテストなんてなんでもない。
それと、僕は今後こういった研究をするつもりだから、他の奴らに負けないためには先を見据えないと、とさ。
あと、テストにはそれぞれパターンや攻略法がある。
それらをマスターすれば満点も取れる。
といったことを言ってた。実際満点だから説得力がある。
まあ、僕も一緒に勉強したけど、彼は勉強時間が半端ないからなあ。
僕よりも長いというよりも、効率がいいんだなあ。
あと、一日の長さじゃなくて、もっと中学校からとか先を見据えて勉強したと言う期間の長さ。
あと集中力が高い。ま、僕も集中力は高いけどね。
勉強に関してはその子に色々学んだね。うん。
集中力に関しては、
僕はテスト中に消しゴムかしてくれといわれて、頭を小突かれるまで気づかなかったこともある。ひじを小突かれたり耳にぼそぼそ言われても気づかなかったなあ。友達には緊急事態とか気づかなさそうと言われた。
一応そんなこといわれたので、気をつけている。
ま、僕の高校はざあっとそんな感じだろうか。
クラスの子はビジネスだぜっ的な子や、日本語のほうが得意、英語のほうが得意、ダンスが得意、オタク、
やらなにやらいろんな子がいた。
このころコーラスやってた。カラオケできないし、音程とか分からないから。
苦手だからやってるっていうと変なのっといわれた覚えがある。
そんなこんなで高校生活は過ぎていった。
アメリカの大学に行くはずだった。
世界トップレベルと言うのがあそこに集まっているし。
でもまあ、僕は心の中では、あまりアメリカが好きじゃない。
拳銃怖いし。なんだか利己的な気がして。
無論、そんなことばかりではない。
ただ、ごちゃごちゃしていると僕は感じる。
日本のほうがなんか好きなんだなあ。
日本をもっと知っておきたいと、世界に行く前に。
だから、自然と手を抜いてしまったのかもしれない。
他の僕と似た感じの子は皆アメリカへ。
僕は日本に残る。
今思うと変わったことばっかりしているなあ、僕。
ちなみに、日本の大学にいる外国人を手伝いたいなあというのと、
自分のようなのが日本にも居れば良い刺激を与えられるのでは、とも思った。
デキルのが皆アメリカに行くっていうのは面白くない。
ま、日本の大学でも一番アメリカ的な感じなとこだけどね。はは。
日本でもしっかり勉強できることを証明してやる!
今はそんなこんなで大学生。
そして、なんだかんだでフランスにいる。
日本の大学では寮に居た。
和太鼓部に入った。
テニスサークルに入った。
通訳サークルにも入った。
ここに来る前に外国人に対する家庭教師のボランティアもした。
毎日目が回るような感じで楽しく過ごしてきた。
大学でのがんばったことは交換留学生とその他の間を取り持つことかな。
外国人の生徒と居る時間長かったなあ。
なぜかセンセイと呼ばれたり。ははは。
ただまあ、4年間同じじゃあ、芸がないと思い、今ここに居る。
今まで一つの国での最長滞在期間が5年だったので、
ちょうど日本5年目に出たのは自然だったのかもしれない。
今日はこちらフランス。
のんびりブログを書いている。
最後の2文が、印象的な文章ですね。
このろさんの考え方が
良いな、好きだな、ステキだな、って思って
リンク繋いでもらえて良かったなぁ、と思いました。
変わったことばっかりしている、って良いですよね~
開拓者、って感じですね。
私は何を開拓できるだろうか・・・?
そうやってどんどん自分にも
このろさんの良いところが貰えそうな気がします。
でも、普段のジャグリング、スト、の話しも
なんだか聴いていて、楽しいです。
フランスが身近になったきがして、嬉しいです。
元気を いつもありがとう。
今年もよろしくお願いします。
投稿ばかりで自分のブログを見てなかった。(汗
コメントありがとう!
いずねさんのブログと繋がることができて僕もすごく良かったなと思っています。
そもそも僕のほうがそちらのブログに惹かれたわけですし。
僕のほうこそ色々と勉強させてもらっています。
良いお年を!