(青森駅ホームより連絡船を見る)
今回は旅の本筋とは離れますが、青函連絡船について補足する特別編です。
連絡船は旅客のみならず、貨物列車も積み込んで運航されていました。
貨車を積み込む作業の様子です。船の中にも鉄道のレールが敷かれていて、そのまま貨車を押していって積み込みます。
貨車の入っていくトンネルのようなところが、連絡船船尾の開口部です。
機関車と貨車の間に「空の台車」があります。これは「控車」(ひかえしゃ)と呼ばれる特殊な貨車です。艀(はしけ)に機関車の重量をかけられないので、控車を五輛はさんで、艀に機関車が直接乗らないようにしているわけです。
貨車部分がきちんと船に乗ったら、控車と貨車を切り離して積み込み完了!
貨物列車が海の上を渡っているのですから、連絡船は「海の上を走る鉄道」と呼べるものかも知れません。
岸壁を離れる石狩丸から青森駅方向を見た景色。
写真には写ってはおりませんが、接岸したり離岸したりする際に、タグボート(補助汽船)という小型の船が大きな連絡船の横っ腹を押します。
そのときのタグボートのグイグイ押す強い力がわたしの体にも伝わってきて、感動したものでした。
しかし、残念なことに、連絡船はとうの昔に廃止されております。また、これから旅に登場してくる鉄道もほとんどが廃止されております。もはや見ることのないものばかりです。
せめて妄想でそれを体験してみたいというのが今回の旅の企画です。
ただし、わたし自身もほとんど旅をしていないところばかりなので、不正確な描写が含まれていたりすることを、あらかじめご了承ください。
(知らないところはあまり詳しくやらないと思いますが…)
(特別編おわり)
連絡船には貨物列車も積み込まれていたのですね。本当・・船の中にレールがありますね。そして、空の台車のことを控車というのですね。
海の上を走る鉄道・・・その通りですよね。
このは紅葉さん、貴重なお写真を拝見させていただいてありがとうございました。
今はない物ですから、貴重な写真ですね。もっと写真を撮っておけば良かったな~。
もう一度連絡船に乗りたいけれど叶わぬ夢です。
そうした思いがわたしに絵を描かせるのです。
トンネルが無かった時代は、貨物はどうやって海を渡っていたのだろう・・・?
と考えてみればフェリーと同じで、列車も積み込まれるのは、当然ですよね。
本当に貴重なお写真だと思います。
貨物を押し込んでいる赤い機関車・・・
DE・・・何だろう?
修学旅行と言えば、みんなは友だち同士の写真をたくさん撮るところでしょうけれど、鉄道趣味のわたしは鉄道関係の写真が多かったです。