このは紅葉のお絵かき日記

トランプ大統領・たつき監督・irodoriの味方だよ

#3400 2001年宇宙の旅 (字幕版)

2021年09月06日 | ふつうの日記
映画『2001年宇宙の旅』 (字幕版)を見たのでその簡易水彩らくがきです…

アマゾンプライムでお勧めされたので見てみました。
昔、たぶん中学生か高校生ころに見たのですけれど、当時は終わりの部分の意味がぜんぜん分かりませんでした。
何十年か経って、今なら少しは分かるかもと思ったのですが、やっぱり分かりませんでした。

内容はだいたい憶えていましたが、改めて見ると細かいところでいろいろ発見がありました。
撮影トリックなどの知識があるので、そういう部分を見るのは面白かったです。
あとはつっこみどころがたくさんです。挙げるとキリが無いですが、いくつか書いてみると…(以下、読む必要ないです)

冒頭の猿の場面は生き物の生態を完全に無視して描いているのが気になります。
あの不毛の土地で生きるに適さない猿と草食動物で、さらに頭数も多すぎて、水と食料は数日ともちません。
草食動物は猿の群れのそばで逃げずにいて、おとなしく食料になるのもおかしいです。
そのうえ、猿の二つの群れが、すぐに乾いてしまいそうな水たまりを奪い合うというのが、すごい。一つの群れでも生きて行けない土地というのに、二つも群れがいるとは。
生き延びる可能性を求めるなら、さっさとこの土地を出て、食料を探しに行くしかないと思うのですが。
それから、この場面の時間が長いのが気になりました。まあ、これは、一度見て内容を知っているからそう感じるだけかも知れませんが。

無重力状態の連絡船内で眠りこけてペンが離れて浮遊しているのは危ないですね。高所作業のように、紐か何かでつないで勝手に飛んで行かないようにしないと。

月面基地の小会議室の場面。少人数で内輪の極秘会議。
発言者は椅子をガガガと音を立てて立ち上がり、輪に並べた会議机の後ろを歩いて登壇し、発言を終えたらまた歩いて戻って、ガガガと音を立てて椅子を引いて坐る。
緊急事態だというのに、現代でも未来でもこんな悠長なことはしないでしょう。しかも、発言内容は挨拶程度で、問題の詳細は現地に移動する途中で話すという…。
行った先の石盤の前で皆並んで記念撮影、とか笑ってしまいました。不協和音が鳴り響いて不安を煽るような感じなのに、やってることの緊迫感が無さ過ぎです。

そして唐突に木星探査に出発です。
そういえば、なぜ木星に行くのかの説明は作中であったかな? 後半で極秘任務のことはビデオで流れるけれども、表向きの目的は何だったのだろう。
ちょっと行ってみるかという気楽な旅ではないし、有人探査である事の表向きの理由は?
もしかしたら見落としたのかも。

この計画は何か変だ、裏があるのではないか、と不安がるコンピュータ。いや、あんた、最初から裏の極秘情報を知ってたでしょ!
何だか、木星に行って何かするのが目的ではなくて、ただ行くことだけが目的みたいですね。到着した後の人の手が必要ではない。
だから、コンピュータは邪魔者の乗組員を排除してしまって問題ないという判断なのかな? 

コンピュータに聞かれないように密談した場面は、昔見たときは感心しましたが、今見ると駄目でした。人よりも遙かに高度な思考力があるコンピュータを出し抜こうという割には、迂闊過ぎです。

船外活動をするのに、本船と作業用ポッドが離れ過ぎ。さらにその長い距離を命綱無しで宇宙遊泳するのが怖い。しかも交換用モジュールを手でつかんで持っていく。いや、こういうのは体につないで運ぶものでしょう。

仲間が宇宙空間に放り出されたのを見てから作業用ポッドに乗り込んで、ゆっくりと発進し、追いかけてつかまえるのは無理。なぜか仲間の遺体は減速してポッドが追いつくのを待ってくれる。
たとえ仲間をつかまえることに成功したとしても、あんなに遠く離れてしまってはポッドが本船に戻れないのでは。と思ったら、いつの間にか戻ってきて、さらに本船の頭に回り込んでいるという…すごい機動力です。そもそも、あのポッドの推進動力も謎ですが。

制作当時としては撮影技術がすごい!という雰囲気が売りの映画なのでしょうか?
物語としては、石盤も木星も単なる舞台装置(飾り)で、人とコンピュータ(人工知能)の関係がメインテーマということでしょうか。

そして、最後、木星到着後は表現が抽象的過ぎて意味が分かりません。分かる人がいるの?

たしか、映画の続編もあったような気がしますが、見たことはないかな…たぶん。
こんな意味のわからないものの続編では見る気も起きないですし、この映画ももう見ることは無さそうです。


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