このは紅葉のお絵かき日記

トランプ大統領・たつき監督・irodoriの味方だよ

#1042 雪景色

2010年01月31日 | 透明水彩
水彩らくがきです…

子どもの頃から、人に教わるのが嫌いで、やりたいことを自分で考えて工夫するのが好きでした。それは今も変わりません。
絵は技法など教わらずに好き勝手に描いているため、技術的にはいつまで経っても拙いままです。(技術の向上を目指してはいないのでそのことを問題にしてはいません)
他の人からは、わたしの絵は簡単に真似やすそうと思われるのでしょうか。難しいことは何もしていないので、たしかに真似はしやすいかも知れません。
そのためか、よく描き方を聞かれますが、それがいちばん困ります。描き方を知らないので答えようがありません。

いつもその場の思いつきで描くので、描くたびに描き方が違いますし、いちいち記憶していません。以前描いた絵をどうやって描いたか、わたし自身もわかりません。
ときどき、素晴らしい思いつきがあって、それが成功することもあるのですけれど、あまり憶えていないので再現できません。

もしあなたが絵を描き方を知りたいなら、わたしに聞くより、絵画教室でみっちり教わり、さらに本をたくさん買い込んで猛勉強する方が良いでしょう。
半年も勉強すれば、わたしの絵など取るに足らないつまらないものだとわかるはずです。

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8 コメント

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気軽な気持ちで (きなこ)
2010-02-01 14:59:48
ちょっと前の記事で
どんなふうに描いてるのかなと思ったから
そうコメントしたのですが

私のコメントで不愉快な思いをさせてしまったのなら
無理に描き方を教えようとさせてしまったのなら
ごめんなさい

そんなつもりじゃなくて
ただ…紅葉さんの絵がすてきだなぁと思ったのと
もとより同じように描けるはずはないけれど
透明水彩という絵の具で描いてみたいなぁと感じただけなんですよ(゜ω゜;A)

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きなこさんへ (このは紅葉)
2010-02-01 23:53:28
きなこさんに不快な思いをさせてしまってごめんなさい。
しかし、それには看過できない問題があるのです。
きなこさんとはこれからもずっと仲良くしていきたいので、その問題についてはっきり申し上げておかなくてはならないと思います。

コメントしてくださる方々には、どなたにも全力で応えていきたいと思っています。
とくに、仲良くしてくださっている、きなこさんのためなら、無理もします。けれども、わたしはいつもがんばりすぎで、心身ともにほとんど余裕はありません。

【問題の第1】
きなこさんに限らず、質問される方はどなたでも、気楽に質問なさっていますが、答えるわたしの方はとても気楽には答えられないと言うことです。
とくに絵に関する質問に答えるのは難しすぎます。絵に正解や模範解答なんてありませんから。わたし自身、わからないことだらけです。
これまでも、何度も絵についての質問をされました。

いちばん多かったのは「わたしは絵を描きたいのに絵が描けません。どうしたらあなたのような絵が描けるようになりますか?」です。
そんなことはわたしにはわかりません。
もし丁寧に答えようとするなら、生い立ちからこれまでのわたしの人生を書き連ね、悩み苦しんできたことと、それにどう折り合いを付けてきたかを書くしかありません。(先日はこれを書いていて嫌になりました。自分が辛い思いをしたことを書くなんて、とても嫌なことです。それに睡眠時間3時間とか、体もボロボロです)
もっとも短い答えは、「絵は自由」です。(これには「あなたが絵を描くか描かないかの自由」すらも含まれています)自由についての簡単な説明は前回#1041のコメント欄に書きました。

一番ひどいのは、「あなたの絵を真似して描きたいので、どうやって描いたか教えて下さい」です。真似するのは自由ですが、どうしてそこまで手取り足取り、わたしが教えなければならないのか。
(それと、わたしは真似されるのはあまり好きではないので、真似したい人は、わたしに知られないようにこっそり真似して下さい)

何度も入れ替わり立ち替わり、色々な人が同じような質問をして、そのたびにわたしは頭を悩ませて答えてきました。
質問する方は気楽に書くでしょうけれど、答えるわたしは、何時間も、あるいは何日も悩んで答えを考え、その間、睡眠時間も削り、描きたい絵も描けず、ただ苦しいだけです。
そうして苦労してようやく書いた答えも、質問者の望んだ答えではないとすると、わたしは何のために自分の命を削っているのかわからなくなります。
まとめると、質問するのは簡単でも、答えるのは非常に難しく大変だと言うことです。

(つづく)
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きなこさんへ・2 (このは紅葉)
2010-02-02 01:19:25
【問題の第2】
わたしが困るのは、みなさんが困っていることをわたしのところに持ち込まれることです。
だれかが困っているのに、わたしが助けないでいるのは気持ちが落ち着きません。
このは紅葉に言えばなんとかなる。そう言れても、わたしにはみなさんの問題を解決できる力がありません。

先の話と重なりますが、「わたしは絵を描きたいのに絵が描けません。どうしたらあなたのような絵が描けるようになりますか?」と言われて、無視できるほどわたしの心に余裕はありません。
絵を描けなくて悩んでいる人を前にして、どうして、わたしが絵を楽しめるでしょうか。
わたし自身も精神的な病気で絵が描けずに悩んでいたので、同じように苦しんでいるのかと思って、全力で手助けしたいと思うのは人の情として当然のことでしょう。
そうしてわたしなりにいろいろ考えてやってみますが、結局わたしには力が無く無理なことでした。
自分の事だけでぎりぎりがんばっているのに、人助けする余裕なんかあるはずが無いのです。

さらにがっかりするのは、「絵を描けない」と言う人のよくよく話を聞いてみると、単に「やる気が足りなくて行動に移せない」とか、「ほかに趣味がたくさんあって時間がとれない」(註)とか、自分で解決しようとすればできるのにしようとしない、悩みというほどのものではないということです。

「現在、絵を描いていないけれど特に困っているわけではない(困らないからいつまでも描かない)。こうなったら良いなという、軽い願望」だったということです。
「簡単に思い通りに作品が出来るのなら、ちょっとやってみても悪くないなと思っていたけれど、そんなに面倒ならやらなくてもいいや…」
「言うだけタダなんだし、ダメ元で言ってみただけ」と。

わたしは困っている人に何とかしてあげたいとがんばっているのに、じつはその人はそれほど悩んでいないし、がんばってもいないとなると、わたしが馬鹿なのでしょうね。
馬鹿だとわかっていても、そうしないではいられない。やる気のない人をやる気にさせて、絵を描いてもらわない限り、わたしは安心して自分の絵を楽しむことができないというのは難儀です。

きなこさんにお願いしたいのは、「描いてみたいなぁ」とお思いなら、どうか描いて下さい。少なくとも、その言葉をわたしに向けないで下さい。きなこさんが描き始めるまで、わたしは気が気でありません。
「紅葉さんは絵が描けて良いなぁ…それに比べてわたしは…」と言われると、非常につらいです。
きなこさんは絵を描きたくても描けないのに、わたしだけ描いて楽しんでいるのは、自分だけ幸せになろうと独り占めしているような気がして「描いてはいけない」気分になってしまいます。

(註)友だちとおしゃべりしなくちゃならないし、テレビも見なくちゃ。このドラマおもしろいのよ。映画も見たいし、本も見たいし、携帯のメールも見て…。そうしたことを一切やらずに、わたしは時間の許す限り絵を描いています。一日の時間は限られています。絵を描いていない人がこれから絵を描こうとするには、今までほかのことに使っていた時間を削って、絵を描くことに使うわけです。
わたしには絵を描くことが一番大事なので、ほかのことをしている暇がありません。

また囲碁をしたいなと思いますが、思うだけでしません。それよりは絵を描いていたいからです。
だからといって囲碁をしている人のところへ行って、「わたしも囲碁をしたいのに出来ないんです」とは言いません。言ったところで、「そんなこと知るか! したければ勝手にすればいいだろ!」と言われるだけです。
わたしも「勝手にすれば!」と言えたら、楽な人生を送れたのかも知れません。
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きなこさんへ・3 (このは紅葉)
2010-02-02 02:37:09
【第3の問題】
わたしは「作品」よりも「描く行為」そのものに楽しみを求めています。わたしにとっては、描き終わった絵は、絵描きを楽しんだことの副産物に過ぎません。それがたまたま良い出来であったら嬉しいですが、それよりも、描いている最中が楽しいかどうかが一番大事なところです。
描いている最中が楽しければ、絵の出来が悪くても関係なく楽しいですし、たとえ素晴らしい出来だったとしても、楽しく描けなかったらがっかりします。絵が下手とか上手とかそんなことではなくて、楽しむことが最大の目的です。
このことは絵を描かない人にはほとんど理解されません。

「自分も絵を描いてみたい」という世の中のほとんど人は、他の人の絵を見てそう思うようになるのでしょう。
経過(描いている最中)を知らずに、結果(作品)だけを見るのですから、「自分も描いてみたい」=「同じような作品を描いてみたい」と思うのは至極当然のことなのでしょう。
描いていないのに、楽しいかどうかわかるはずがありません。
以前は描く楽しさを伝えようとしたこともありましたが、自分でやっていないことを理解できないのは当たり前と気が付いたのであきらめました。

それに、どのように楽しもうと、楽しみ方はそれぞれ、みなさんの自由です。わたしと同じように楽しむ必要はありません。
以前「絵を描くことを楽しめない」と言う人がいて、どうすれば楽しめるかというのも、いろいろ考えて書いてみたことがありましたが、結局その人は諦めて去って行きました。
わたしが説明するようなことではなかったのです。楽しみ方は人それぞれ自由です。ご自分で楽しみ方を見つけて下さい。
楽しむのも楽しめないのも自由です。楽しめないならほかのことを楽しんだら良いでしょう。(註)

これまで、たくさんのヒントを書いてきました。出血大サービスで、写真入りで描いている途中の様子を紹介したりしました。
でも、いくらわたしが何か書いたところで、自分でやってみなければ何もわかりません。
あくまで行動あるのみです。

どうしたら良いかわからないというのでしたらいくつか選択肢を挙げておきましょう。
(1)絵画教室へ申し込む(コミコミパックで手取り足取り教えてもらえるでしょう。教材もいろいろ買わされるのか…。良心的な先生を探して下さい)
(2)本屋さんで「絵の描き方」本を買い込む(「失敗しない」で絵を描きたいならこれに書いてあるでしょう)
(3)このは紅葉流(冒険の道)を貫く(とにかくまず自分でやってみる。失敗もまた楽しい。「自分の経験(失敗)」が生きた教科書です)
(4)絵を描くのをあきらめる(絵を描くのも自由なら、絵を描かないこともまた自由です。くよくよして結局楽しめないのなら、別の事をして楽しい時間を過ごす方が良いでしょう)

ほかに選択肢があるかもしれませんが、わたしが思いつくのはこのくらいです。

(註)わたしが削除した長文乱文をきなこさんがご覧になっていたかわかりませんが、わたしが絵を描けなくなって、ほかのことに楽しみを求めました。再び絵の世界に戻って来られたのは、妙な縁でしたが、それも常に行動を起こしてきたからつながった縁です。何もしないでただ悩んでいたら、きっと今も悩み続けて絵も描けなかったでしょう。きなこさんともお知り合いになれなかったでしょう。これもまた、不思議な縁です。
きなこさんがわたしと同じように自由を求める旅に出かけるのでしたら、わたしは楽しい仲間を得ることになりますし、そのためにお手伝いできることはまだあるでしょう。
そうなると嬉しいですが…どうするか決断して実際に行動するかどうかは、きなこさん次第です。
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きなこさんへ・4 (このは紅葉)
2010-02-02 10:10:53
【問題の第4】
これはあまり深刻ではありませんが、出来れば避けたいことなので、申し上げておきます。
わたしは「絵が上手」と言われるのは好きではありません。
世間一般的にお世辞として、外交辞令として汎用されるので、言われても仕方がないことと我慢していますが、出来れば言われたくない言葉です。
絵の上手下手は描く技術的なことで、それは絵を楽しむこととはまったく別次元の話です。

わたしは絵の描き手ですが、他の人の絵を見る鑑賞者でもあります。
わたしが良いと思う絵は、なんとなく雰囲気が好きとか、感じが良い、気分が良くなる、フィーリングが合う、面白いとか、あまり言葉では言い表せない感覚的な部分で気に入ります。要するに、自分の好みに合った絵が自分にとっての良い絵ということです。

わたしは絵の批評家にはなりたくありません。絵を見るのを楽しみたいのです。その絵を見て自分が楽しめるかどうかが大事なことで、上手か下手かは何の関係もありません。
みなさんにも、「上手・下手」の批評家の目で絵を見ないで、「好き・嫌い」「面白い・面白くない」「楽しい・楽しくない」という心の目でご覧いただくのが推奨する楽しみ方です。

とくに、わたしの絵に関しては、お世辞は無用です。美辞麗句が並んでいてもあまり嬉しくありません。ただ一言「好き」とか「面白い」などと言っていただけるのが嬉しいのです。

(もちろん、好きでない絵のに好きという必要はありませんし、わざわざ嫌いと言う必要もありません。好きでない絵を見るより、ほかの絵を見るか、別のことをした方が建設的です)
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ありがとう (きなこ)
2010-02-02 11:04:59
このは紅葉さん
わたしのために時間を割いて、書いてくださってありがとうございます

(3)このは紅葉流(冒険の道)を貫く(とにかくまず自分でやってみる。失敗もまた楽しい。「自分の経験(失敗)」が生きた教科書です)
これが一番しっくりきました

私が求めていたのはこれなのかなって

(1)(2)も体験したことがあるのですが
私には合わなかった
それと、上手か下手かのしがらみに縛られて
自由になれなかったんですね

(3)の考え方、やり方もあるんだということを
紅葉さんのブログに出逢って初めて気づかされました

描いてみたいという気持ちを大切にしたいと思います
音楽を楽しむのと同じように…

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きなこさんへ・5 (このは紅葉)
2010-02-02 11:05:30
【問題の第5】
もうひとつ大事な問題を書き忘れていました。
「自分の絵を描く」ということです。

きなこさんはわたしの絵と同じには描けません。
それは、わたしがきなこさんの絵と同じに描けないのと一緒です。
自分が描いた絵でも、もう一度同じ物は描けないのに、ほかの人の絵を描くことなど出来るはずがありません。

絵を描き始めて、いちばん陥りやすい罠が、「自分の絵を人の絵と比べる」ということです。
多くの人が「絵の描き方本」を買ってきて、本に書いてある通りに、お手本とまったく同じように描こうとしますが、出来ません。似せることは出来ても全く同じには出来ません。
「どうしてお手本どおりに描けないのだろう! わたしには絵の才能は無い!」と嘆くわけです。
でもあなたは絵を描いたのです。その絵はあなたが気に入ろうと気に入らなかろうと、あなたが描いた絵で、ほかの誰にも描けない絵なのです。それを自分の描いた絵だと認めるのも、絵を描く才能の一つだと思います。

もう一歩先に考えが及べば「ああ、そうか、絵のお手本はプロの先生が描いたのだし、いきなり同じように描けるわけがないわね」と思うかも知れません。
そうして、自分と同じような素人絵描きに目標を変えます。たとえば人の良さそうな「このは紅葉」という絵描きは格好のターゲットになります。(中身はかなりのひねくれ者なのですが)
「この人の絵なら簡単に描けそう」
けれども、前述と同じ理由で、わたしと同じには描けません。
「どうしてあなたは簡単に上手に描けるのですか? なにかコツを隠しているのでしょう?」
そう思う人は絵を描く才能が無いのだと思います。

「絵を描く楽しみ」は「自分の絵を描く楽しみ」ということです。
自分の絵を人の絵と比べても意味がありません。自分が楽しめるかどうかが大事なことです。
いちばんの「絵を描く才能」は、楽しめるかどうかなのです。うらやましがっていては楽しめません。

わたしは自分の絵を描く技量はよくわかっているつもりです。自分の技量の範囲内で楽しめる方法を日々考えています。それを考えることもまた楽しみにしています。
多くの人は「どうすれば絵を上手に描けるか」と考えるのかも知れませんが、わたしは「どうすれば絵をもっと楽しむことができるか」ということを考えています。

絵に限らずどんな分野でも、才能とは「好き」「楽しい」と感じられるかどうかの問題だと思います。技術的なことは続けていれば嫌でも勝手に上達します。
「好きこそ物の上手なれ」という言葉がありますが、それよりは「下手の横好き」(註)という方向を目指しています。
楽しむことを目的に描くのですから、楽しければそれで良いじゃない。

(註)勝手な想像ですが、「下手の横好き」という言葉は、楽しめない人たちが楽しんでいる人に向かって言う嫉妬の念が生んだ言葉だと思います。もし自分がほんとうに楽しんでいるなら、他の人のことをうらやましがる訳がないでしょう。
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コメントが入れ違いになってすみません (このは紅葉)
2010-02-02 11:20:16
きなこさんが、自由を求める冒険の旅に出かけられるのでしたら、わたしの旅の心得など少し書いてみましょう。同じにする必要はありませんが、少しは参考になるでしょう。
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