KONASUKEの部屋

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戦後70年談話?

2015年08月17日 | 政治
今年の8月15日の空。
70年前も、こんなだっただろうか?
人々は、どんな思いで、空を見上げたのだろう?

戦後70年の談話が出されましたね。
「侵略」「植民地支配」「反省」「お詫び」といったキーワードは入れているものの、直接的な反省の言葉はなし。
一般論に終始していて、村山談話や小泉談話からは、明らかに後退してるなぁ。

前半は、敗戦までの経過を長々と述べていて、言い訳がましい。
「○○ちゃんだってやってたじゃないか」っていう、いつもの言い訳に加えて、「経済ブロック」が悪かったんだ的なことも言ってる。

これだけ、ごった煮みたいにしたのには、実は訳があるんじゃないか、と思う。
お詫びに見せかけて、自分の本音をいかに織り込ませるか、ってとこに、心血が注がれているのではないか、そんな気がする。

終盤、「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ・・・」と述べています。
なるほど、前半の「経済ブロック」悪論は、伏線でしたか。
だからTPPだってことなんでしょうけどね。
アレはアメリカの恣意が色濃く反映されたシステムだと思いますよ。

また、「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。」って述べてますね。
ここで言う「国際秩序」ってのは、アメリカ中心の、でしょうね。
その後に、「『積極的平和主義』の旗を高く掲げ」ってくるワケで、これは戦争法案を成立させて、どこまでもアメリカに付いていくという意思表示でしょうな。
アメリカさんには逆らいません、どこまでも付いていきます、っていう、卑屈なまでのラブコール。
アメリカさんの機嫌がいいワケだ。

戦後70年を振り返るなら、やっぱり侵略戦争と植民地支配への反省から出発しなきゃ。
ホントに反省する気があるなら、武力によらないで、いかに紛争を戦争にしないかが大事だと思います。

その意味で、今年の長崎平和宣言は示唆に富んでいましたね。
「 原子爆弾の凄まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。」
「 日本政府に訴えます。

 国の安全保障を核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、”核の傘”から”非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。」
「 現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、いま揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます。」

全ての国が、剣呑な核兵器は持たないと決めれば、核兵器に頼らない安全保障ができると。
そのための真剣な努力をしようと。
そこから一歩広げて、憲法九条の戦争放棄の理念。
全ての国が採択できれば武力に頼らない安全保障ができるのではないか。
今すぐはムリだし、簡単ではないけどね。
広める努力はすべきではないか。
そんなことを考えた終戦記念日でしたよ。
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