KONASUKEの部屋

最近はすっかり昆虫ブログと化してます(笑)
生物のこと、笠間のこと、時々政治

二子塚古墳

2018年07月30日 | 歴史
二子塚古墳。 住宅地の中にある小さな丘、という感じの公園として整備されています。 たまたま迷い込んで見つけました。 ※訪問したのは3月です。 これは二子塚古墳群(円墳3つで構成)のうちの一つ、1号墳であるとのこと。 →埼群古墳館 1400年位前っていうと、飛鳥時代? 旧岩間町の看板が立つ。 現在は合併して笠間市の一部だけどね。 向かって右側、確かに削れているようですね。 近くで見てみた。 . . . 本文を読む
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”戦国最弱”小田氏治がゆく

2018年06月15日 | 歴史
一昨日の「歴史秘話ヒストリア」。 ついに来ました! 戦国最弱の呼び声高い「小田氏治」君ですよ。 →NHK大坂放送局ブログ 本姓は藤原氏。 家系は宇都宮氏の一門・八田知家を祖とし、関東八屋形に数えられる名門。 しかし、合戦は連戦連敗。 分かっているだけで20回近く敗けてます。 居城・小田城を奪われること9回。 しかし、ほとんどその都度、奪還! 何度窮地に陥っても、その都度、返り咲く。 別名、常 . . . 本文を読む
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水戸城大手門の瓦塀・詳報

2018年01月18日 | 歴史
水戸城大手門の瓦塀(かわらべい)についての詳報です。 瓦塀とは・・・瓦と粘土を交互に重ねて作られた塀。別名・練塀。 当日の様子 大手橋から現場を望む。 場所はこの辺↓ 一般のための見学会に、雨の中、多くの人達が集まりました。 解説して下さったのは、関口慶久さん。 「ブラタモリ」の水戸の回(2017年1月28日)で、解説をされていた方ですね。 解説の予定は、14:00~と15:00の2回で . . . 本文を読む
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水戸城大手門の瓦塀・最後のお披露目

2018年01月17日 | 歴史
水戸城大手門の瓦塀。 ※瓦塀(かわらべい):瓦と粘土を交互に積み重ねて作られた塀のこと=練塀(ねりべい) 水戸城大手門復元工事現場で発掘されました。 2年前の調査で、大手門の北側に、二つの瓦塀が存在したことは、確認されていたのですが。 今回、南側にも二つ、確認されました。 幅は、西側が2.5mだったかな? 東側が2.1m 長さは2m、高さ5mに達したと推測され、国内最大規模。 大手門の . . . 本文を読む
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南総里見八犬伝の疑問・「鳥銃」って何?

2017年12月01日 | 歴史
「南総里見八犬伝」の文庫本(上下巻)を買って来て、昨日から読んでます。 実に、小5以来、約40年ぶりに(笑) しかし、のっけから、読んだ憶えのない話が出て来て、ちょっと面食らった。 まぁ、学校の図書室にあった子ども向けの本なので、幾分、端折ってあったようだ。 それでも小学生が読むには、相当厚みのある本だったけど。 さて、とりあえず、 伏姫(ふせひめ)が、金碗大輔(かなまり・だいすけ)の撃った鳥 . . . 本文を読む
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日本名城紀行[関東](DVD)を購入

2017年03月20日 | 歴史
「日本名城紀行」(DVD)。 近所のショッピングセンター「ポレポレ」内の本屋(川又書店)で、安売りしてた。 中に・・・ 我が郷土の「笠間城」も。 2006年に出版されたもののようですが。 画像はあまり良くありません。 恐らく、ビデオテープで発売されたものを、DVD化したものかと。 内容的には、まあまあかな? 間に東日本大震災を挟んでますから、笠間城祉の現地は、映像通りではありません。 写真に . . . 本文を読む
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萬松山 泉岳寺~四十七士の墓参り~

2017年02月07日 | 歴史
萬松山 泉岳寺・四十七士の墓。 1/29(日)、介護福祉士筆記試験の帰りに、お線香をあげに寄りました。 場所はこの辺↓ 宿にしたアパホテル品川泉岳寺駅前が、すぐ近くだったので、目を付けていたのです。 笠間市民としては、これは外せない。 この山門をくぐると、泉岳寺が見えてきます。 高輪中学や高輪高校は、この門をくぐって行くんだね。 現代と歴史が交差する、何か不思議な感覚。 扁額。 右から左に読ん . . . 本文を読む
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清正公(覚林寺)

2017年02月05日 | 歴史
清正公(覚林寺)の山門。 1/28・1/29、介護福祉士筆記試験の際に、通り道にあったお寺。 場所はこの辺↓ こんなところにあります。 この交差点が、「清正公前」って書いてあったので、 「加藤清正公のことか?」 と思い、気になって寄ってみた次第。 「最正山 覚林寺」っていうのが正式名称なんだね。 港区の指定有形文化財になってるのか。 でも、やっぱり加藤清正と関係があるのか、どう関係があるの . . . 本文を読む
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笠間小学校「時習館コーナー」

2016年12月04日 | 歴史
笠間小学校の「時習館コーナー」。 笠間小学校の職員玄関を入ってすぐのところにあります。 向かって右手には、時習館関連の資料が。 ぜひ、実際に観てみて下さい。 特筆すべきはコレ。 吉田松陰は、時習館を訪れていた! また、門人の高杉晋作※は、時習館の講師だった加藤桜老(おうろう)の隠居所「十三山書楼」を二度、訪れている。 高杉は、桜老を、長州藩の藩校「明倫館」の教授に推挙した、と言われ、 桜老は明倫館 . . . 本文を読む
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第2回笠間歴史フォーラムでの「平成27年度 笠間城跡保存調査事業について」の報告

2016年11月17日 | 歴史
第2回笠間歴史フォーラム「時習館とその時代」の中で行われた報告 「平成27年度 笠間城跡保存調査事業について」 の様子。 笠間小学校の 体育館で、11月6日に行われました。 場所はこの辺↓ 「笠間城」を知らない方のために、基礎知識を。 ・笠間城跡は笠間市の北部に位置する ・佐白山にあり、笠間盆地を東側から見下ろす立地 ・山城。独立した丘陵の西の端の、複雑に入くんだ侵食谷・尾根を巧みに利用してい . . . 本文を読む
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ちょっと知りたい笠間の歴史~文化財公開・番外編~

2016年11月10日 | 歴史
この前の「かさま文化財公開」で配られた資料に、面白いのがあったので、アップしておこうかと。 「ちょっと知りたい笠間の歴史」。 一つは笠間時朝について。 今回公開された文化財のうち、三つの国指定重要文化財の発願者になっています。 もう一つは、六堂参り(ろくどうまいり)について。 今回公開された文化財も含む、笠間六体仏を巡る行事です。 以下、原文そのまま載せます。 (※印はKONASUKEによる) . . . 本文を読む
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館岸山・自然観察会~歴史篇~

2016年09月22日 | 歴史
館岸山のハイキングコースの案内板。 今回、反時計回りで回ったワケですが、城址だけを目指すのであれば、逆回りの方が距離的には近そうです。 ただし、傾斜が半端なくきついので、お薦めできません。 また、道に迷うことが考えられますので、慣れている人と、一緒に行くことをお薦めします。 館岸山の頂上から、少し下ると・・・ 土塁が見えてきます。 土塁に作られた、きつい階段を昇ると・・・ こんな看板が道々に立っ . . . 本文を読む
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牧野家墓地を訪ねて

2016年04月06日 | 歴史
牧野家墓地。 牧野家は、江戸時代に笠間藩を治めていた殿様の家系ですな。 牧野家の墓地がある「盛岸院(せいがんいん)」の入り口。 訪ねた時は、まだ梅が咲いていた。 場所はこの辺↓ 少し入ると、「牧野家墓地」の石碑。 盛岸院といえば、普通は「三すくみ地蔵」(子育延命地蔵菩薩)が有名だ。 「牧野家墓地」があるというのは、今回、初めて知った。 山門を入って 右手に二本の石の柱が建っている。 「牧野家墓地 . . . 本文を読む
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前田慶次の屋敷跡発見だって!

2015年11月03日 | 歴史
毎日新聞の前田慶次の屋敷跡発見のニュース! 前田慶次:屋敷跡発掘調査 「無苦庵間違いない」 う゛ぅ~む。 ワクワクするねぇ! 今日、説明会だったのか。 聴きたかったなぁ! しかし、防御施設あり、広さもありで、「無苦庵」のイメージからは、少し遠いようにも思うが。 まぁ、慶次のことだ。 最期まで武人としての心を忘れなかったのだろう。 逸話に関しては、後世に造られた部分もあるだろうしね。 何にしても . . . 本文を読む
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「筑波海軍航空隊ここにありき」の碑

2015年09月12日 | 歴史
「筑波海軍航空隊ここにありき」の碑。 場所はこの辺↓ 筑波海軍航空隊の司令部の建物は、現在の県立こころの医療センター(地図左上)の敷地内にあります。 その取り壊しが取りざたされる中、何とか残そうと、1993年、「筑波海軍航空隊友の会」が立あげられました。 中心になったのは、映画「筑波海軍航空隊」(本日公開!)の中でも証言をされていた、木名瀬信也さん(故人)。 しかし、周囲からは、「遅すぎた」との声 . . . 本文を読む
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