今日はB地点から。
このあたりは古地図とはまったく違う道路になってるのですが、B地点は古地図でも道路だった箇所です。しかし、地図の通り、D地点まで旧道路と現道路と道路が合致してません。明治末期の地図を見ると古地図とほとんど同じ道があるのですが、昭和初期の地図を見るとだいたい現代と同じ道になってます。この間に何があったのでしょうか? 真っ先に思い浮かぶ出来事は関東大震災。明治末期この場所は住宅街だったので、地震発生⇒焼野原となったのを機に、一気に区画整理したのかもしれませんね。
C地点
黒いクルマのリアあたりが旧中原街道があったと思われる個所。
D地点
この十字路から旧中原街道と現道路が合致します。
ちなみに、地図ではB⇒C⇒Dとカクカクと線を引いてますが、古地図ではものすごく大きな弧を描いてます。
E地点
F地点
E地点とF地点の間は古地図では大きくくの字に曲がってるのですが、今回は現在の直線道路を歩いてます。
なお、他のブログではFで左折してるのですが、私が所有する古地図では左折はできません。道がないからです。
ここからは古地図ではずーっと直線路。現在の道路もずーっと直線路です。
今日はここまで。また次回に。