競馬マニアの1人ケイバ談義

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真の相州仲原を探してみる2の2

2017年04月04日 | 我が町探訪


昨日最後で触れた中原御殿(現中原小学校)と谷川の関係ですが、昨日の高札型の看板をもう1度貼りましょう。

ここにはこう書いてあります。

(前略)谷川にかつて水門が儲けられ 上流の舟窪の池の余水と畑地の排水を貯水てして 中原御殿の空濠引水と代官陣屋・屋敷堀用水を供給したが(後略)

引水とは水を引き込むこと。この文章通りなら、かつて中原御殿の空濠の水は谷川の水を引き込んでたようです。実は明治19年の地図でも谷川はここを流れてました。中原御殿は江戸時代初期のものだから、看板の文字通りなら、谷川は江戸時代初期からここを流れてることになります。しかし、水が満たされた「空濠」てなんだったんでしょうねぇ。それとも、空濠に溜まってしまった雨水を谷川に流したと考えた方がいいのかな?

今日も谷川の暗渠を写真で遡りましょう。今日はG地点から。

ここからまた歩行者専用の道路となります。重量のあるクルマを暗渠の上に通すのは大変なようですね。

次はH地点です。

ここでクルマも通れる公道が横切ります。
さらに行くと

歩道の横に歩道が見えてきました。て、歩道の横に歩道があるはずがありません。今歩いてる歩道がかつて川だった証拠ですね。

I地点で再び公道を横切ります。


J地点のカーブ。


道は再び直線になり

また公道が見えてきました。K地点です。

ここで旧歩道が終わってます。

さらにL地点のカーブ。


そしてまた直線。

遠くにM地点が見えてきました。

今日はここまでにします。


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