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真の相州仲原を探してみる2の1

2017年04月03日 | 我が町探訪


葛飾北斎が描いた冨嶽三十六景相州仲原。いろんな書物ではその川は渋田川となってますが、実際渋田川に行ってみると、

見ての通り、川幅や川の深さから違う川じゃないかと疑問が浮かびました。そこで古地図を見ると、それにあたる小川が2本あったのです。その1つは先日話した下田川。もう1つが谷川(やがわ)。今回はこの谷川を巡ってみました。ちなみに、谷川も小桜川や下田川同様、現在大半が暗渠になってます。

まずはこの写真を貼りましょう。

この写真は谷川を辿ってたときに発見した高札型看板です。ここにはこう書いてあります。

幅平均3.6m、長さ2007m、深さ最大3m、浅いところで1.2m。

どうです。冒頭の錦絵も川幅3.6mくらいじゃありませんか? この川が冨嶽三十六景相州仲原で描かれた川なのかもしれませんね。

では、この川を写真で遡ってみましょう。まずは谷川の地図です。


谷川の始まりはここです。A地点。

この川も渋田川に放水してました。上に架かる橋ぽいものは、上水道のパイプのようです。


これはB地点の写真。ちょっと寄りますと、

階段&スロープの上にある道は、自然堤防の上に作られた道路です。

その道路からC地点の方を写しました。


今度はC地点からB地点の方を写してます。C地点から自動車通行可のようですね。

C地点からD地点の方を写してます。1990年の航空写真では、左側(北側)が道路、右側が川になってます。暗渠になったのはごく最近なのか、車道と歩道の段差がありませんね。一昔前だったら段差があるのですが。

今度はD地点。

暗渠はここで右(南)に直角に曲がってます。

曲がった先は歩道でした。暗渠の上は歩道が多いですね。暗渠のパイプの上にクルマは重すぎるのかな?


暗渠(歩道)はずーっと続いていて

ようやく曲がりが見えてきました。ここはE地点です。

さらに曲がると

ここはF地点。


さらに進むと、右手(南側)にこんなものが

これは中原小学校。つまり、元中原御殿です。実は中原御殿と谷川は関連性があるのです。

行数多くなったので、今日はここまで。


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