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真の相州仲原を探してみる1の3

2017年03月24日 | 我が町探訪

今回から地図が変わります。今日はK地点の写真から。

J地点の方向に向かってシャッターを切りました。目の前を横切ってる道は旧伊勢原街道です。このあたりは「旧」伊勢原街道と言っても、古い地図にはない道です。

続くL地点が今回2度目の重要地点。

M方向を見て撮影してます。実は目の前を横切ってる道も旧中原街道なのです。

これは旧中原街道に立って、南から北を撮影してます。横切ってる道が下田川の暗渠が埋まってる道です。この場所も家が立ち並んでしまって富士山は見えませんが、錦絵と見比べると、富士山との相対的な角度や川幅や川の深さはぴったしなはず。


明治19年の地図を見るとここより北は田んぼなのですが、さらにその北にはたくさんの家が建ち並んでました。ただ、もう少し東に行くと広大な田んぼだけとなります。錦絵は川の向こうは広大な田んぼ(または原野)です。こちらの方が真の相州仲原かもしれませんね。ちなみに、この地点の住所ですが、平塚市中原1丁目13です。
答えが出てしまいましたが、せっかくここまで来たんだから、下田川の源流まで遡ってみようと思います。

次は現伊勢原街道県道61号線、M地点です。


さらに進むと、突き当り、N地点です。

ここは県立平塚中等教育学校です。中等教育学校とは中学校と高校が一緒になった学校です。おまけに、隣には大原小学校があります。一種の学園都市ですね。下田川の暗渠ですが、昭和50年ごろの航空写真では、下田川はまだ暗渠になってません。が、昭和55年ごろの航空写真では、学校(当時は県立大原高校)の建設中で、この部分だけ下田川が消えてます。おそらくそのとき、その部分のみ暗渠になったんだと思います。

さすがに学校に入るわけにはいかないので、ちょっと次のO地点に廻り込んでみることにしました。するとこんなものが

湘南ベルマーレのホームサッカー場、Shonan BMW スタジアムの玄関です。昭和50年ごろの下田川がそのまま暗渠になってたとしたら、この付近を通過してるはずです。
隙間からサッカー場のグランドが見えました。

この中に暗渠が埋まってるはずです。

下田川が昔の位置で暗渠になってたとしたら、この駐車場に暗渠が埋まってます。ちなみに、この駐車場は普段使われることなく、ベルマーレの試合があるときのみ使われます。

その東隣りは普段から使われてる駐車場。突き当りの植栽がP地点です。


この裏側はパイロット通り。

突き当りのフェンスの向こうは第一三共ケミカルファーマの工場、Q地点です。思い切って手を伸ばしてフェンスの上から撮影しました。すると・・・

ありました、川が! ずーっと暗渠だった下田川がここでようやく姿を見せてくれました。

さらに裏に廻ると、

ここはR地点。ここも水路でした。が、振り返ると

ここからまた暗渠になります。
ここまで順調に下田川を遡ってきましたが、実はここで大いなる疑問が浮かんできました。実はR地点の水路なのですが、本来なら東から西へと流れるところを西から東へと逆に流れていたのです。傾斜も東へ流れるようになってました。

ここでQ地点に戻ってみましょう。この地点の地図をどアップにしてみます。

○で囲った部分、つまりパイロット通り際でこの水路、カクっと曲がってたのです。写真だとこれ。

もし昔の航空写真通り暗渠が埋まってるとしたら、こんな曲がりはないはずです。これはいったい?

次回に続けます。


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