競馬マニアの1人ケイバ談義

がんばれ、ドレッドノータス!

よっ、横綱!15

2017年03月11日 | よっ、横綱!
 大関銀奨関と平幕市松関が土俵に上がりました。今度はすべての観客が銀奨関を応援しています。当然です。市松関は稀代のヒール力士なんだから。
 テレビモニターを見ている富士ケ峰関がぽつりと言いました。
「銀奨はスイッチを入れ直すことができるかどうかだな?」
 そうです。銀奨関は13日目この横綱富士ケ峰関に負けてから3連敗。完全に気分が萎えてます。そこからスイッチを入れ直すとなると、かなりの気合が必要になると思います。
 でも、銀奨関には横綱という目標があります。今場所横綱昇進は見送られましたが、なんとしてもここで優勝して、次の場所の足固めにしないといけません。
 この2人の本割での取組ですが、立会市松関が右肘でかち上げにきたところを銀奨関が左手でその肘を真横にはたき、そのまま寄り切って銀奨関が完勝してました。
 土俵上、市松関は蹲踞のあと、いつもの通り銀奨関を睨みつけます。それに対して銀奨関は、さっと眼を切ってしまいました。
 いよいよ時間となりました。両者見合って、手をついて、発気揚々! 残った!
 市松関はかち上げの体勢。それに対し銀奨関は、やっぱり左手でそれを振り払う体勢です。けど、市松関のそれはフェイントでした。動き出した銀奨関の左手は止まることなく、空振り。これによって銀奨関の身体はがら空きになってしまいました。これでは勝負になりません。勝負はまたもやあっけなく決まってしまいました。
 いつもの銀奨関だったら、あの程度のフェイントなら十分対応できたはずです。やはり銀奨関のスイッチは入ってなかったようです。銀奨関勝利を期待してた場内は、一斉にため息となりました。

 優勝決定戦のトーナメント戦は、いよいよ決勝戦となりました。市松関対富士泉関戦、どっちが勝っても平幕優勝で初優勝です。とくに富士泉関は、今場所新入幕に近い帰り入幕です。これで優勝したら、かなりの珍事になります。でも、観客の全員が富士泉関を応援してます。
 今場所この2人の本割での対決ですが、市松関がかち上げにきたところを富士泉関が両手で受け止めました。が、両手ともはじき飛ばされてしまい、市松関に軍配が挙がってます。
 市松関との対戦は、かち上げをどう封じるかが鍵になります。富士泉関は両肘を腋につけ、両手で顔面をガードするというボクサースタイルを考えました。でもこれだと、廻しががら空きになってしまいます。市松関がかち上げの次に廻しを狙ってきたら、楽々取られてしまいます。さあ、どうする、富士泉関?
 富士泉関は塩を取って土俵に戻ろうとしたとき、ふと眼が電光掲示板に釘付けになりました。正確にはある力士の名前に釘付けになったのです。その名は明日川関。明日川関は昨日横綱富士ケ峰関の蹴手繰りに負けてます。もしや富士泉関は、市松関に蹴手繰りを仕掛ける気? 今日、本割で赤富士関が市松関に蹴手繰りを仕掛けていたから、今日はもうその手には引っかからないと思うけど・・・
 いや、これはもしかして・・・
 ここで医務室のベッドに腰かけている富士ケ峰関がぽつりと言いました。
「頑張れ、いずみ。お前にはわしがついてるぞ。いや、わしだけじゃないぞ。朝桜も誉もお前を応援してるぞ。だから勝てよ」
 そうです。富士ケ峰関は3日ばかしそうじゃなかった日もありましたが、それ以外の朝桜関、誉関、銀奨関、明日川関、佐々丸関、そして富士泉関も、みんな毎日毎日一生懸命相撲道に励んでました。もちろん市丸関も頑張ってると思います。それは認めないといけません。でも、市丸関の相撲は相手力士を平気で傷つけてます。それは観客から見たらとっても不愉快なのです。
 相撲ファンは爽快でフェアな相撲を見たいのです。土俵に上がる力士たちも、納得のいく相撲を取りたいはずです。市松関の相撲は、それとは真逆の相撲なのです!
 市松関は土俵上でよく対戦相手を睨みつけます。ほとんどの力士はそれを無視しますが、たまーに睨み返す力士がいます。今日の富士泉関も無視してましたが、ついに我慢ならずに睨み返してしまいました。5秒、10秒、15秒・・・ 2人の睨み合いに、観客もヒートアップです。
 富士泉関が塩を取りに行ったら、汗拭きタオルを渡されました。これは制限時間いっぱいを伝える合図です。
「よーし!」
 富士泉関はそう吼えると、土俵に向かいました。

 2人が同時に蹲踞の姿勢に入りました。腰を割るタイミングも同時。けど、先に土俵に片手を付けたのは市丸関でした。一方富士泉関はなかなか手をつけません。明日川関みたいにじらしてるのです。市丸関は焦ってきたのか、つっかけるように前のめりになりますが、富士泉関はそれでも動じません。
「手をついて! 手をついて!」
 行司も焦り始めました。と、富士泉関はついに動きました。両手を同時に土俵に付けたのです。立会です!
 市松関はやっぱりかち上げをやってきました。その瞬間その肘に富士泉関の額が激突。ぶちかましです。富士泉関は明日川関戦で見せたぶちかましをやったのです。
 市松関の右腕は胸に押し付けられ、さらに鋼鉄のような富士泉関の額が胸に飛び込んできました。
「うぐぁーっ!」
 市松関は悲鳴をあげ、後方に吹っ飛びました。そして土俵の角に尻もち。そのまま土俵の下に落ちていってしまいました。富士泉関の勝利、富士泉関の優勝です! 限りなく新入幕に近い帰り入幕の富士泉関が優勝してしまったのです。場内は興奮のるつぼになりました。
 土俵の下では市松関が左手で右肘を押さえてうなってます。どうやら右肘を骨折したようです。実は市松関は今場所明日川関と対戦していて、明日川関のぶちかましにかち上げで対抗して、失神させてました。それに対して富士泉関は、1歩踏み出してからのぶちかましです。これにかち上げをやったら、当然大けがになりますよ。

 富士泉関は勝ち名乗りを受けると、支度部屋に引き返し始めました。途中からたくさんの記者がアリのように集まって富士泉関にフラッシュを浴びせます。その中を正々堂々前進して行きます。
 富士泉関が支度部屋に戻ってきました。と、そこには横綱富士ケ峰関が待ってました。2人は握手・・・、と思いきや、なんと抱き合いました。ハグです。2人は身体を離し、
「いずみ、優勝おめでとう!」
「あ、ありがとうございます。ところで、横綱、病院に行かなくていいんですか?」
「あはは、お前の祝勝会をしなくちゃいけないのに、病院なんか行ってられるかよ」
 これはジョークなのかな? 富士泉関はちょっと笑い、そしてこんなことを言いました。
「自分、今の取組で親方にしかられることをしちゃいました」
「ん、何をやったんだ?」
「市松関をじらすために、わざと立会立たなかったんですよ。親方はいつも相手と呼吸を合わせろと言ってるじゃないですか」
「あは、それか。その程度の駆け引きで怒るようだったら、わしも考えがあるよ」
「え、何をするんですか?」
「わしが葵部屋をやめる」
「あは、それはだめですよ」
 2人は思いっきり笑いました。


よっ、横綱!14

2017年03月10日 | よっ、横綱!
 土俵の下ではすでに誉関が立ち上がってます。けど、横綱富士ケ峰関はまだ立ちあがってないようです。富士泉関はそれに気づき、慌てて横綱に駆けつけました。
「よ、横綱っ!」
 横綱はうつぶせに倒れたままです。どうやら失神してるようです。富士泉関は慌てて横綱の身体を半身抱き起しました。横綱はまだ意識がない状態です。
「横綱、しっかりしてください!」
 富士泉関は2・3度軽く横綱のほほを叩きました。すると横綱は眼を開けました。
「あ、ああ・・・ 勝負は、勝負はどうなった?」
「今協議中です」
「協議中?・・・」
「まだ勝負は確定してないのです!」
「ああ・・・」
 横綱の意識は、まだかなり飛んでるようです。
 土俵上では審判長がマイクを握りました。
「只今の協議についてご説明します! 行司軍配は誉関有利とみて上げましたが、同体ではないかと物言いがつき、協議の結果、同体とみて、取り直しとします!」
 うおーっ! 観客が一斉に声を挙げました。千秋楽の結びの一番をもう1度見られるなんて、今日の観客は幸せですねぇ。でも、横綱は土俵に立てるのかなあ?
 と思ったら、横綱は急に元気になって立ち上がりました。
「よし、も一丁か!」
 けど、その瞬間またふらっときました。
「うう・・・」
 横綱はしゃがみこんでしまいました。
「横綱!」
 富士泉関は横綱のその姿にかなり焦ってます。けど、横綱はまた立ち上がりました。
「いやいや、なんともないよ。
 わしはここで勝たんと優勝も準優勝もないだろ。わしはまだ横綱でいたいんだ。土俵に上がらんとなあ」
 ああ、やっぱり横綱は葵親方のあの一言を気にしてたんだ。
 けど、横綱はガッツがあるなあ。以前横綱は自分に大甘だと思ったことがあったけど、あれは取り消さないといけないかな。
 横綱はまた二字口から土俵に上がりました。でも、やっぱりふらふらしてます。見送る富士泉関が今できることは、祈ることだけです。

 土俵上では両関取の四股が始まりました。表向き横綱はふつーに四股を踏んでます。けど、呼吸はむちゃくちゃ苦しそう。荒い息が土俵下で観戦してる富士泉関の耳にも聞こえてきます。
 これはぼくの私見だけど、横綱はすでに限界で、立ってるだけでも苦しいような。まともに相撲が取れないような気がします。
 一方の誉関ですが、淡々と塩撒き、四股、蹲踞を繰り返していきます。1度も幕内優勝がない誉関です。今度こそ勝って、堂々優勝を決めたいと思ってるんじゃないかな。
 取り直しの一番はいよいよ時間となりました。両力士とも土俵に片手を付けました。
 両者見合って、見合って! 発気揚々! 残った!
 立会と同時に誉関両差し。そのまま寄って行いきます。一気に片を付ける気です。それに対し横綱は、両手とも上手が取れません。横綱ピンチ!
 が、土壇場で右手が廻しに触れました。廻しを掴むと同時に上手投げ。誉関の一気の寄りの勢いもあり、誉関と横綱の身体は絡み合ったまま、土俵の外に吹っ飛んで行ってしまいました。けど、これはどう見ても横綱の勝ちです。横綱、優勝同点。ノルマ達成です。
「うおーっ!」
 ずごい歓声。会場は興奮のるつぼと化しました。
 が、またもや異変が発生してました。横綱が砂かぶりで再び気を失ってるのです。

「う、うう・・・」
 横綱富士ケ峰関がベッドの上で目醒めました。周りにいた横綱の付き人がすぐに気づきました。
「先生!、横綱が、横綱が眼を醒ましました!」
 すぐに白衣の人、この人はドクターかな? が飛んできました。ここは医務室です。部屋にあるテレビモニターには、蹲踞してる富士泉関が映ってます。横綱はそれを見て、
「い、いずみ? いずみは何をやってるんだ?」
「優勝決定戦です」
「優勝決定戦? わ、わしは? わしは誉に負けたのか?」
「横綱は誉関に勝ちましたが・・・ 残念ですが、上の判断で棄権となりました」
「あは、そうか」
 横綱は悔しがるかと思いきや、なんか急に安心した顔になりました。横綱は誉関に勝ったことで安心しちゃったのかな? 横綱の今場所のノルマは優勝か準優勝でした。優勝同点となったのでそれはクリア。それで安心しちゃったのかも。
 横綱の付き人の1人が優勝決勝戦を横綱に説明しました。優勝決勝戦には大関銀奨関、大関誉関、平幕市松関、平幕富士泉関の4人が進出。前述の通り、横綱富士ケ峰関は棄権となりました。ちなみに、もう1人の横綱朝桜関も12勝1敗2休なのでこの決勝戦に出る資格はありますが、左足親指骨折のため、当然棄権です。
 優勝決定戦進出はトーナメントで行われることになりました。1回戦目は誉関対富士泉関戦と銀奨関対市松関戦に決定しています。今は誉関対富士泉関戦の取組の真っ最中です。
 突如医務室のドアが開き、救急隊員が入ってきました。そのリーダー格の人が横綱を見て、
「ケガをした人は、この人ですか?」
 と言いました。どうやら横綱を緊急搬送するようです。
「おいおい、待ってくれ、わしはこの優勝決勝戦をどうしても見たいんじゃ」
 緊急隊員はちょっと呆れたて顔を見せました。
「し、しかし・・・」
 付き人の1人も言いました。
「横綱、今すぐ病院に行った方がいいですよ」
「うるさい! わしはどうしてもこの取組が見たいんじゃ!」
 横綱は頑固です。これは動きそうにないですねぇ。仕方なく救急隊員は少しだけ待つことにしました。

 いよいよ優勝決定戦第1試合の制限時間となりました。ぼくはワープして土俵際に来ました。そして最後の塩を掴んだ富士泉関の目の前に立ちました。
「横綱、目を醒ましたよ。もう大丈夫みたい」
 富士泉関はそれを聞くと、ちょっと微笑みました。
「ありがと。でも、もうちょっと見守っててくれよ。心配なんだ」
「OK!」
 ぼくはもう1回ワープして、横綱がいる支度部屋に戻りました。横綱はベッドに腰かけ、テレビモニターに釘づけになってました。
 テレビモニターには土俵上の富士泉関と誉関が映ってます。ものすごい声援です。その声援ですが、8:2で富士泉関に分があるようです。でも、
「富士泉ーっ、そんな悪いやつ、ぶち殺しちまえよ!」
 という罵声も飛んでます。さっきの結びの一番を見て、誉関悪という図式を勝手に作っちゃったバカがいるんですよ。これはいただけませんねぇ。こんなやつ、絶対相撲ファンじゃないよ!
 いよいよ立会。2人とも腰を割りました。両者見合って、手を付いて、発気揚々! 残ったーっ!
 富士泉関、いきなり得意の右四つ。そのまま寄り切ってしまいました。なんと誉関はまったく抵抗しなかったのです。これは拍子抜けです。熱戦を期待してた観客からは、すさまじい罵声が飛んできました。
「ふざけんな、誉!」
「こんなところで八百長やんなよ!」
「誉、死んじまえ!」
 そんな中、勝負がついたというのに、誉関はなかなか身体を離しません。富士泉関はちょっと焦りました。
「あ、あの・・・」
「ありがと、君があの横綱の弟弟子でよかった」
 というと、誉関はようやく手を離してくれました。富士泉関の頭の中は?でいっぱいになってます。と、次の瞬間異変が。誉関の身体が崩れ落ちるように倒れてしまったのです。
「きゃーっ!」
 女性観客のだれかが悲鳴を上げました。場内大騒然です。ぼくがいた支度部屋も騒然となりました。富士ケ峰関はベッドに腰かけてテレビモニターを見てましたが、救急隊員のリーダーに振り返ると、
「おい、やつを先に搬送してやってくれ。わしはあと2番見たら、すぐに病院にいくから」
 救急隊員たちは顔を見合わせうなずくと、土俵に向かいました。
「やつの小さい身体じゃ、一日に3番は到底むりだったんだ。おまけに今日は千秋楽だ。疲れもピークだったんだろう。やつは棄権したわしよりうーんと立派だよ」
 と、横綱はぽつりと言いました。そんだったら最初から優勝決定戦を棄権すればよかったのに。でも、誉関も大関としてのプライドがあります。プライドというより、性(しょう)と業(ごう)かな。それが土俵に上がらせたのかもしれませんね。
 横綱はさらに言葉を続けました。
「誰かが言ってたな。やつにもしあと5センチと20キロあったなら、名横綱になってたと。ふふ、言い得て妙だ」
 一方土俵では、誉関の身体が付き人や呼出しさんに車いすに乗せられ運び出されてます。まだ気を失ったままです。それを見て富士泉関がちょっと青ざめました。これが幕内? これが大関? 大関になったら自分の生を賭けて土俵に上がらないといけないのか? じゃ、横綱は? 横綱は何を賭けないといけないんだ? 富士泉関は何か恐ろしいものを感じてしまいました。
 ちなみに、誉関の身体は通路の途中で救急隊員にタッチされました。

よっ、横綱!13

2017年03月09日 | よっ、横綱!
 今日は千秋楽なので、初日と同じような協会の挨拶があります。その後幕内土俵入り、横綱土俵入り、そして幕内取組開始です。
 昨日横綱富士ケ峰関に負けた明日川関は、今日は平幕月光関との対戦です。両者ともここまで7勝7敗。この一戦に勝ち越しを賭けます。相撲取りにとって8勝7敗と7勝8敗は、たった1勝の差なのに、天と地ほどの違いがあります。両力士ともここは絶対勝ちたいと思ってるはずです。
 いよいよ取組の時間となりました。両者見合って、手を付いて、手を付いて、手を付いて! 発気揚々! 残った!
 立会月光関は若干変化。昨日の富士ケ峰関のような蹴手繰りを仕掛けてきたのです。けど、明日川関にとって蹴手繰りは、昨日の今日です。同じ手には引っかかりません。さっと脚を上げて避けてしまいました。空振りした月光関が振り返ると、その胸に明日川関の頭が飛び込んできました。そのまま押し出し。2人の身体は絡まったまま、土俵の外にすっ飛んで行ってしまいました。晴れの勝ち越しは、明日川関の方でした。

 取組は進み、今度は市松関と赤富士関の取組です。赤富士関も7勝7敗。今日の一番に勝ち越しを賭けます。一方市松関はここを勝てば12勝3敗。12勝3敗なら優勝決定戦に進出する可能性があります。
 市松関は相撲ファンの大半に嫌われてるので、場内は赤富士関を応援する声ばかりになってます。
 いよいよ立会の時間となりました。見合って、手を付いて、発気揚々! 残った!
 なんと、赤富士関も蹴手繰り。ただ、富士ケ峰関や月光関はすれ違いざま蹴手繰りを仕掛けてましたが、赤富士関は一度立ち止まって、サッカーボールを蹴るような蹴手繰り。これはダメです。市松関は右方向に振り向いてのかち上げ。クリティカルヒットではありませんが、赤富士関の喉に肘がヒットしました。赤富士関はちょうど蹴手繰りをしてるとき、つまり片足立ちの状態だったので、バランスが崩れ、脆くも尻もちをついてしまいました。
 市松関勝利。これで12勝3敗。優勝戦線に生き残ってしまいました。市松関のアンチばかりの場内は、かなりがっくしです。
 支度部屋では富士ケ峰関と富士泉関が並んでモニターを見てました。まずは富士泉関の発言。
「市松関、勝っちゃいましたね」
「ああ。
 しかし、めったに見ることがない蹴手繰りを今日2度も見るなんて、わしの蹴手繰りは相当インパクトがあったんだなあ・・・」
「昨日の銀奨関の出し投げも、横綱のまねっぽかったすねぇ」
「ふふ、そうか」
 横綱はちょっと照れてるようです。

 いよいよ三役揃い踏みの時間となりました。富士ケ峰関と富士泉関は同時に土俵に上がりました。帰り入幕で、しかも幕尻に近い富士泉関が三役揃い踏みに上がるのは、異例中の異例だと思いますよ。
 3力士が同時に柏手を打って、四股を2回。そして逆の脚で四股を1回。これだけですが、千秋楽の大事な儀式です。
 三役揃い踏みが終わって、次は両小結の一戦。と言っても、両小結ともかなり負けがこんでます。それでも千秋楽らしい大一番になって、西の小結西都関が勝利。5勝10負で終了となりました。
 続いて大関銀奨関と平幕富士泉関が土俵に上がりました。昨日の銀奨関の敗北に、理事会はかなり荒れたようです。とりあえず横綱昇進の条件は、まず富士泉関に勝つ。その上で誉関が富士ケ峰関に勝った場合は、同点決勝で誉関に勝つ。万一富士泉関に負け、その上で同点決勝になった場合は、例え優勝したとしても、今場所の横綱昇進は見送られるそうです。
 一方富士泉関もここで負けるわけにはいきません。横綱朝桜関との約束があるからです。ま、横綱から見たら、あまりにもしつこく「許してください!」と言ってくるものだから、とりあえず繕った約束なんだけどね。
 銀奨関の四股ですが、今日はちゃんと脚が上がってました。さすがに今日は変な緊張感はないようです。
 懸賞旗は2巡しました。朝桜関が休場してるとはいえ、大関対平幕とは思えないくらいの懸賞旗です。両力士の人気の高さが推し量れます。実際の声援は半々てところかな?
 いよいよ時間となりました。この大一番、両力士はどんな相撲を見せてくれるのでしょうか? 
 両者見合って、見合って、手を付いて、発気揚々! 残った!
 立会定評のある富士泉関ですが、今日は銀奨関の方が一歩先に立ちました。で、両前みつを取りました。そのまま一気に寄って行きます。あっと言う間に土俵際に。富士泉関、ピンチ。と、富士泉関は両手で銀奨関の両手を振り払いました。正確に言えば、両手を真上から真下に裁断するように思いっきり振り下げ、前みつを掴む両手を切ったのです。
 次の瞬間、富士泉関は横にさっと身体を引きました。引き落としです。でも、さすがにそれには引っかかりません。銀奨関は振り返ると、富士泉関が右四つで組んできました。両者がっぷり四つに。がっぷり四つは内掛けがある富士泉関に有利です。富士泉関は銀奨関の身体を思いっきり引きつけ、内掛け。でも、銀奨関も負けるわけにはいきません。上手ひねりで最後の抵抗。富士泉関の身体が大きくぐらつきます。けど、ここは先に技を出した方の勝ちでした。富士泉関、勝利です。
「うぉーっ!」
 ものすごい歓声が上がりました。今日も座布団が飛びます。飛びまくりです。その中で富士泉関は分厚いご祝儀袋と弓矢の弦を手にしました。その顔は思いっきりの笑顔です。
 富士泉関勝利で横綱富士ケ峰関優勝か準優勝の可能性が出てきました。葵親方が今場所富士ケ峰関に課した条件、優勝か準優勝が現実になってきたのです。
 一方負けた銀奨関はとぼとぼと土俵を降りました。12日目横綱朝桜関が故障したときは、横綱昇進間違いなしと言われたのに、そこから3連敗。横綱昇進はあえなくついえてしまいました。相撲はほんとうに恐ろしいですね。

 千秋楽結びの一番は、横綱富士ケ峰関対大関誉関戦。もし誉関が勝てば初優勝です。逆に富士ケ峰関が勝てば、5人が12勝3敗で並ぶことになります。とてつもなく大事な一戦となりました。
 誉関は10日目まで勝ち星を並べましたが、11日目と12日目は格下に敗北。13日目は横綱朝桜関に不戦勝。14日目の銀奨関戦は、銀奨関が変に緊張してて、勝ち星を拾うことができました。誉関は11日目以降は明らかに調子が落ちてます。小兵のせいでスタミナが切れてしまったのかもしれませんね。
 それに対し横綱は、今日は大好きな競馬を控えてます。今日は明らかに横綱に分があります。しかし、競馬やってないから横綱有利って、何か変ですよねぇ。
 ただ、1つ富士ケ峰関には嫌なデータがあります。実は富士ケ峰関は、横綱になってから1度も千秋楽で勝ったことがないのです。信じられないデータですが、ほんとうなんですよ。ま、11回中10回までは横綱朝桜関だったから、仕方がないと言えば仕方がないことなのですが。
 懸賞旗が廻ります。富士ケ峰関も誉関もいまいち人気がないとは言え、やっぱり千秋楽結びの一番です。20本くらい廻りました。
 今日横綱に力水をつけた力士は富士泉関でした。富士泉関は「頑張ってください」と眼で合図を送りました。それに対し横綱は、微笑みで返事をしました。なお、富士泉関は勝ち残りで、最前列の特等席でこの大一番を見物します。
 いよいよ時間となりました。先に誉関が腰を割りました。続いて富士ケ峰関が腰を割ります。両力士とも片手を土俵に付けました。見合って、見合って! 発気揚々! 残った!
 誉関は胸にぶちかまし。右手を差します。それに対し横綱は、左上手を掴みます。誉関は半身で横綱の胸に頭を付けました。ここから膠着状態。10秒、20秒、30秒。じりじりと時間が過ぎていきます。
 しびれを切らした横綱がついに動きました。左上手投げ。上手投げで相手の体勢を崩して、右手で廻しを掴む作戦のようです。が、誉関は上手投げを下手投げで返してきました。両者とも体勢が崩れます。先に相手の下手を取ったのは誉関でした。誉関は両差しとなり、そのまま寄って行きます。そうはさせじと、土俵際で横綱が右上手投げ。負けじと誉関は左下手投げを打ってきました。
 投げを打ちあったまま、2人の身体が完全に停止しました。その先は奈落の底のような土俵の外です。
「うおーっ!」
「ぐわーっ!」
 2人の意地の張り合い。ただ、下手投げと上手投げを比べたら、上手投げの方が有利。おまけに、両力士とも右利きです。つまり、今は右上手投げを打ってる横綱の方に分があるのです。が、誉関はここで一か八か左脚をぴょーんと上げ、横綱の右脚を大きく跳ね上げました。これをきっかけに2人の身体が同時に崩れ始めました。
 横綱の身体が若干先になったまま、2人の身体が土俵下に落ちていきます。土俵の下の床に横綱の顔が近づいてきました。が、横綱は受け身をとりません。横綱は最後の最後まで落ちる時間を稼ぐ気のようです。けど、このままでは顔面から落ちてしまいます。どうする、横綱?
 ぐしゃーっ! ついに横綱は顔面から鈍い音を立てて落ちました。それとほぼ同じタイミングで、脳天から落ちてきた誉関が右手を床に付けました。
 行司の軍配は?・・・ 行司の軍配は誉関の方に上がりました。誉関優勝? いや、すぐに手が挙がりました。手が挙がるとは、物言いがつくという意味です。今回は計3本の手が挙がりました。2本の手は審判役の親方の手でしたが、もう1本の手はなんと富士泉関の手でした。富士泉関は自信を持って手を挙げたのです。それを見て観客はみんなびっくりしました。ルール上控えの力士が物言いをつけてもいいのですが、そんなことはめったにありません。20年に1回あるかないかの珍事です。それを帰り入幕の富士泉関が千秋楽の結びの一番でやったのです。これはある意味、事件ですよ。
 親方衆が土俵に上がりました。これから協議です。ちなみに、この協議に富士泉関は参加できません。

よっ、横綱!12

2017年03月07日 | よっ、横綱!
 いよいよ時間となりました。2人とも見合って、手を付いて、発気揚々! 残った!
 誉関は右手でさっと銀奨関の下手を取りました。左手ははず押し。身体は低くくして、頭は銀奨関の喉のあたりに。銀奨関は左手で上手を掴み、右手は誉関の左肘を掴んでますが、身体がかなり立ってます。ここまでは誉関ペース。
 ここで銀奨関が体を大きく開いて、上手出し投げ。昨日の富士ケ峰関の下手出し投げをヒントにしたのかな? でも、銀奨関の投げは不十分だったのか、誉関は身体をさっと左1回転させ、難を逃れます。この瞬間誉関の身体は銀奨関の左手側にありました。誉関は勝機とそのまま銀奨関の身体を抱きかかえました。この体勢では銀奨関はどうすることもできません。銀奨関の身体はあっけなく土俵を割ってしまいました。誉関の勝利です!
 うおーっ! すごい歓声が上がりました。座布団が飛びます。飛んできます。「危ないですから、座布団を投げないでください!」と場内アナウンスが連呼してますが、そんなの関係なく座布団が飛んできます。
 支度部屋では富士泉関は小さくガッツポーズ。
「よっしーっ!」
 土俵の下では富士ケ峰関がニヤッとしました。
 これで銀奨関は12勝2敗。誉関も12勝2敗となりました。富士泉関は11勝3敗。実はもう1人11勝3敗の力士がいます。市松関です。これから土俵に上がる富士ケ峰関が勝てば、11勝3敗は都合3人になってしまいます。

 そしてその富士ケ峰関が土俵に上がりました。今日の相手は突貫小僧明日川関です。明日川関はここまで7勝6敗。ともかく頭で突っ込んでいく、典型的なぶちかまし相撲を得意としてます。今日も頭から突っ込んで行くと思います。
 この2人、これまでの対戦を見てみると、5勝3敗と明日川関の方に分がありました。最近では3場所前に対戦があって、そのときは横綱が両手でぶちかましを止めようとしたのですが、両手ともはじかれ、一気に押し出されてます。横綱は今日はどんな手を使うのでしょうか?
 富士ケ峰関悪という図式がまだ残ってるのか、観客の半分以上は明日川関を応援してます。
 いよいよ時間となりました。富士ケ峰関が片手を土俵に付けます。が、明日川関はなかなか手を付きません。富士泉関戦のときのようにじらしているのです。これも明日川関の戦法です。今場所も何度もやってました。と、いきなり両手を土俵に付けました。立会です。
 明日川関はやっぱり頭から行きました。それに対し富士ケ峰関は、ちょっと左の方に飛びました。時計で言えば、11時の方向です。
 2人の身体がすれ違いました。と、その瞬間明日川関の身体かぴょーんと飛んだのです。そして土俵にずさーっと落ちました。いったい何があった?
 リプレイが始まりました。立会2人の身体がすれ違います。このとき横綱の右足が明日川関の左足首に蹴りを入れたのです。蹴手繰りです。蹴手繰りを喰らって明日川関の身体が飛んでしまったのです。
 蹴手繰りは注文相撲です。横綱が注文相撲とは卑怯な! と、場内は罵声だらけになっちゃいました。
 そんな中、横綱が微笑みながら倒れている明日川関に右手を差し出しました。明日川関も微笑みながらその手を握り、立ち上がりました。で、その場で横綱に挨拶したのです。
 この行為に場内はびっくりです。明日川関は徳俵のところでもう1度横綱に挨拶しました。この行為はルール上の挨拶なのですが、かなり深々と挨拶してました。
 ぼくはちょっと気になって、明日川関の支度部屋に行ってみました。明日川関と相撲記者の会話によると、明日川関はいつも心の片隅に注文相撲を想定していて、相手が立会突き落としやはたき込みをやってきても、十分対処できるようにしてるんだそうです。でも、蹴手繰りはまったく想定してなかったみたい。
「さすが横綱だよ。自分が気づかないことを平気でやってくる」
 と会話を結んでました。明日川関に恨みつらみはまったくありませんでした。納得の敗北だったようです。
 さてさて、もう1度星勘定しましょう。銀奨関と誉関が12勝2敗、富士ケ峰関と富士泉関と市松関が11勝3敗となりました。このうち明日千秋楽に銀奨関と富士泉関、そして富士ケ峰関と誉関がぶつかります。もし富士泉関と富士ケ峰関が勝ったら、4人が12勝3敗となるのです。さらに市松関が勝ったら、5人が12勝3敗。う~ん、優勝同点が5人になったら、決勝戦はどうなるんだろう?
 ちなみに、横綱朝桜関も今のところ12勝1敗1休なのですが、たぶん出てくることはないと思います。

 翌日葵部屋の玄関の前に、いつものショーファードリムジンが停まり、そして玄関から富士ケ峰関と富士泉関が出てきました。
「頑張れ、富士泉~!」
「優勝しろよーっ!」
 周りにはたくさんのファンが集まっていて、声援を送ってます。あまりのファンの数に警察の人が交通整理にあたってます。すごい人気です。5日前は芸能レポーターだらけだったのに。でも、明らかに富士泉関の方に声援は集中してました。
 まず富士ケ峰関がリムジンの後部座席に乗り込みました。続いて富士泉関が乗り込みます。乗り込む瞬間富士泉関はファンに手を振りました。その瞬間、
「きゃーっ!」
 すごい黄色い声です。これじゃまるでアイドルです。リムジンが走り始めました。
 その車中、富士ケ峰関と富士泉関との会話が始まってました。まずは横綱から。
「おまえ、すごい人気だなあ」
「あはは、自分でもこんなに人気になってるとは、思ってもみなかったですよ」
「わしも頑張らないといけないな。今日誉に勝たないと、準優勝もなくなっちまうし」
 と、ここで富士泉関はずーっと疑問になってたことを横綱にぶつけてみることにしました。
「横綱、この前の話ですが、うちの親方は3場所前から横綱の成績が悪かったらクビにすると、本当に言ってたんですか?」
「ああ、あれか・・・ あれはウソだよ。あれを初めて聞いたのは、今場所直前だ」
 ああ、やっぱし。
「どうせたちの悪い脅かしだろうと思ってほっとくつもりだったが、どうも心の奥に引っかかっていたなあ・・・ お前のお蔭でなんとか優勝が見えてきたな。感謝するよ」
「い、いえ、自分は何もしてないっす」
「どうだ。わしもお前も今日は一緒に勝って、優勝同点ていうのは?」
「あは、一昨日もそんなこと言ってましたよねぇ。そんなことになったら自分と横綱で優勝決定戦ですよ。いいんですか?」
「あははは、構わないさ。わしもお前の内掛けを破る手を考えておいたんだ」
「へ~、どんな技なんでしょう? 見てみたいですねぇ」
 しかし、まあ、1週間前はあんなに反目し合ってたのに、ここまで仲が回復しちゃうなんて。あれは仲のいい夫婦がたま~に見せる夫婦げんかみたいなものだったのかな?
 ところで、横綱が大好きな競馬ですが、昨日横綱の部屋を見に行ったら、昨日はいっさい予想はしてませんでした。それだけ横綱は今日の一戦に賭けてるみたいです。ま、昨日の馬券の結果だけはチェックしてましたけどね。

 富士ケ峰関と富士泉関が会場に着きました。なんとそこには吉報が待ってました。富士泉関は敢闘賞と技能賞が決まっていたのです。これはすごいことですよ。富士泉関は限りなく新入幕に近い帰り入幕なのに、三賞の内、2つも受賞したんですから。
「すごいなあ、いずみ」
 横綱富士ケ峰関が祝福の言葉を言ってくれました。
「い、いや~、まぐれですよ」
「わしは殊勲賞と敢闘賞はもらったことはあるが、技能賞はなかったなあ。あれはみんな欲しがる賞なんだ。内掛けと13日目の三所攻めが認められたんだろうな」
 いやいや、それだけじゃないと思うよ。富士泉関は立会抜群なものがありました。あの立会なら立派な技能賞ですよ。
 ちなみに、殊勲賞は横綱富士ケ峰関に勝った佐々丸関と市松関が受賞しました。殊勲賞は基本横綱に勝った力士に与えられる賞です。佐々丸関は満場一致だったみたいだけど、市松関は異論続出だったみたい。まあ、あの危険なかち上げを連発されちゃうとねぇ・・・ 結局記者クラブとしては、横綱富士ケ峰関に勝ったという事実だけを尊重したみたい。

よっ、横綱!11

2017年03月06日 | よっ、横綱!
 富士泉関が風呂から帰ってきました。そのとき支度部屋は騒然としてました。みんな、テレビモニターに釘付けになってるのです。テレビの中では力士が土俵上に倒れていて、たくさんの呼び出しさんが取り巻いてました。そこからちょっと離れたところでは、市松関が仁王立ちになってます。富士泉関がぼくにそっと話しかけてきました。
「何があったんだ?」
「また市松関がかち上げをやったんだよ」
「ええ?」
 これは場所後の親方衆の会議が荒れそうですねぇ。ちなみに、今土俵に這いつくばってる力士は湊翔。明日富士泉関と対戦予定になってる力士です。もしかしたら明日富士泉関は、不戦勝になるかも?

 今日は13日目。奇数日なので結びの一番は朝桜関の番ですが、朝桜関は休場となったので、今日も富士ケ峰関が結びの一番に立ちます。
 その前に大関誉関が不戦勝になり、勝ち名乗りを挙げました。誉関は昨日あまりにも不甲斐ない相撲で負けたせいか、不戦勝に喜びを隠しきれない状況です。しかも相手は、絶対難攻不落な横綱朝桜関です。喜びもひとしおだと思います。大関はこれで11勝2敗。単独2位キープです。
 一方横綱朝桜関は不戦敗とはいえ、負けは負けです。もし今日勝てば50連勝の大台に乗ったのですが、それはふいになってしまいました。ま、朝桜関は大横綱です。また50連勝のチャンスは廻って来ると思いますよ。
 そしていよいよ横綱富士ケ峰関と大関銀奨関の取組となりました。横綱は銀奨関に1度も勝ったことがありません。はたして横綱富士ケ峰関は、どんな相撲を見せてくれるのでしょうか? 場内のほとんどの人が、いや、日本全国の相撲ファンは、ここは銀奨関が勝つと思ってます。横綱富士ケ峰関が勝つと思ってるのは、富士泉関だけかもしれませんね。
 両力士が土俵に上がりました。塩を撒き、四股。そして蹲踞の姿勢。両者両手を付き、にらみ合います。そしてまた塩を取りに行き、四股。と、このときぼくはあることに気づいちゃいました。
 銀奨関はとっても身体が柔らかくって、四股のときめちゃくちゃ脚が上がります。でも、今日の銀奨関の脚はあまり上がってないのです。これはなんかの前触れかも?
 いよいよ取組の時間となりました。両者見合って、手を付いて、発気揚々! 残った!
 横綱、抜群の立会。さっと左手を差して、右手ははず押し。一方銀奨関は、両手とも廻しを掴むことができません。と、横綱が大きく身体を開きました。下手出し投げ。銀奨関は脆くも片手を土俵に付けてしまいました。
 場内は一瞬静かになりましたが、次の瞬間大きな歓声に変わりました。横綱富士ケ峰関が大関銀奨関に勝ったのです。横綱が大関に勝って当然だろうと思われるかもしれませんが、本当にこの横綱は銀奨関に勝ったことがなかったのです。
 出し投げは横綱富士ケ峰関がここ一番てときに出す技です。これが出るということは、横綱は絶好調の証。今日の横綱の勝利は奇跡ではなく、当然のことだったのかもしれませんね。
 一方、銀奨関は今場所初黒星となりました。横綱朝桜関以外の力士に負けたのは、3場所ぶりです。
「やったーっ!」
 支度部屋では富士泉関は大きく喜びました。ぼくはそれに応えました。
「うん、準優勝第1関門突破だね」
 いやいや、第1関門どころか、残り3日間ではもっとも高い壁だったんじゃないかな?
 横綱富士ケ峰関が支度部屋でインタビューを受けてるとき、ぼくは大関銀奨関のインタビューを見に行きました。専用の座布団に座ってる銀奨関は、ちょっとはにかんでます。側頭部をポリポリ掻いてました。
 なんでも横綱朝桜関の休場が決まってから、変に緊張してたようです。緊張と言うより、のぼせ上がってたと言った方がいいかな? それで今日は力を半分も発揮できなかったようです。でも、今日の惨敗で吹っ切れたみたい。明日は必ず勝つと言ってました。
 ちなみに、明日銀奨関は大関誉関戦となります。本来なら千秋楽の取組なのですが、横綱朝桜関が休場になったので、14日目となりました。
 この取組、銀奨関4勝、誉関3勝。ここ3場所は銀奨関が3連勝してます。明日銀奨関が勝てば、銀奨関の優勝が決まります。だけど、万一銀奨関が負けたら・・・ う~ん、ありえないかな?

 富士ケ峰関と富士泉関は帰りも同伴です。う~ん、やっぱり同伴て言葉は変かなあ。
 ショーファードリムジンの中では、2人の会話がはずんでました。
「いやー、横綱の下手出し投げ、見事でしたよ」
「あはは、そうか。お前の三所攻めも凄かったぞ。三所攻めはビデオで見たことはあったが、実際見たのは初めてだよ」
「あれは偶然ですよ、偶然」
「明日は銀奨と誉か。誉が勝つとおもしろくなるなあ」
「どうでしょうねぇ」
「銀奨が負ければ、2人とも2敗になる。千秋楽はたぶんわしと誉だろう。そこでわしが勝てば、3敗で並ぶな」
「銀奨関も連敗すれば3敗になりますねぇ。でも、千秋楽の銀奨関の相手は誰になるんでしょうか?」
「いずみ、案外お前かもしれないぞ」
「ええ?」
「考えてみろよ。明日いずみと対戦する湊翔は休場確実。おまえは不戦勝だろ。となると、11勝3負になるな。平幕でこんなに勝ち星を稼いでる関取は、あとは市松くらいだろ。市松はもう銀奨と対戦してるから、残るのはいずみ、お前だけなんだよ」
「で、でも、おれ、幕尻に近いんですよ」
「もう朝桜関と当たってんだろ。別に不思議じゃないさ」
 富士泉関の顔色がちょっと変わりました。
 富士ケ峰関は言葉を続けました。
「しかし、そうなると、わしもお前も12勝3敗で並ぶ可能性があるな。優勝決定戦でお前と対戦かな?」
「あは、なんか不思議な気分ですね」
 あれれ? いつの間にか横綱の目標は準優勝から優勝に移ったような? でも、今の横綱の発言はすべて絵に描いた餅てす。実際そうなる可能性は5%もないと思うけど。
 ところで、富士泉関は何か1つ大事なことを忘れてるようです。実は明日は土曜日、そう、JRAの競馬がある日なのです。
 横綱は今場所初日・7日目・8日目に負けてます。すべてJRAの競馬があった日です。横綱はJRAのレースがある前日は、かなりの時間を割いて予想するのです。これでは相撲に実が入りません。今日も長時間予想するのかなあ?
 そこで2人が別れたあと、こっそりと横綱の部屋を覗き見に行っちゃいました。すると、やっぱり横綱は競馬新聞を片手に予想してました。ああ、これじゃまた、富士泉関が怒るなあ・・・
 でも、横綱はメインレースだけを予想すると、すぐにスマホを取り出して、ピッピッピッとやって、就寝しちゃいました。うん、これなら大丈夫かも。

 翌日湊翔関の休場が正式に発表されました。これで富士泉関は不戦勝確定。でも、勝ち名乗りを挙げないといけないので、やっぱり出勤です。今日も横綱富士ケ峰関のショーファードリムジンに乗り込みました。
 富士泉関が土俵に上がり、不戦勝の勝ち名乗りを挙げました。不戦勝なのに、富士泉関にはたくさん声援が飛んでました。もしかしたら今大相撲で一番人気がある力士は、富士泉関かも。
 それから約50分後、銀奨関と誉関の両大関が土俵に上がりました。本当なら今日の銀奨関の相手は横綱朝桜関、誉関の相手は横綱富士ケ峰関なのですが、昨日から朝桜関が休場となったので、今日2人が対戦することになりました。
 ちなみに、千秋楽の取組ですが、大関誉関は横綱富士ケ峰関と、大関銀奨関はなんと、富士泉関との対戦になりました。限りなく新入幕に近い帰り入幕の富士泉関が、これより三役に出てくるんですよ。すごいですよ、これは!  しかし、富士ケ峰関はすごいですねぇ。予想どんぴしゃりでしたよ。
 テレビ画面に銀奨関が映し出されました。銀奨関は今場所ここまで12勝1敗です。実は銀奨関は先場所も先々場所も14勝1敗でした。2敗とも横綱朝桜関です。もう横綱に推挙されててもいいような気がしますが、1度も優勝経験がないのがネック。今日誉関に勝てば今場所の優勝が決定し、横綱昇進が確実になります。ここは絶対に落とせない1戦ですね。
 一方誉関ですが、大関になって今年が6年目。大関になったものの、身長172cm、体重110kgと小兵なのがネックで、6年の間にカド番が4回もありました。なお、優勝経験はありません。
 今場所は久しぶりに絶好調で、10日目まで全勝。けど、11日目に巨漢佐々丸関に負け、次の日もあっけなく敗北。昨日は横綱朝桜関戦に不戦勝となり、現在11勝2敗です。ちょっと引いて考えると、2連敗の後に不戦勝と、この3日間誉関は土俵上では勝ってません。それに加え、これまでの2人の対戦成績を考えると、ここは銀奨関絶対有利です。
 でも、ぼくは見ちゃいました。今日も銀奨関の四股の脚はあまり上がってないのです。銀奨関は緊張で今日もコッチコチみたい。これはひょっとしてひょっとするかも。
 土俵の下では富士ケ峰関が、支度部屋では富士泉関が勝負の行方を見守ってます。冷静になって考えたら、ここで銀奨関が勝てば誉関は3敗となり、横綱富士ケ峰関と並びます。つまり横綱の準優勝が現実的になるのです。でも、昨日のリムジンの中の会話を思い出すと、富士ケ峰関の目標は、あくまでも優勝なんだよなあ。

よっ、横綱!10

2017年03月05日 | よっ、横綱!
 病院から富士泉関が出てきました。さっそくテレビのレポーターたちが殺到します。
「あっ、今富士泉関が出てきました!」
「富士泉関、朝桜関はどんな様子ですか?」
「富士ケ峰関とは仲直りするのですか?」
 が、葵部屋の取的衆が富士泉関を包囲してます。
「よーし、みんな、富士泉関を守るぞ!」
「おーっ!」
 取的衆はスクラムのように富士泉関を包囲しながら進行です。力士たちのぶ厚い壁にレポーターたちはマイクを向けることもできません。富士泉関はそのまま葵部屋の8人乗りのクルマに乗り込み、行ってしまいました。

 8人乗りのクルマが葵部屋に到着しました。尾行してきたクルマから2~3人のレポーターとカメラクルーが降りてきましたが、富士泉関に同乗していた4人の取的のスクラムに近づくことさえできません。富士泉関は建物の中に入ってしまいました。
「失礼します」
 富士泉関が襖を開けました。そこは4日前富士泉関と葵親方が会談した和室です。今日は前回と同じように葵親方と、その横に横綱富士ケ峰関が座布団に座ってました。親方はちゃんと正座してますが、横綱は正座が苦しいのか、脚を大きく伸ばしてました。4日前は富士泉関用の座布団はありませんでしたが、今日はありました。
「失礼します」
 と頭を下げると、富士泉関はその座布団に正座で座りました。まずは富士ケ峰関を見て、
「横綱、付き人を貸していただき、ありがとうございました」
「いいってことよ」
 親方は横目で横綱に合図を送りました。
「おい、いずみに何か言うことあるんだろ」
「あ、はい」
 横綱は富士泉関の眼を見ました。
「いずみ、明日からまた露払いをしてくれないか」
 その発言に富士泉関はびっくりです。
「い、いいんですか?」
「やっぱ同じ部屋の力士じゃないと、力が入らんのじゃ」
「あ、ありがとうございます!」
 富士泉関はまた頭を下げました。こうして2人の仲が回復しました。

 翌日横綱富士ケ峰関と富士泉関は同じショーファードリムジンに乗り込みました。今日から同伴出勤再開です。
 車中、富士泉関は1つの疑問を富士ケ峰関に投げかけてみました。
「横綱、場所前に親方は、この場所で優勝か準優勝しないと引退させると言ったみたいですが?」
「なんだ、お前もテレビ局のレポーターみたいなこと言うんだな」
「あは、す、すみません」
「あれは親方の口癖だよ。3場所も前から言ってるんだよ」
 ええ、そうなの? あの親方も結構いい加減だなあ。富士泉関もちょっとあんぐりとしてます。横綱はさらに言葉を続けました。
「でも、今場所本当に準優勝できそうになってきたな」
 そうなんです。故障した横綱朝桜関を除くと、今のところ全勝は大関銀奨関だけ。1敗はいなく、2敗に大関誉関。横綱はそれに次ぐ9勝3敗なのです。誉関とは明日か明後日の千秋楽で当たるはずです。つまり横綱が誉関に勝てば、3敗で並んで準優勝となるのです。
 ただ、問題は今日対戦する銀奨関。さっきも言った通り、銀奨関はここまで全勝中。おまけに、横綱富士ケ峰関は銀奨関に一度も勝ったことがないのです。実際のところ、富士ケ峰関の準優勝は難しいと思う・・・

 リムジンが会場の南門に到着しました。富士泉関がリムジンから降りると、うぉーっと歓声が上がりました。昨日の横綱朝桜関のことがあって少しは罵声が混じるのかと思いきや、余計に人気が上がってました。
 が、続いて横綱富士ケ峰関が降りると、みんなびっくりです。富士泉関善、富士ケ峰関悪という図式を作ってたファンは、2人が同じクルマに乗ってて、かなり驚いたみたい。
 でも、横綱富士ケ峰関も策士ですねぇ。こうやって2人が仲良くなったところをみんなに見せつけて、悪化した自分のイメージを回復させるなんて。本当なら横綱なんだから、地下駐車場に入れるのに。
 2人は花道の中を胸を張って行進しました。

 富士泉関にとって5日ぶりの露払い。立派な横綱と化粧廻しを装備した富士ケ峰関が、前にいる富士泉関に声をかけました。
「行くぞ!」
 後ろ向きだった富士泉関が、顔だけ振り返りました。
「はい!」
 いよいよ横綱土俵入りです。
 横綱富士ケ峰関が入場してきました。昨日まではどこか沈んだ、たま~に罵声が飛んでいた土俵入りでしたが、今日はすべての観客が驚いてます。富士泉関が先導してるからです。ワンテンポ置いて歓声が起こりました。今日は明るい土俵入りとなりました。
 二字口から横綱と、露払い役の富士桜関と太刀持ち役の力士が土俵に上がりました。いよいよ雲竜型土俵入りの開始です。柏手、四股、せりあがって、また四股。
「よいっしょーっ!」
 その瞬間、観客から掛け声が飛びました。昨日まではないに等しかった掛け声が、今日は再び大きくなってました。こうして横綱土俵入りが終了しました。

 富士泉関はここ4日間上位の力士と対戦してきましたが、今日は中頃の力士との対戦です。佐々丸関。7日目富士ケ峰関に勝って金星を挙げた力士です。佐々丸関は6日目までは2勝4敗でしたが、7日目横綱に勝つと勢いに乗り、それから6連勝。一気に勝ち越しを決めてました。11日目には大関誉関の11連勝を阻止してます。
 身長2m10cm、体重220kgと、現役最巨人最巨漢力士。横からの攻撃には弱いんですが、7日目からは横からの攻撃に徹底的に備えてました。
 いよいよ富士泉関と佐々丸関の取組です。間近で見る佐々丸関はあまりにも巨大で、身長176cmの富士泉関はちょっとびびってます。でも、こんなところでおじけづいてるわけにはいきません。
 時間です。富士泉関は腰を割りました。ちょっと遅れて佐々丸関も腰を割りました。両者片手を付いて、もう片方の手も付いて、発気揚々! 残った!
 今場所立会に定評のある富士泉関は、いつもより低い体勢で佐々丸関の懐に飛び込みました。そして両手とも浅く差し、右脚で内掛け。佐々丸関の左アキレス腱に富士泉関の踵が絡みつきました。が、動かないのです。佐々丸関の身体は大きすぎて、まったく動かないのです。富士泉関は焦りました。なんて重い身体なんだ・・・
 富士泉関は頭と左肩を使って佐々丸関の胸を押しますが、やっぱりぜんぜん動きません。一方佐々丸関もあえて動かないようにしてます。この体勢でヘタに動いたら、相手の思う壺になってしまいます。ここは富士泉関の攻め疲れを待つ戦法です。
 5秒、10秒、15秒。両者まったく動きません。さすがに富士泉関は攻め疲れてきました。でも、こんなところで負けるわけにはいけません。富士泉関の脳裏には、昨日の横綱朝桜関の言葉が響いてました。
「お前、残りの3日間全部勝て。そうすれば許してやるよ」
「うおーっ!」
 富士泉関は咆哮を挙げて最後の力を振り絞りました。と、佐々丸関の太ももが眼に入りました。富士泉関は藁にもすがる思いで、左手でその太ももを掬い上げました。すると佐々丸関の身体が動いたのです。ゆっくりとゆっくりと佐々丸関の身体が倒れ始めました。そしてでーんと尻もちをついたのです。富士泉関の勝利です。場内は大きな歓声が湧きました。
 決まり手の発表がありました。なんと三所攻め。これは超珍しい決まり手でした。
 汗だくで富士泉関が通路を歩いてきました。ぼくはさっそく声をかけてみました。
「おめでとう、富士泉関!」
「いや~、今日は疲れたよ。今場所一番汗をかいたんじゃないかな」
「うん、じゃ、お風呂かな?」
「あは、そうだな」
 富士泉関はそのままお風呂の方に行ってしまいました。

よっ、横綱!9

2017年03月03日 | よっ、横綱!
 救急車が走り出しました。たくさんの人々がその救急車を見送ってます。その中には富士泉関の姿もありました。富士泉関は悔いています。別に富士泉関のせいじゃないと思うんだけど。
 悔いて悔いて悔いてるうちに、富士泉関はとんでもないことを思いついてしまいました。朝桜関を追いかけたくなったのです。で、一目散に道路に出ると、さっと手を挙げました。するとタクシーが停車。タクシーの後部ドアが開き、富士泉関が乗り込みました。それを見てタクシーの運転士がびっくり。
「あ、あんた、富士泉?」
「すみません、T病院に行ってください!」
「て、あなた、その恰好で財布もってんの?」
「あ」
 そうです。富士泉関は相撲を取ったまま外に飛び出したので、今ふんどし一丁の状態なのです。財布なんか持ってるはずがありません。と、運転士さんが決断しました。
「ま、いいや、お金は後にしましょう!」
「あ、ありがとうございます!」
 タクシーが走り出しました。
 走るタクシーの中、富士泉関はかなり焦ってるようです。と、運転士さんが声をかけてきました。
「朝桜関は左足の親指をやってしまったんですか?」
「ええ、なんで知ってんですか?」
「ラジオですよ」
 そう言えばこのタクシー、NHKラジオがかかってました。今はニュースですが、ちょっと前まで相撲中継だったと思います。
 運転士さんは言葉を続けました。
「あれは2年前かなあ? やっぱ横綱が外掛けを仕掛けて、足の親指を痛めたことがありましたよねぇ」
 それを聞いて富士泉関は思い出しました。そうです。朝桜関は2年前、場所中に足の親指を痛めたことがあったのです。あのときもたしか外掛けでした。そのせいでその場所は途中休場になってました。あの場所で大関だった富士ケ峰関が全勝して初優勝。横綱昇進を決めてます。
 ついでに言いますと、富士ケ峰関はその1つ前の場所は14勝1敗でした。唯一の敗北は朝桜関だったのです。つまり当時の富士ケ峰関は、今の銀奨関とよく似た立場だったのです。

 タクシーが病院に着きました。
「ありがとう!」
 と言うと、富士泉関がタクシーから降りました。再び言いますが、富士泉関はふんどし一丁。かなり異常な光景です。そのせいで病院にかけつけた芸能レボーターたちにあっけなく発見されてしまいました。
「あ、富士泉関だ!」
 芸能レポーターたちはあっという間に富士泉関を囲んでしまいました。
「富士泉さん、責任を感じて来たんですか?」
「今日の一番の感想を!」
「富士ケ峰関との関係は?」
 とまあ、質問の連発です。でも、富士泉関の今の関心は、朝桜関の容体だけです。
「ちょ、ちょっとどいてくれよ!」
 富士泉関は芸能レポーターとそのクルーたちのスクラムを強行突破しようとしました。けど、芸能レポーターたちも徹底的に食い下がり、マイクを向けてきます。でも、富士泉関は病院のエントランスをくぐることができましたが、芸能レポーターたちはガードマンに止められてしまいました。

「す、すみません!」
 病院内の廊下で富士泉関は目の前を横切る看護師さんに突然声をかけました。看護師さんはふんどし一丁の富士泉関を見ると、眼をまん丸くしちゃいました。
「ええ・・・?」
 やっぱ土俵を降りてそのまま来ちゃったのはまずかったよ~。でも、看護師さんは冷静でした。これから質問してくる内容を理解してるみたい。で、質問してくる前に回答しちゃいました。
「さっき救急車で運ばれてきたお相撲さんなら、今手術室ですよ」
「あ、ありがとうございます!」
 富士泉関は走りだそうとしましたが、すぐにあることに気づき、急ブレーキ。で、再び看護師さんに質問です。
「あ、あの~、手術室はどこですか?」
 看護師さんは通路の奥に指をさし、
「この先です」
「ありがとう!」
 富士泉関は走り出しました。

 富士泉関は手術室の前に来ました。そこには数人の力士がいました。富士泉関はその力士衆が朝桜関の付き人だと直感しました。で、いきなりの謝罪です。腰を90度曲げて、大きな声で、
「すみませんでした!」
 付き人衆は突然の謝罪にびっくりです。
「や、やめてください!」
 付き人の1人が冷静に語りかけてきました。
「横綱はすべて自分の未熟さのせいだと言ってました。どうか気にしないでください」
 富士泉関は何か言い返そうとしましたが、他の部屋の取的さんにあまりムリは言えません。とりあえず一言。
「わ、わかりました」
 と言って、沈黙しました。でも、すぐにある疑念が湧いてきて、さっきの付き人さんに質問しました。
「あの~、横綱の容体は?」
「左足の親指の骨折です。先生は脱臼もやってる可能性があると言ってましたね。今場所は休場でしょう」
 休場・・・ てことは、50連勝はふい?
「す、すみません」
 富士泉関はまたもや謝りました。付き人さんは呆れたって顔です。
「もう気にしないでください。お願いです!」
「わ、わかりました」
 本当にわかってるのかなあ? と、突然別の力士たちが現れました。12人います。彼らは葵部屋の取的衆です。3人は富士泉関の付き人ですが、残りは横綱富士ケ峰関の付き人でした。
「お、お前たち?・・・」
 付き人の1人がぱんぱんに膨れた風呂敷を富士泉に差し出しました。
「はい、着替えです」
「あ、ありがとう」
 富士泉関は取的衆を見回して、
「お前たちは横綱の付き人だろ。こんなところにいちゃ、まずいんじゃないのか?」
「それが、お前たちも行ってこいと横綱が言ったんですよ」
 え、あの横綱が? あの横綱も気を使ってるんだ。
 富士泉関はとりあえず着替えるために、人気のない廊下に行きました。

 それからしばらくして手術室の扉が開きました。着替え済みの富士泉関と朝桜関の付き人衆が一斉にその方向を見ました。
「横綱!」
 朝桜関は男性看護師に押された車いすに乗ってました。中に固定する器具が入ってるのか、左足の親指には異様にぶっとい包帯が巻かれてました。
 富士泉関が横綱に駆け寄りました。で、またもや腰を90度曲げて謝罪です。
「横綱、すみませんでした!」
「なんだお前、なんでこんなところにいるんだ?」
 思わぬ返答に富士泉関はびっくりです。
「え・・・」
「これはすべて自分の未熟さからきたケガだ。お前には何にも関係ないぞ。
 わしはなあ、元々外掛けを得意としてたんだ。1場所に2~3回はやってたかな? だがなあ、今から2年前外掛けをやったとき、足の親指を痛めてしまったことがあったんだ。
 それ以来外掛けは封印してきたが、お前の内掛けを見て、久しぶりに外掛けをやりたくなったんだ。それでこのざまだよ。外掛けなんかしなきゃよかったよ」
「でも、横綱はこれで50連勝がなくなったんですよ! いくら謝罪しても、謝罪し切れませんよ!」
「あ~、だから・・・」
 と、ここで朝桜関にあるアイデアが浮かびました。
「じゃ、こうしよう。お前、残りの3日間全部勝て。そうすれば許してやるよ」
 それを聞いてこれまで沈んでいた富士泉関の顔がぱっと明るくなりました。
「は、はい!」
 横綱が右手を差し出しました。握手を求めているようです。富士泉関は求められるまま、握手しました。2人の眼と眼は完全に合致しました。
 朝桜関は車いすを押してる男性看護師さんに声をかけました。
「お願いします」
 車いすが動き出しました。横綱は再び富士泉関を見ると、こう言いました。
「せっかくもらった休養だ。高処の見物をさせてもらうよ」
 と、横綱は今度はぼくを見ました。
「なんだ、お前も来てたのか?」
 だから、ぼくに話しかけないでって!

よっ、横綱!8

2017年02月28日 | よっ、横綱!
 富士泉関が土俵に上がりました。今日の相手は小結西都関。小結と言ってもここまで3勝6敗。組し易い相手です。で、やっぱり勝ってしまいました。これで9勝1敗。ただ、1つ心配事が。明日の対戦相手はあの市松関となったのです。
 市松関は初日横綱富士ケ峰関に勝ちましたが、2日目は横綱朝桜関に、3日目は大関銀奨関に、4日目は大関誉関に負けて1勝3敗。ふつーの関取だったらこのままずるずると負け越してしまうのですが、市松関は違いました。
 5日目関脇龍興関を病院送りにしてからは絶好調。毎日毎日勝ち星を積み重ね、今や7勝3敗。明日の富士泉関戦に勝ち越しをかけます。
 市松関はこの場所立会必ずかち上げをやってました。このかち上げを恐れて、ほとんどの対戦力士は及び腰になってたのです。はたして富士泉関は市松関に勝つことができるのでしょうか?
 と思ったら、富士泉関には何かいい手があるようです。西都関に勝った日の夜、富士泉関の方からぼくに話しかけてきました。それはちょっと驚く内容で、ぼくは思わず声を出しちゃいました。
「え、両手で受け止めるの?」
「横綱が2日目にやったろ、あれをやるんだよ」
 2日目って・・・ 横綱と言っても、朝桜関の方かよ。う~ん、富士泉関は朝桜関のファンになっちゃったのかなあ。どんな事情があろうと、やっぱ同じ部屋の横綱をリスペクトして欲しいなあ。
 気を取り直して、話を市松関に戻しました。
「でも、両手突きをやって、跳ねっ返された力士がいたよね」
「あれは立会逃げ腰だったんだよ。相手より早く立てば、きっとあのかち上げを受け止めることができるよ」
 う~ん、なんかちょっと違うような気が・・・

 本場所はついに11日目に突入しました。市松関との取組に向けて富士泉関は支度部屋で集中してます。
 でも、そんな富士泉関の耳に衝撃な情報が入ってきました。明日12日目の対戦相手は、なんと横綱朝桜関となったのです。富士泉関はここまで9勝1敗と絶好調です。今場所は両関脇とも休場してるし、下位の富士泉関が横綱と当たるのは必然なのかもしれませんね。
 でも、朝桜関は初日こんなこと言ってたような。
「なんか11日目か12日目に対戦しそうだな。楽しみにしているよ」
 あれは現実になってしまいました。朝桜関は預言者なのかな?
 土俵上富士泉関と市松関の登場です。この一番は異様な雰囲気となりました。観客の100%は富士泉関の応援です。市松関は完全ヒール。なんかプロレスみたいになってきました。
 今日も懸賞旗が廻ります。今日はなんと7本。すべて富士泉関を応援する懸賞旗です。しかし、市松関のふてぶてしさは相変わらずでした。土俵上富士泉関を睨む眼は殺気を帯てます。富士泉関はそれを嫌ったのか、あまり眼を合わせないようにしてます。でも、これだと、なんか富士泉関は消極的に見えちゃいますよねぇ。
 挑発に乗って眼を合わせれば市松関のペースになっちゃうし、眼をそらせば弱気に見えちゃうし・・・ どう対処すればいいんだろう? うーん、難しいなあ。
 いよいよ取組の時間となりました。両力士とも土俵に片手を付けました。見合って、見合って、発気揚々! 残った!
 立会思った通り、市松関のエルボーが飛んできました。それを富士泉関の両手がバシッと受け止めました。ここまでは富士泉関の計算通り。けど、両手とも弾き飛ばされてしまったのです。その反動で富士泉関の上半身がのけぞってしまいました。あとはあっけないものです。市松関は富士泉関の身体をガシッと捕まえると、そのまま寄り切ってしまいました。富士泉関完敗です。
 観客から悲鳴と罵声が飛んできました。市松関は初日横綱富士ケ峰関に勝ち、11日目は富士泉関に勝って勝ち越し。今場所市松関は葵部屋の天敵となりました。

 富士泉関がシャワーを浴びて支度部屋に帰ってきました。ぼくはさっそく話しかけました。
「今日は残念だったね」
「いや~、帰り入幕でここまで9勝1敗だったのが奇跡だったんだよ。でも、市松関のかち上げは凄かったなあ」
 富士泉関は自分の両掌(てのひら)を見ました。
「しかし、横綱はどうやってあのかち上げを受け止めることができたんだろう?・・・」
「横綱と言えば、明日は朝桜戦だね」
「ああ、まさかこんなにも早く当たるとはねぇ、思ってもみなかったよ」
 富士泉関は期待より不安の方が大きいようです。
 と、ここで大きな声が響いてきました。モニターを見ると、なんと大関誉関が土俵の外に倒れてるのです。土俵上には巨漢佐々丸関が仁王立ちになってました。どうやら誉関の連勝がストップしたみたい。
 でも、次の銀奨関は腰が据わった相撲で連勝継続。そして横綱富士ケ峰関の登場です。
「横綱、今日勝てば勝ち越しだよね」
「ああ」
 富士泉関の返事は、どこか生返事でした。
 発気揚々! 残った! 富士ケ峰関は左手を差し、右手ではず押し。盤石な相撲です。そのまま寄り切って、今日も快勝。勝ち越しが決まりました。けど、優勝か準優勝となると、かなり絶望的です。それでも勝ち続けなくっちゃいけないのが横綱です。
 続く朝桜関も勝ち、今場所11連勝、通算48連勝となりました。つまり明日の富士泉戦は50連勝の1歩手前、49連勝目となるのです。
 ぼくは再び富士泉関に話しかけました。
「明日どうやって闘うの?」
「さあな、ともかくやるだけだよ」

 12日目。偶数日なのでこの日の結びの一番は西の横綱富士ケ峰関が務めることになります。その前の一番は、横綱朝桜関対平幕富士泉関。昨日富士泉関は「やるだけだよ」と言ってましたが、はたしてどんな取組を見せてくれるのでしょうか。
 今日も銀奨関は勝ち、12連勝。昨日負けた誉関は、今日も負けてしまい、10勝2敗。誉関は緊張の糸が切れてしまったのかな?
 そしていよいよ横綱朝桜関対平幕富士泉関の取組となりました。
 土俵に上がった富士泉関は、四股を踏み、蹲踞し。と、同時に懸賞旗が廻り始めました。それがとんでもない量なのです。15、いや、それ以上はあります。富士泉関は塩を取りに行こうとしましたが、懸賞旗の係りの人と交錯しそうで、なかなかいけません。これは大変です。
 富士泉関は塩を取ると、再び土俵に身体を向けました。するとまた懸賞旗が廻り始めたのです。懸賞旗2巡目です。結局懸賞旗は30本くらい廻ってました。中には富士泉関に付いた懸賞もあると思いますが、これが横綱朝桜関なのです。
 でも、同じ横綱でも、富士ケ峰関の検証旗は少ないんですよねぇ。9日目は0本。昨日11日目はたった2本でした。
 2人の取組の時間が近づいてきました。富士泉関に汗拭きタオルが手渡されました。
「よし!」
 富士泉関は気合を込めて吼えました。
 両力士とも腰を割り、片手を付きました。富士泉関の眼はかなり厳しくなりました。それに対し朝桜関の眼は、まだまだ余裕がありそう。
 発気揚々! 残った!
 富士泉関は右手をさっと差しました。が、横綱も右手を差しました。同時に左手で上手を掴みます。一方富士泉関の左手はぶら~んとしてます。横綱が右肘をL字に曲げてるせいで、廻しが遠くなってるのです。さすが横綱、細かい技が冴えます。
 ただ、いつもの朝桜関だったら、2秒もあれば相手力士を片付けてしまいます。今日は富士泉関の内掛けを警戒してるのかな?
 と、横綱が富士泉関の身体を引きつけました。寄切りか? けど、これによって富士泉関の左手が横綱の上手に届きました。今がチャンス。右脚からの内掛け。2人の身体が重ね餅になって倒れ始めました。が、その瞬間富士泉関はへんな感覚に襲われました。本当だったら自分が上になって倒れてるはずなのに、なぜか今は自分が下になって倒れてるのです。富士泉関はそのまま背中から落ちてしまいました。
 富士泉関敗北。実は富士泉関が内掛けを仕掛けたとき、すでに横綱の左脚は動いていたのです。外掛けでした。さすが横綱、富士泉関がもっとも得意としている技を返してしまいました。
 けど、土俵上では異変が起きてました。朝桜関が立ち上がれないのです。左足の親指を必至に押さえてます。顔はかなり苦しそう。それを察知した富士泉関は、思いっきり叫びました。
「横綱ーっ!」
「ぐぉーっ」
 あまりの痛さに、横綱はついに悲鳴を上げてしまいました。数人の呼出しが土俵に上がってきました。横綱は両側から呼出しに抱きかかえられ、なんとか立ちました。が、あまりの痛さに顔がひん曲がってます。心配そうな富士泉関は、再び声をかけました。
「横綱、しっかりして下さい!」
 でも、朝桜関は何も反応しません。反応できないと言った方がいいかも。横綱はそのまま土俵を降りてしまいました。別に富士泉関のせいではないのですが、富士泉関は強い責任を感じてしまったようです。
 朝桜関は今日の富士泉関との取組で49連勝となりましたが、はたして50連勝目はどうなってしまうのでしょうか?
 ちなみに、今日の結びの一番で横綱富士ケ峰関は快勝しました。これで9勝3敗。勝ち星が先場所の8勝を越えました。しかし、富士ケ峰関に笑みはありません。富士ケ峰関も朝桜関を気にしてるようです。

よっ、横綱!7

2017年02月27日 | よっ、横綱!
 横綱富士ケ峰関の土俵入りが始まりました。昨日まではある程度声援があったのですが、今日はほとんどありません。逆にヤジぽい声が飛んでました。なんとも寂しい横綱土俵入りです。
 支度部屋です。富士泉関がモニターでそれを見てました。昨日までそこに露払いとして立っていた富士泉関は、なんかちょっと不思議な気分です。ちなみに、今日の支度部屋は富士ケ峰関とは東西別となりました。昨日の今日です。今日は直接顔を合わす必要がなくって、富士泉関はちょっとほっとしてます。
 続いて朝桜関の横綱土俵入りです。今度は打って変わって物凄い声援。やはり横綱土俵入りはこうでなくっちゃいけませんね。
 さてさて、富士泉関はここまで7勝1敗。今日はいよいよ勝ち越しがかかる1番です。そのせいか今日の相手は、西前頭筆頭の鈴の原関。一気に相手強化となりました。ただし、鈴の原関にとって平幕筆頭はこれまでの最高位。しかも今場所ここまで2勝6敗。組し易い相手だと思います。今日勝ち越しできるんじゃないかな?
 ちなみに、明日の対戦相手は小結西都関。初めて3役との取組になりますが、こっちも今の地位が最上位で、おまけにこの力士もここまで2勝6敗。今の富士泉関だったら、この力士も簡単だと思ます。
 と、富士泉関の後ろに1つの人影が立ちました。
「よっ、いずみ」
 富士泉関が振り返ると、そこには横綱朝桜関がいました。
「よ、横綱・・・」
 突然の横綱の来訪に、富士泉関はちょっと慌てました。横綱はあぐらをかきながら、
「いろいろとあったみたいだな」
「ええ」
「土俵の中のことなら相談に乗ってやってもいいが、土俵の外じゃなあ・・・」
 それに対して富士泉関は何かを言い返そうとしましたが、口が開きませんでした。
「でもなあ、あいつ、そんなに悪いやつだったのか? わしはちょっと信じられないのだが・・・」
「オ、オレもそう思います!」
 今度は富士泉関の口が開きました。それも、間髪入れずに、思いっきり。
「悪いのは馬券です。馬券さえやめてくれりゃ、元の強い横綱に戻ってくれるはずです!」
 すると、なぜか朝桜関は吹き出してしまいました。
「あはは、そうか。悪いが、馬券ならわしだって買ってぞ。競馬を教えてくれたのは、うちの親方だ」
「ええ?」
 思わぬセリフに富士泉関は絶句してしまいました。
「わしは真面目すぎるから、ちっとは遊べってさ。一度覚えたら病みつきだよ。ただ、場所中はさすがに買わないけどな」
 場所中は馬券を買わない。朝桜関のセリフは至極当然のことだと思います。朝桜関はさすが大横綱ですね。
「あ、あの~・・・」
 富士泉関は今場所富士ケ峰関が優勝か準優勝しないと引退になると、朝桜関に教えたくなったようです。
「い、いや、なんでもないっす」
 でも、富士泉関は何も言えませんでした。それを教えたら朝桜関が変に手心を加えるんじゃ・・・、と思ったみたい。朝桜関は土俵上では勝負の鬼。決してそんな人じゃないけどね。
「お前もいろいろと大変だな」
 と言うと、朝桜関は立ち上がりました。
「頑張れよ。じゃな」
 横綱は立ち上がると、ぼくを見ました。その目はまるで「あとは任せた」と言ったみたい。そして自分のスペースに行ってしまいました。一方富士泉関は、さらに朝桜関が好きになったようです。
 いよいよ富士泉関に出番となりました。富士泉関は「よし!」と言うと、土俵に向かって歩き始めました。

 富士泉関が土俵に上がりました。すると、なんと係りの人が懸賞金の旗を持って歩き始めたのです。しかも3本。すべて富士泉関に付いた懸賞金でした。
 富士泉関の取組に懸賞金が付くのは初めてです。しかも全部自分に付いた懸賞金です。ほんとうなら感激してもいいところなんだけど、今は勝ち越しがかかる一番の方が重要ですよね。
 ちなみに、今日懸賞がかかることは事前に知らされてたんですが、勝ち越しのことと横綱富士ケ峰関のことで頭がいっぱいで、富士泉関はロクに話を聞いてませんでした。
 富士泉関はいつものとおり、塩を撒いて、四股を踏んで、蹲踞の姿勢。腰を割って、手を付いて、相手を睨みます。が、今日の相手鈴の原関は、富士泉関をまったく見ることなく塩を取りに行ってしまいました。完全に覇気がありません。これは富士泉関チャンスです!
 いよいよ取組の時間となりました。見合って、手を付いて、発気揚々! 残った!
 鈴の原関は頭から富士泉関の胸にぶつかってきました。と同時に、右手を差します。それに対して富士泉関は、右手ではず押し。同時に左手で上手を掴みます。が、右肘を握られてしまい、右手が動きません。押っ付けです。鈴が原関の頭が徐々に低くなり、いつしか富士泉関のアゴの下に入ってました。これは苦しそう。
 と、鈴が原関の左手が富士泉関の廻しを下手で掴みました。これで富士泉関の身体は完全に伸び上がってしまいました。富士泉関、ピンチ!
 と、富士泉関の左足の踵が外側から鈴が原関の右アキレス腱に絡みつきました。外掛け。2人の身体が重ね餅になって土俵上に倒れました。富士泉関逆転の勝利です。
 うおーっ! うねりのような歓声が湧きあがりました。これで8勝1敗。富士泉関は帰り入幕なのに、たった9日で勝ち越してしまいました。凄い、とっても凄いです。
 ぼくは力水の柄杓を持って待ってる富士泉関に声をかけました。
「やったね!」
「ああ、まさかこんなに早く勝ち越すとは、自分でも信じられないよ」
「外掛けは珍しいね」
「ああ、とっさに出たって感じだったよ。オレの相撲は思ってもみないほど成長してるんだなあ」
 あ、いけねぇ。第3者から見たら、また富士泉関が1人で勝手にしゃべってるように見えるじゃん。
「じゃあね」
 と言うと、ぼくはその場を離れました。

 今日も両大関快勝。9連勝だって。そして横綱富士ケ峰関の出番となりました。今日の相手は平幕中頃の弥生関。平幕と言っても、ここまで6勝2敗と調子がいい力士です。
 2人が土俵に立ちました。場内は何か異様な雰囲気です。横綱土俵入りのときとおんなじ、いや、あのとき以上に罵声が飛んでいます。横綱は昨日の一件で完全に悪役になってしまったようです。
 これを支度部屋でモニターで見ていた富士泉関は、ふとあることに気づいてしまいました。懸賞旗が廻ってないのです。ふつー横綱が土俵に上がれば、それだけで懸賞旗がたくさん廻ります。富士ケ峰関も昨日までは5つくらいは廻ってました。それが今日はないのです。
 富士泉関はふと記憶を辿りました。さっき自分の取組のときに廻っていた3本の懸賞旗。あれはたしか、昨日まで富士ケ峰関の取組で廻っていた懸賞旗です。てことは、本来富士ケ峰関に付くはずだった懸賞旗のいくつかは、富士泉関に移ってしまったということ? 人気の世界とは言え、これは悲しい現実です。
 いよいよ取組の時間となりました。両力士とも土俵に手を付きました。発気揚々! 残った!
 横綱、立会と同時に強烈なはず押し。そのまま土俵際まで弥生関を攻め込みました。このまま寄り切ると思った瞬間、横綱は突然身体を引きました。引き落としです。弥生関の身体はあっけなく土俵に転がってしまいました。
 横綱勝利。でも、場内はブーイングと罵声だらけになってしまいました。今の引き技は卑怯とでも言いたいのかなあ? どう考えても正当な技なんだけど・・・
 続く横綱朝桜関もたった1秒で寄り切り、9連勝となりました。これで通算46連勝です。こりゃ50連勝を超えるんじゃないかな? 本場所5日前に急性アルコール中毒で入院したなんて、うそみたい。

 翌日水戸泉関の支度部屋は、富士ケ峰関と同じ部屋になりました。
「いずみ、勝ち越しおめでとう」
 富士ケ峰関が富士泉関に祝福の声をかけました。たぶんかなりの覚悟があったんだと思います。でも、富士泉関は後ろを向いたまま、何ら反応しません。ただ自分の指にテープを巻いてました。仕方なく富士ケ峰関はその場を離れました。なんか、思ったより早くその場を離れてしまったのです。もしかしたら横綱は、とりあえず儀礼的に祝福したのかもしれませんね。
 富士泉関の方も「ありがとう」の一言くらいあってもよかったんじゃないかなあ。横綱の方から仲直りしてきたのに・・・ でも、富士泉関は関わり合いを避けてしまいました。

よっ、横綱!6

2017年02月24日 | よっ、横綱!
 支度部屋に横綱富士ケ峰関が帰ってきました。富士泉関が鋭い視線をずーっと横綱に向けてます。横綱はそれを無視してます。と、富士泉関が先に声をかけました。
「横綱!」
 横綱が振り返ると、富士泉関が横綱にスマホを向けて立ってました。それは横綱のスマホです。
「横綱、今日も馬券、買いましたよね?」
 それはIPATと呼ばれるインターネット馬券投票の画面でした。この画面に入るためには3つのキーナンバーが必要なんだけど、昨日ぼくがのぞき見して、富士泉関に教えておいたんだ
「何するんじゃっ!」
 横綱はそのスマホを取り返そうと飛びかかった、と思ったら、なんと富士泉関の顔面を殴ったのです。富士泉関の身体はもろくも吹き飛びました。支度部屋は一気に騒然となりました。
「このやろーっ!」
 横綱はさらに富士泉関に飛びかかろうとしましたが、他の部屋の力士と横綱の付き人が横綱の身体を抑えました。
「やめてください、横綱!」
「離せ、この野郎! ぶっ殺してやるーっ!」
 この場にいたカメラマンたちが一斉にフラッシュをたきました。ああ、こりゃ明日のスポーツ紙に載るなぁ。
「横綱、あんた、こんなことしてて、恥ずかしくないのかよ!」
 富士泉関は立ち上がりながら吐き捨てました。
「うるせーっ! わしが何枚馬券を買おうと、わしの勝手だろ!」
「わかんないのかよ、横綱! あんたの相撲は馬券で完全に乱れてる! 競馬はやめてくれよ! 少なくとも場所中は一切買わないでくれよ!」
 富士泉関は思いの丈をすべて吐き出しました。支度部屋が一瞬静かになりました。ただただ富士泉関と富士ケ峰関のはぁはぁとした荒い呼吸音が響いてました。と、富士泉関が何かしゃべるようです。
「3年前、あんたは酒で大失敗して酒をやめたよね。そしたら急に強くなって一気に横綱に上り詰めた。
 今のあんたは100%馬券中毒になってる。馬券さえやめてくれれば、あのときみたいな強い力士に戻るはずだ。8勝7敗なんて情けないよ。お願いだ、馬券はやめてくれよ!」
 横綱は何も応えません。斜め下を見てるだけです。
「失礼します」
 と言うと、富士泉関はその場を離れました。

 この日富士泉関は財布を任せている付き人とともにタクシーに乗り、葵部屋に帰りました。車中、富士泉関は沈んでました。尊敬していた横綱富士ケ峰関に罵詈雑言を浴びせてしまった。これは部屋を破門されても仕方がない行為です。今富士泉関は破門に怯えてるのかな?
 でも、ぼくは今日の富士泉関の行為は称賛できる行為だと思います。ともかくあの横綱は自分に大甘です。心技体の心がなってない。あれでよく横綱と言えたものです。
 ま、富士泉関が破門になるかどうかは、葵親方の考え次第です。ぼくがあれこれ言うことじゃありませんね。
 タクシーが葵部屋に着くと、富士泉関は親方が待っている部屋を目指しました。
「失礼します」
 そう言って富士泉関が襖を開けると、そこは純和室。親方は座布団に座ってました。親方は正座したまま、ほとんど動きません。眼だけを動かし、富士泉関を見ました。
「お帰り、今日も勝ったんだってな。7勝1敗か。もう少しで勝ち越しだな」
 と、親方の言葉はこれで終わってしまいました。富士泉関は「なんで横綱に盾突いたんだ!」と怒られると思ってたので、拍子抜けです。もしかしたら親方は、何も知らされてないのかも? 仕方がないから、富士泉関から話を切り出すことにしました。
「あの~、親方・・・」
「わかってる。まあ、座れ」
「し、失礼します」
 富士泉関は畳に直に正座しました。葵親方は一呼吸置いて話を始めました。
「あいつは失敗作だ。あいつを作ったのはわしだ。だからあいつの問題行動は、すべてわしの責任でもある」
 思わぬ発言です。富士泉関はちょっと動揺しました。
「お、親方・・・」
「お前も記憶してると思うが、あいつは2年前酒を呑んで暴れ、みんなに土下座したことがあったな。あのとき一思いにクビにしておけばよかったんじゃ。まあ、あの後精進して横綱になったが、やっぱりバカはバカだった。
 先々場所わしは帰りが遅くなった日があったんだが、あいつのマンションの部屋を見ると電気がついていたんだ。12時だったかな。不思議に思って翌朝やつに訊いてみたら、取組が気になって眠れなかったと言ってたな。だが、それは大ウソだった。
 翌日も真夜中12時に見に行ったら、やっぱり電気がついていたんじゃ。やつの付き人に訊いて、ようやくその理由がわかった。やつは馬券を買ってたんじゃ。JRAのレースが行われる日は、全レース予想してた。道理で勝てないはずだ。この場所、終わってみりゃ、やつは10勝5敗だった」
「親方は注意しなかったんですか?」
「注意したさ。そうしたら「うるせい!」と一喝されたよ」
「ええ、親方をですか?」
「ああ、酒を呑んで暴れたときは悪かったという意識はあったようだが、馬券に関しては何一つ問題はないだろうと思ってるらしい。
 馬券は酒と同じじゃ。のめり込めば絶対火傷する。あいつはそれがわかってないのじゃ」
 富士泉関は唖然としてしまいました。
「次の場所、やつは8勝7敗だった。さすがに他の親方から非難轟々だったよ。かと言ってやつは、わしの言うことなんかぜんぜん聞きやしない。わしもなあ、関脇で終わったから、横綱になったやつには強く言えんのじゃ。
 でも、もし今場所優勝か準優勝でもしなけりゃ、やつを引退させようと思ってる!」
 ええ、優勝か準優勝でなけりゃ引退だって? で、でも、横綱は8日目終わって5勝3敗じゃん。もう1人の横綱朝桜関も、2人の大関、銀奨関と誉関も、ここまで全勝中じゃん。今ここにいる富士泉関も7勝1敗だよ。富士ケ峰関の引退は確実じゃん!
 富士泉関もこの発言にはかなりショックを受けたみたい。でも、なんとか口を開きました。
「横綱にはそのことは話したんですか?」
「ああ、もちろんだ」
「横綱はどんな反応を?」
「なんにも・・・
 じゃが、もし今場所も不甲斐ない成績だったら、ほんとうに引退させるつもりだ。あいつは日本相撲界の恥だ。もういいだろう。
 あいつを育てた責任もある。わしもそんときゃ引退しないといけないな」
「ええ、親方も?」
「最近胃袋が痛くなってなあ。正直もう辞めたいんじゃよ」
 その言葉に富士泉関は、またもや何も言えなくなりました。
「さあ、もう部屋にお帰り」
「は、はい」
 富士泉関は立ち上がり、今入ってきた襖に向かって歩き始めました。でも、葵親方が、
「あ」
 と声を発すると、ちょっとビクンとして立ち止まりました。
「こんなときだ。明日の露払いは他の部屋の力士に任せよう。おまえは自分の相撲に集中してくれ」
「す、すみません、親方」
 と言うと、富士泉関は襖を開け、出ていきました。
 富士泉関が廊下に出ました。ぼくは彼を追って襖をすり抜けました。と、富士泉関は振り返り、ぼくを見ました。
「悪いが、今日はここまでにしよう」
 というと、富士泉関の姿は廊下の奥へと消えていきました。今日はこれ以上は立ち入らない方がいいようです。

 翌日富士泉関は付き人1人とクルマに乗り込みました。さすがに今日は横綱と一緒にショーファードリムジンに乗るわけにはいきません。いつぞやの8人乗りのクルマに乗りました。
 クルマが走り出し、そして相撲会場の南門の前につきました。富士泉関がクルマから降りると、
「きゃーっ、いずみさーん!」
「いいぞ、いずみ!」
「日本一!」
 物凄い声援と黄色い声です。ここは観客の声を直に聴ける場所の1つです。昨日までは横綱と一緒に地下駐車場に入っていたので気づかなかったのですが、富士泉関ファンはかなり増えてたようです。ただ、
「いずみ、悪い横綱なんかやっつけちまえよ!」
 この声援にはビクッとしました。悪い横綱とは富士ケ峰関のことだと思います。実は富士泉関は今朝のスポーツ新聞をすべてを読んでました。スポーツ新聞には昨日の一件が書かれてたのですが、すべて富士泉関善、富士ケ峰関悪と書かれてたのです。観客もみんな富士ケ峰関悪と決めつけてます。「それは絶対間違ってる!」と叫びたいところですが、葵親方も破門を決意してます。つまり、葵部屋から見ても富士ケ峰関の存在は悪なのです。富士泉関は反論したくても反論できません。
 と、突然マイクを持ったおばちゃんが群衆の中から現れ、そのマイクを思いっきり伸ばしてきました。
「富士泉さん、富士泉さん、今回の横綱の暴行をどう感じましたか?」
 後ろにカメラクルーがいるところを見ると、どうやらテレビ局のレポーターみたいです。こんな人に絡まれると大変です。富士泉関は足早に建物の中に入って行きました。