大政・小政の気ままな日誌

キャンピングカー(小政号)の出番が減って覚書のブログになっています。ボケ防止の為に毎日継続することを目標にしています。

長崎街道(小倉宿~黒崎宿)part1

2012年10月20日 | 長崎街道歩きの旅
今日から秋バージョンにリフォームしました。

今朝は5時に目が覚めたが、外は真っ暗で椅子の腰かけてボケーとしていると東の空が薄らと白み始めたので、寒い庭に出て庭の手入れをしていたが、朝6時なってもカミさんは起き出して来ないようなので、簡単な朝飯を作って「長崎街道歩き旅」初日の出発です。

7:05 自宅を出発間際にカミさんが起き出して来ます。
今日の出発地は小倉北区の常盤橋ですから、荒生田(あろうだ)のバス停まで歩いてバスで勝山橋近くのバス停まで行きます。



「B-1グランプリin北九州」カミさんと娘はどこかの焼そばを食べるのに、何と2時間待ちしたとか・・・



この木造の橋が「常盤橋」江戸時代初めの頃、城下町の東曲輪(ひがしくるわ)「町人が生活していたところ」と西曲輪「武士が生活していたところ」を結ぶ橋であったとか・・・この橋が長崎街道の起点となったことから多くの人がこの橋を渡った筈です。坂本竜馬やシーボルトもしかしたらベトナムから送らてきた像さんも渡ったかもしれない。

「百里の道も一歩から・・」「長崎街道240kmもこの一歩から・・・・」



左手にリ「バーウオーク北九州」この裏手に小倉城がありますが、ビルの陰で見えません。風情がなくなりましたね。



右手が下流の砂津港で港の入口は住友金属があります。この辺は全て埋立地ですから、昔はこの近くに船が着く港があったのでしょうね?



紫川に架かる「常盤橋」を渡るとここから室町商店街、こちらが西の曲輪ですから昔は武士が住んでいたのでしょうが、今では橋の両サイドが商店街です。



商店街のほぼ中頃に、遺跡調査の資料や出土品等が展示していました。このビルがなんなのか調べても分かりませんでしたが車で通ると見逃してしまうような所です。

 

室町商店街を抜けると右手が西小倉駅です。



ここは大門その昔、城に入る門があった所で、たしか「大門」の遺跡が展示していると聞いたのですが、見過ごしてしまった。あったのは街ビルの間にお墓が・・・



大門一丁目この交差点に差し掛かり、計画地図ではこの裏通を歩く予定であったので、引き返す。



間もなくして思永中学前の通りに出て中学校の中央付近に「三ノ丸の土塁」この辺も城内であったようで、小倉城は結構広いお城だったのかな・・・・・



これから右に出て路地に入ります。

本日は疲労困憊・・・・・・・・

続きは明日part2で紹介します。