期間限定で、収蔵物を展示していたので、観に行きました。ボランティアの前田さんが懇切丁寧に説明してくれ、大変勉強になりました。
個人的には、近代以前の西洋式製鉄が日本に入る前の日本独自のたたら製鉄についてもっと知りたいところでしたが、やっぱり資料はあまりありませんでした。問題は、明治以前は砂鉄を使った製鉄で、何を作っていたかというところです。展示品の中に、7世紀頃の出土品として、刀剣などがあり、朝廷と戦ったアテルイ軍等への武器の供給源であったろうことが、予想されました。鉄瓶を作るために製鉄が栄えたなんてことがあるはずありませんからね。
釜石ほどではないにしろ、実は久慈も製鉄の町だったんですね。ちなみに、自宅の前の道路は、砂鉄の採集場と川崎製鉄の工場をつなぐトロッコの線路があった場所だったらしいです。(どうりで川沿いでまっすぐな道なわけだ。)
時代と自分のインスピレーションにヒットして、舞台化できるものが見つかるよう、今後も調査研究を続けていきます。
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