牛熊様（その１）

 一の場面　九戸富士

時は藩政時代末期。表向きは塩の道の宿場として栄える中、タタラ製鉄も盛んで、宿場から離れ、鉄がとれる端神などでは秘かに密銭もつくられていた。

　有能な人たちが自分たちの技能を活かし、時の政権と抗うこと無く、ひっそりと豊かな生活をしていた地域である。

　地域の大きな収益として農産物はもとより、密銭を含めた工業生産物、そして、その工業生産物と共に、野田から運ばれてくる塩を更に内陸に運ぶという物流の拠点でもあった。

　藩政時代としては稀な、第一次産業から第三次産業がバランスよく融合して地域経済を豊かにしていた地域である。

　この話は、人里離れた地ではあるが、牛飼いという物流の中心にある生活をしていた、郷の話である。

　九戸富士と呼ばれる端神岳が遠景に見える。ここは、山根、下戸鎖の宿場町。

町はずれのあばら家の脇にみすぼらしい牛舎が建っている。

　夏の盛りが過ぎ、風には秋の気配が感じられる。

　竹ぼうきを持って、その牛舎の掃除を、牛飼い源治の妻キヨがせっせと行っている。そこへ、羽振りの良さそうな身なりをしたナヲが現れる。

ナヲ　あれ、キヨさん。こんにちは。

キヨ　ナヲさん、そんなにめかし込んで、どこさ行くの？

ナヲ　今日は、盛岡まで行くの。

キヨ　あらぁ、いいごど。イオンにでも寄るの？

ナヲ　何言ってんの。今は南部の殿様が居る時代だよ。イオンなんてねぇすけ。

キヨ　あら、ごめんなさい。盛岡に行った人は皆イオンに行って来たぁって語るすけ。

ナヲ　ごめんね、おら、イオンっていうどこに、行ったことねぇのス。

キヨ　なんと、珍しいごどぁ。いっつも盛岡さ行ってんのにすか。

ナヲ　おれぁ、東京の高島屋だの三越しか行ったことねぇのス。

キヨ　はぁぁ、東京のね。おれぁ東京は言ったことねぇすけ。

ナヲ　盛岡は、行っても川徳だね。あぁ、パルクカードはとりあえずあんのス。

　ナヲ、カードをみせる。

キヨ　そいづは、どうやって使うんだべぇ。

ナヲ　見せるだけで、買い物ができんのす。

キヨ　ありゃ、なんとした。いやぁ、凄いごど。

ナヲ　今度、清助さんに頼んで、連れてってもらうべぇ。

　そこに清助が現れる。

清助　何の話をしてだんだ。

ナヲ　キヨさんが盛岡の川徳さ行ってみでぇって語ってだんで、連れてってあげたいなぁって。

清助　今年の秋には、牛が２０頭くれぇ売れるすけ。そしたら、二人で行ってくればいい。

ナヲ　いいの。清助さん。さすが、気前がいいねぇ。おらの見込んだ男だけのことはある。

清助　あんまり成金みてぇなことはしたくねぇんだが…。

　と、清助、お札を扇子がわりに使って、自分の顔をあおぐ。

 

清助　ありゃ、扇子とお金をまぢがってしまった。はっはっはっはっ。

　キヨ、ひきつった笑顔で一つ礼をすると、掃除を始める。

　清助とナヲは、連れだって楽しそうに去ってゆく。

　キヨ、つぶやくように一言もらす。

キヨ　…どうせ、おらいは牛が一頭しかいねぇものね。

　そこへ、源治が干し草を担いで現れる。干し草を牛舎の中に置きながら、キヨに話しかける。

源治　どうした。そんな顔をして。

キヨ　ナヲさんが…。

源治　なんぞ、嫌味でも言われたか。

キヨ　いや。嫌味を言われた方がまだましだぁね。

源治　まだ、まし？

キヨ　清助さんが、盛岡に連れて行ってくれるど…。

源治　それゃぁ良かったべ。行って来い。

キヨ　なんだか、気分わりぃ。

源治　何でよ。

キヨ　悪気はねぇンだろうが、おらぇの貧乏を笑われたような気がして。

　源治、表情を曇らせる。

源治　…すまねぇな。おらが甲斐性無くて…。

キヨ　…おらごそ、こんなこと言ってしまって、申し訳ねぇ。あんだも一所懸命

　　　に稼いでるのに。

源治　おめぇ…。

キヨ　貧乏だ貧乏だって語って、すまねぇ。もう、愚痴は言わねぇ。貧乏でも、

あんだが甲斐性無くても我慢する。　　

源治　改めてそう言われると…ささるなぁ。おめぇが、嫌味を言われた方がま

だましだって言うのがわかるような気がしてきた。

キヨ　あんだぁ、おらの気持ち、わかってくれるか。

おら、おら、あんだが貧乏でも、甲斐性無くても、顔が悪くても、ちょっとぐれぇ足臭くても、がまんする。

源治　なんだか、増えたな。

キヨ　子はねぇが、あばら屋だが、清助さんの家の方が良いなぁなんて、思わね

ぇようにしてる。

源治　…思ってるんだ。

キヨ　子はねぇが、おらだちには、牛の『黒』が、いるべぇ。

源治　そうだな。

キヨ　大切にすんべね。

源治　そうだな。

 

　二人は、牛舎の中に入ってゆく。

 

　転換