~ゼロ~ 二〇一一年八月十日 基準日
舞台は、何もない菱形に区切られた4畳半の空間。
奥の2面だけに壁がある。上手側の壁には玄関に繋がるらしき口が一つ開いている。殺風景な部屋である。
明りがつくとその殺風景な部屋に、妹が、レジ袋を左手に下げたまま、蛍光灯のスイッチの紐を引く仕草で止まって立っている。
妹は、そのまま、部屋をぐるりと見回す。
そこへ、姉も大量のレジ袋を抱えて現れる。
姉 大体はそろっているでしょう。
妹 だいたいね。
姉 だいたいそろってるって言っても、やっぱり食料は無いからね。持ってる
袋…そこ、置いといて。冷蔵庫にしまうから。
妹は虚ろな目をしたまま、姉を視野の中に置きながらも見つめるでもなく、ただぼうっとして、部屋の全体像を眺め続けている。
姉はあくせくと荷物を片付け、新たな荷物を部屋に運びこむ作業をし続ける。部屋の隅には、レジ袋に入っている衣類とおぼしきものなどを置く。
姉は、荷物を運び終えると、妹の斜めに向かいの場所に座る。
姉 何か飲む。
妹 何があるの。
姉 避難所で、スティックコーヒーもらって来た…。
姉、部屋の隅のレジ袋をかき分けて、スティックコーヒーを見つけだす。
姉 あった。
妹 残っている人たちの分じゃないの。
姉 大丈夫。私たちがほとんど最後だったじゃない。
妹 そうなの。…まだ居たじゃない。
姉 齊藤さんとこも、明日には仮設に入るって。ここの仮設じゃ無くて、小学
校の校庭の方…。小学生が居るから、学校に近い方がいいって…。
妹 そう。でも…。
姉 コーヒーは、避難所で生活していた私たちが持って行ってくれた方が助か
るって…。
妹 誰かそう言ったの。
姉 避難所を運営していた、福祉協議会の小野さん。
妹 そう。
姉 断るだけが美徳じゃないよ。
妹 そう。
姉 空気読んであげなきゃ。
妹 あたしには読めない。
姉 無理して、気を使って、空気読む必要もないけどね。…お湯沸かすね。
姉、立ちあがって玄関口の台所へ行く。
タラァァァッ。水圧の低い水道から水が流れる音。
チチチチ。ボッ。ガスレンジの点火の音。
妹、台所の方へ向って…。
妹 ガス、もう出るんだね。
姉 えぇ。昨日のうちに、手続きしといた。
妹、つぶやくように。
妹 そうだよね、電気もついてるしね。
姉 えぇ。
妹 姉ちゃん、凄いなぁ。
姉 何が。
妹 何でもできて。
姉 やらなきゃ無ければ、仕方いないでしょう。
姉、戻ってきて、座る。
姉 避難所の隣の場所にいた、菅原さんたちは、夫婦で息子さんのところへ行
くって。
妹 息子さん、銀行に勤めてるんだっけ…。
姉 えぇ。
妹 仙台…?
姉 泉だって、仙台駅から地下鉄で北の方に行ったところよ。
妹 そこは、大丈夫だったの。
姉 山手だから。店も普通にやってるってよ。
妹 ふぅん。
姉 断水とか、停電とかはあったみたいだけど、今はもう普通みたい。
妹 ふぅん。
姉 菅原さんの旦那さんってあんまりしゃべらないけど、奥さんがおしゃべり
だから、色々聞いたなぁ。旦那さん、切手集めが趣味なんだって。
妹 切手?
姉 旦那さんが、毎日切手の事を言うって、奥さんが愚痴ってた。
妹 ふぅん。
姉 大事にしていた切手のコレクションが流されたんだって。
妹 ふうん。
姉 『見返り美人』はもう手に入らないだろうなって。
妹 『見返り美人』?
姉 切手のコレクターの中では有名な一枚何なんだって。5円の切手が1万円
もするらしいよ。
妹 ふうん。
姉 そしたら、『見返り美人なら、ここにいるのにねぇ。』って、菅原さんの奥
さんがポーズ作ってたんだよね。おかしくてさ。
妹 菅原さんの奥さん、ぽっちゃり系だよね。
姉 そう。でも、それが妙に色っぽくてさ…。
お湯が沸いたことを知らせる、ケトルの笛の音が聞こえてくる。
姉 あっ。(沸いた)
姉、立ちあがって台所に消える。
妹、天井の蛍光灯をぼうっと見ている。
妹 姉ちゃん。
姉 なぁに。
妹 私たち、どうなるんだろう。
姉 …さぁ。
妹 姉ちゃんにもわからないの。
姉 わかる訳ないでしょう。
妹 ちっちゃいときから、いっつも、姉ちゃんは明日どうなるか話してくれて
いたでしょう…。
姉 心配性なだけよ。
妹 姉ちゃんは、全部わかってると思ってた。
姉 私はわからないことだらけ、何もわかっちゃいない。
妹 私よりはわかっているでしょ。
姉 そうでもないわよ。
姉、カップにコーヒーをいれて現れる。
妹、中空を見つめながら。
妹 …姉さん。
姉 何?
妹 ここにいつまでいるの。
姉 いつまでって…期限が2年だから、それくらいじゃない。
妹 その後、どこへ行くの。
姉 どこでもいい。
妹 どこでもいい?
姉 そう住むところが有れば…。
姉、カップに口をつけた状態でほほ笑む。明りが変わる。
そして、妹、すっと立ち上がる。
二人は、誰にともなく語りだす。
妹 私たちはいつまでも
姉 繰り返す
妹 繰り返す
くりかえし続けるこの
平行螺旋の空間の中で
姉 いつまでも
妹 いつまでも
もがき続ける。
私たちは
先へは進めない
姉 後へも戻れない
妹 いつまでも
姉 いつまでも
妹 いつまでも
姉 …いつまでも
妹 この場所に
姉 この空間に
妹 しがみついて、生き続けている。
姉 生き続けなければならない。
二人 命、続く限り。
二人、お互いの顔を見合わせ、不惑に笑う。
舞台は青い薄闇に包まれる。
青い薄闇と音楽の中、日一日一日が繰り返され、8カ月が経過する。
その間に、部屋の装いは夏から冬に変わるが、それは日々の繰り返す日常の中で、テーブルが炬燵になるなどの変化によって、転換される。
舞台は、何もない菱形に区切られた4畳半の空間。
奥の2面だけに壁がある。上手側の壁には玄関に繋がるらしき口が一つ開いている。殺風景な部屋である。
明りがつくとその殺風景な部屋に、妹が、レジ袋を左手に下げたまま、蛍光灯のスイッチの紐を引く仕草で止まって立っている。
妹は、そのまま、部屋をぐるりと見回す。
そこへ、姉も大量のレジ袋を抱えて現れる。
姉 大体はそろっているでしょう。
妹 だいたいね。
姉 だいたいそろってるって言っても、やっぱり食料は無いからね。持ってる
袋…そこ、置いといて。冷蔵庫にしまうから。
妹は虚ろな目をしたまま、姉を視野の中に置きながらも見つめるでもなく、ただぼうっとして、部屋の全体像を眺め続けている。
姉はあくせくと荷物を片付け、新たな荷物を部屋に運びこむ作業をし続ける。部屋の隅には、レジ袋に入っている衣類とおぼしきものなどを置く。
姉は、荷物を運び終えると、妹の斜めに向かいの場所に座る。
姉 何か飲む。
妹 何があるの。
姉 避難所で、スティックコーヒーもらって来た…。
姉、部屋の隅のレジ袋をかき分けて、スティックコーヒーを見つけだす。
姉 あった。
妹 残っている人たちの分じゃないの。
姉 大丈夫。私たちがほとんど最後だったじゃない。
妹 そうなの。…まだ居たじゃない。
姉 齊藤さんとこも、明日には仮設に入るって。ここの仮設じゃ無くて、小学
校の校庭の方…。小学生が居るから、学校に近い方がいいって…。
妹 そう。でも…。
姉 コーヒーは、避難所で生活していた私たちが持って行ってくれた方が助か
るって…。
妹 誰かそう言ったの。
姉 避難所を運営していた、福祉協議会の小野さん。
妹 そう。
姉 断るだけが美徳じゃないよ。
妹 そう。
姉 空気読んであげなきゃ。
妹 あたしには読めない。
姉 無理して、気を使って、空気読む必要もないけどね。…お湯沸かすね。
姉、立ちあがって玄関口の台所へ行く。
タラァァァッ。水圧の低い水道から水が流れる音。
チチチチ。ボッ。ガスレンジの点火の音。
妹、台所の方へ向って…。
妹 ガス、もう出るんだね。
姉 えぇ。昨日のうちに、手続きしといた。
妹、つぶやくように。
妹 そうだよね、電気もついてるしね。
姉 えぇ。
妹 姉ちゃん、凄いなぁ。
姉 何が。
妹 何でもできて。
姉 やらなきゃ無ければ、仕方いないでしょう。
姉、戻ってきて、座る。
姉 避難所の隣の場所にいた、菅原さんたちは、夫婦で息子さんのところへ行
くって。
妹 息子さん、銀行に勤めてるんだっけ…。
姉 えぇ。
妹 仙台…?
姉 泉だって、仙台駅から地下鉄で北の方に行ったところよ。
妹 そこは、大丈夫だったの。
姉 山手だから。店も普通にやってるってよ。
妹 ふぅん。
姉 断水とか、停電とかはあったみたいだけど、今はもう普通みたい。
妹 ふぅん。
姉 菅原さんの旦那さんってあんまりしゃべらないけど、奥さんがおしゃべり
だから、色々聞いたなぁ。旦那さん、切手集めが趣味なんだって。
妹 切手?
姉 旦那さんが、毎日切手の事を言うって、奥さんが愚痴ってた。
妹 ふぅん。
姉 大事にしていた切手のコレクションが流されたんだって。
妹 ふうん。
姉 『見返り美人』はもう手に入らないだろうなって。
妹 『見返り美人』?
姉 切手のコレクターの中では有名な一枚何なんだって。5円の切手が1万円
もするらしいよ。
妹 ふうん。
姉 そしたら、『見返り美人なら、ここにいるのにねぇ。』って、菅原さんの奥
さんがポーズ作ってたんだよね。おかしくてさ。
妹 菅原さんの奥さん、ぽっちゃり系だよね。
姉 そう。でも、それが妙に色っぽくてさ…。
お湯が沸いたことを知らせる、ケトルの笛の音が聞こえてくる。
姉 あっ。(沸いた)
姉、立ちあがって台所に消える。
妹、天井の蛍光灯をぼうっと見ている。
妹 姉ちゃん。
姉 なぁに。
妹 私たち、どうなるんだろう。
姉 …さぁ。
妹 姉ちゃんにもわからないの。
姉 わかる訳ないでしょう。
妹 ちっちゃいときから、いっつも、姉ちゃんは明日どうなるか話してくれて
いたでしょう…。
姉 心配性なだけよ。
妹 姉ちゃんは、全部わかってると思ってた。
姉 私はわからないことだらけ、何もわかっちゃいない。
妹 私よりはわかっているでしょ。
姉 そうでもないわよ。
姉、カップにコーヒーをいれて現れる。
妹、中空を見つめながら。
妹 …姉さん。
姉 何?
妹 ここにいつまでいるの。
姉 いつまでって…期限が2年だから、それくらいじゃない。
妹 その後、どこへ行くの。
姉 どこでもいい。
妹 どこでもいい?
姉 そう住むところが有れば…。
姉、カップに口をつけた状態でほほ笑む。明りが変わる。
そして、妹、すっと立ち上がる。
二人は、誰にともなく語りだす。
妹 私たちはいつまでも
姉 繰り返す
妹 繰り返す
くりかえし続けるこの
平行螺旋の空間の中で
姉 いつまでも
妹 いつまでも
もがき続ける。
私たちは
先へは進めない
姉 後へも戻れない
妹 いつまでも
姉 いつまでも
妹 いつまでも
姉 …いつまでも
妹 この場所に
姉 この空間に
妹 しがみついて、生き続けている。
姉 生き続けなければならない。
二人 命、続く限り。
二人、お互いの顔を見合わせ、不惑に笑う。
舞台は青い薄闇に包まれる。
青い薄闇と音楽の中、日一日一日が繰り返され、8カ月が経過する。
その間に、部屋の装いは夏から冬に変わるが、それは日々の繰り返す日常の中で、テーブルが炬燵になるなどの変化によって、転換される。