先日、大学病院で睡眠時無呼吸症候群の検査をした母。
数日前、その結果を聞きに行ってきた。
結論としては無呼吸症候群の兆候はあるものの、軽症ということで当面治療の必要はないと言われた。
まずはホッと胸をなでおろしたが、実はそれだけでは済まなかった。
心臓の具合があまり芳しくないという。
不整脈が予想以上に頻繁なのだそうだ。
今はまだ大丈夫だが、このまま放っておくと心房細動という心不全に繋がる症状に移行するらしい。
お医者さんは「普段は地域の総合病院に行って、数カ月おきに大学病院で検査をするのが一番いい」と提案してきた。
しかし母は最近、いままで通っていた総合病院から患者さんの多さを理由に「慢性病であっても重篤ではない限り個人病院に転院して欲しい」と言われたばかりだった。
また同じ総合病院に行ったところで診てもらえるとは限らない。ましてや心疾患の専門の個人病院が近くにあるかも分からない。
そんな話を伝えたところ、先生は「じゃ、ご主人と一緒にきますか?」と言ってくれた。
実は父は三年前から心房細動でこの大学病院に通院している。
結果として両親共々、同じ先生に診てもらえることになった。
母はもちろん、私もホッとしたことは言うまでも無い。
病気があることが分かったことは残念ではあるが、それは年齢を思えば当然なこと。それよりもこれからどうやってかかりつけの病院をみつけたらいいか途方にくれていたことが解消できたことのほうが遥かに嬉しい。
先日の検査の日には疲労でグッタリしていた母が、今回は疲れもみせずスッキリ晴れやかな表情をしていた。
同じことをしても、その経過や結果によって疲労感にこんなにも違いがあるのだ。
たとえば不安といったものも疲労感を誘発する要素だということだろう。
精神的なものと疲労感との間には密接なつながりがあることを改めて知らされた、そんな出来事だった。