[写真]岡田克也さん、2012年1月、民主党政策調査会会議室、衆議院議員会館内、筆者・宮崎信行撮影。
「議員立法が極めてまれだった時代に結党し、それを変えたのが民主党だ」
岡田克也さんが民主党の20年を振り返りました。
岡田さんは民主党結党当時、「役所が事実上作った形だけの議員立法はありましたが、議員がつくる議員立法は皆無に近かった。今では、他党も含めて、議員立法がかなり提出されるようになったし、それが成立することも珍しくなくなった。そういう文化を変えたのが民主党だ」
とし、民主党の20年で、議員立法が増えたことを成果としてあげました。
2016年3月18日(金)の記者会見での発言。
民主党の綱領「民主中道」を書いたのは、川端達夫さん、岡田さん、枝野幸男さんの3人。当初は川端政調会長が有力でしたが、幹事長代理を2人置くことになり、「菅直人代表を2人の幹事長代理(鳩山由紀夫さんと川端さん)が支える構造」をとることになり、政調会は「伊藤英成会長を、岡田代理、枝野筆頭副会長が支える構造」をとることになりました。
忘れ得ぬ光景。
日経新聞政治部記者として、新党友愛(中野寛成代表・伊藤幹事長)の番記者から民主党取材に流れた私は、1回目の政調役員会を見ました。衆議院の旧第一議員会館の地下にあった、民主党割り当ての会議室です。他社の15人くらいの記者で、頭撮りを取材し、その後、廊下で雑談しながら待ちました。会議が終わり、副会長らが出払ったタイミングを見計らって、15人ほどでぞろぞろと会議室に入っていくと、それを見た、会長が「しまった!」最大野党では、政調役員会終了後に、事後のブリーフィング取材を求められると想定していなかったようです。すかさず、岡田政調会長代理が「私がやりましょうか?」。会長が「いや、私がやる!」。綱領を書いた岡田代理と枝野筆頭副会長に支えられながら、伊藤会長が民主党最初の事後ブリーフィングにのぞみました。その日から、たったの11年後に政権はとれたし、あまり、うまくいくわけがないですね。まあ民進党はいつでも政権に戻れますよ。私は伊藤英成先生を尊敬しています。
2016年に戻ります。岡田さんは会見で「政調会長が変わっても、私は政調会長代理は変わらず長くやりました。民主党の政策の基礎を築いたと自負しております」と語りました。
そして、「様々な政策を自由に議論するのは民主党の良いところ。政策の議論というのは、議員としてのキャリアはあまり関係なくて、当選1回の若い議員でも、堂々と良い政策を掲げれば、議員立法の中心になれる。 こういったところは民進党に引き継がれていってほしい」
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