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ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。

岡田克也が語る民主党の20年「議員立法が成立するようになったのは民主党の功績」

2016年03月20日 22時05分18秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]岡田克也さん、2012年1月、民主党政策調査会会議室、衆議院議員会館内、筆者・宮崎信行撮影。

 「議員立法が極めてまれだった時代に結党し、それを変えたのが民主党だ

 岡田克也さんが民主党の20年を振り返りました。

 岡田さんは民主党結党当時、「役所が事実上作った形だけの議員立法はありましたが、議員がつくる議員立法は皆無に近かった。今では、他党も含めて、議員立法がかなり提出されるようになったし、それが成立することも珍しくなくなった。そういう文化を変えたのが民主党だ

 とし、民主党の20年で、議員立法が増えたことを成果としてあげました。

 2016年3月18日(金)の記者会見での発言。

 民主党の綱領「民主中道」を書いたのは、川端達夫さん、岡田さん、枝野幸男さんの3人。当初は川端政調会長が有力でしたが、幹事長代理を2人置くことになり、「菅直人代表を2人の幹事長代理(鳩山由紀夫さんと川端さん)が支える構造」をとることになり、政調会は「伊藤英成会長を、岡田代理、枝野筆頭副会長が支える構造」をとることになりました。

 忘れ得ぬ光景。

 日経新聞政治部記者として、新党友愛(中野寛成代表・伊藤幹事長)の番記者から民主党取材に流れた私は、1回目の政調役員会を見ました。衆議院の旧第一議員会館の地下にあった、民主党割り当ての会議室です。他社の15人くらいの記者で、頭撮りを取材し、その後、廊下で雑談しながら待ちました。会議が終わり、副会長らが出払ったタイミングを見計らって、15人ほどでぞろぞろと会議室に入っていくと、それを見た、会長が「しまった!」最大野党では、政調役員会終了後に、事後のブリーフィング取材を求められると想定していなかったようです。すかさず、岡田政調会長代理が「私がやりましょうか?」。会長が「いや、私がやる!」。綱領を書いた岡田代理と枝野筆頭副会長に支えられながら、伊藤会長が民主党最初の事後ブリーフィングにのぞみました。その日から、たったの11年後に政権はとれたし、あまり、うまくいくわけがないですね。まあ民進党はいつでも政権に戻れますよ。私は伊藤英成先生を尊敬しています。

 2016年に戻ります。岡田さんは会見で「政調会長が変わっても、私は政調会長代理は変わらず長くやりました。民主党の政策の基礎を築いたと自負しております」と語りました。

 そして、「様々な政策を自由に議論するのは民主党の良いところ。政策の議論というのは、議員としてのキャリアはあまり関係なくて、当選1回の若い議員でも、堂々と良い政策を掲げれば、議員立法の中心になれる こういったところは民進党に引き継がれていってほしい

 このエントリーの本文記事は以上です。

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